廊下でリオンを待っている間、リラはルージュから一連の出来事について説明を受けた。
蜘蛛のような姿をしている魔蟲ヘルストーカーから、少女を守るためにノアが負傷したこと。魔蟲が出す糸には皮膚や神経、筋肉に加え骨まで溶かすほどの強い毒性があること。その糸で負傷した傷口から猛毒が体内に入り、体を蝕んでいること。
──そして、この国では魔蟲毒による症例が過去に無いため対処することができず、ノアの命が助かる見込みが絶望的であること。
リラはルージュとリオンのやり取りをぼんやりと眺めながら、解毒をする方法について思案を巡らせ続けていた。しかし、魔獣について知っていることがない以上、考えが思い浮かばない。リオンが去ってから、リラは口を開いた。
「魔獣に関する文献は手に入りますか?」
「魔獣についての文献、ですか?」
リラは深く頷いた。ルージュは怪訝そうな顔でリラを見ている。
「はい。解毒の為の手がかりが得られるかもしれません。ただ待つだけじゃなくて、何か出来ることを探したいのです」
「分かりました。国中から魔獣に関する文献を集めましょう。今すぐ手配を始めるので、少しお待ちいただけますか。その間……」
そこで言葉を切ったルージュは何やら考え始めた。そして、
「お嬢様はリヴィと共にお待ち頂けますか。お一人にするわけにはいきませんので」
ルージュに連れられて、リラはノアが寝かされている家とは別の家の前に来ていた。ルージュがドアをノックする。
「リヴィ! 僕だけど!」
待っていると、ドアが開けられた。
「何か用?」
顔を出したのは一人の女性である。
女性らしいメリハリのある体付きをしている彼女は男性に劣らないほど背が高い。長いタイトスカートがスタイルの良さを際立たせている。長い赤茶色の髪を頭の高い位置で束ねており、深い青色の目をしている。大人っぽい直線的な顔付きで、少し気が強そうだ。
「ちょっと用があるから、僕が戻ってくるまでの間、彼女の話し相手になってあげてくれないかな」
腕を組み、女性は探るようにルージュを見ていた。
「まあ良いわよ」
彼女の返事に、ルージュはリラの方を振り返る。
「ということで。暫くリヴィと一緒にお待ち頂けますか。リヴィの側なら安全なので」
リラはあまりよく分からぬまま頷いた
「はい。分かりました」
「口が上手い事が取り柄のその男の側より、私の側の方が間違いなく安全よ。……軽口を叩くのもこの辺にしておくわ。本当に切迫してるようね、ルージュ。早く行きなさい。あと、その服。さっさと着替えてきなさい。見苦しいわ」
彼女は自分の髪を束ねていた髪留めを外すと、宙に投げた。ルージュは片手でそれを掴む。
「ナイス。助かる」
「いいから早く行きなさい」
彼女は顎でリラ達が来た道の方を指した。ルージュはすぐに来た道を引き返していった。
リラは女性の方を向いた。
何から話せばいいものかと迷っていると、
「いきなりで訳が分からないわよね。まあ私も分からないんだけど。私はオリビア・ベルナール。一応、ルージュよりも先輩よ。初めまして」
リオンから聞いたばかりの三大魔術家の名前の一つが出てきたことにリラは驚きを隠せなかった。
「私はリラと申します。宜しくお願いします」
「こちらへどうぞ。話は中でゆっくりしましょう」
オリビアが淹れてくれたお茶を飲みながら、事情を説明する。説明を聞きながら、オリビアは荷物の中から予備の髪留めを出し、慣れた手つきで髪を束ね直した。
「なるほどねえ。ルージュに余裕が無さそうだった理由が分かったわ。いつ魔獣が襲ってくるか分からない場所だから、確かに私のそばに居るのが一番安全ね。いざとなったら風の魔術で魔獣を切り刻んであげるわ」
「それはすごく頼もしいです」
オリビアと話しているといるとなんだか安心感があり、リラはうとうとし始めた。疲れが溜まっていたらしい。
「馬に乗っての慣れない長旅だったから疲れているのね。ゆっくり寝ておきなさいな。起こしてあげるわ」
二、三時間後。
「リラちゃん、起きて」
オリビアに起こされたリラは、いつの間にかベッドで横になっていた身体を起こす。
「あれ……。いつの間に?」
「座ったまま眠っちゃったから、私がベッドに運んだの。少しは疲れが取れた?」
「はい!」
「集まり始めたわよ。資料」
オリビアが机の上を指差す。目を擦りながら見ると、ルージュにより集められた大量の本が置かれていた。
リラの起床後少ししてから、オリビアが部屋の外で待機していたルージュを呼んだ。オリビアに言われたことをきちんと守り、彼は服を着替えていた。髪も綺麗に整え直されている。
「こんなに沢山集めて頂きありがとうございます」
「いや、お礼を言われるほどのことはしてませんよ」
机の近くに来たルージュは一番上に乗っていた分厚い一冊を開く。
「異国の言語で書かれていますね……。僕は読むことも出来ないけど。しかも思っていたよりもずっと数が多くて。これ、どうなさるおつもりですか?」
リラは本の山から一冊を手に取る。それはルージュが開いたものと同じ言語で書かれている。
「解毒に役立ちそうな箇所を探して、全て読みます」
ルージュは信じられないものを見る目をしている。
「……読めるのですか?」
「はい。この国の近隣五カ国の言葉は全て」
ルージュは目を見張っている。彼は本を仕分けながら、
「僕は出来る限り、お嬢様のお手伝いを致します。僕が読めるのは二カ国語だけですが、少しは力になれるかと」
そこによく通るソプラノが割って入った。
「私も手伝うわ」
長い脚を足を組み、黙って二人の話を聞いていたオリビアは、
「ルージュと同じで私も二カ国語しか読めないけど。こんなに大量の本だもの。一人でも多い方がいいでしょう?」
「本当ですか! ありがとうございます。オリビア様」
「堅苦しいからリヴィでいいわ。リラちゃん」
三人でひたすら本を読み漁る。紙を捲る音だけが部屋に響いていた。
読み始めて半日ほどがたっただろうか。しかし、未だ解毒法に関する情報は見つからなかった。
「お嬢様、少しお休みになられては? 身体を壊してしまいますよ」
「お気遣いありがとうございます。でも先程休ませていただいたところなので大丈夫です。それに、休んでいる時間が勿体無いです」
リラは字を目で追い続ける。ルージュは本の頁を捲りながら、
「……そうですね。ですがあまりご無理はなさらず。僕から一つお聞きしてもいいですか」
「なんなりとどうぞ」
「お嬢様はどうしてこんなに必死に、ノアを助ける方法を探して下さるのですか?」
その質問に、リラは文字を追うことを一旦やめて考えた。
「確かに……。どうして、なんですかね?」
答えが見つからず、困っているとオリビアが口を挟む。
「ルージュ。その質問は野暮よ」
「え?」
「リラちゃんを困らせないでくれるかしら。あんな馬鹿な質問に答えなくていいわ。無視よ、無視」
ルージュが捨てられた犬のようにシュンとしている。
「ええ……」
会話も程々に、三人は再び文字に目を戻す。
不意にオリビアが顔を上げる。
「……一つ思ったんだけど、魔蟲毒を浄化すればいいんじゃない?」
「それは僕も初めに考えた。あのいけすかない治癒術師の所に魔蟲毒が混ざったノアの血をサンプルとして送ったんだけど、返事が返ってこない。初めから期待もしてなかったけど」
「そう。肝心な時に役に立たないわね」
オリビアは額に手を当て、頁を捲った。
ノアの体に毒が回り切るまで、あと三日。なんとか解毒法に関する情報をできるだけ早くに得たいところだった。