ノアが魔獣討伐に向かってから一週間が経った。
リラは自室のベランダに片肘を付きながら、西の森の方を眺めていた。何も起こっていないかのように森は静まり返っている。魔獣討伐が行われているというのが信じられないぐらいだった。
後ろで午後のお茶を用意しているリオンに声を掛ける。
「リオン様。ノア様は今頃どうしておられるのでしょうね」
「そうですねえ。きっと大事無いでしょう」
リラは頬杖をつきながら振り返る。
「やけに確信的に仰るのですね?」
「ええ。ノア様に剣を教えたのは私なので、実際に剣を交えた事も少なくありません。実力についてはよく分かっておりますので」
「本当に、リオン様が、剣を……?」
リラは言葉を途切れ途切れに繋ぐ。儚げで壊れてしまいそうな美しさをもつリオンが、剣を振る姿など想像も出来なかった。病的なまでに白い肌をしている彼に武術の類は全く似合わない。疑り深い目をしているリラを見て、リオンはくすりと笑った。
「本当ですよ。そうは見えないかもしれませんがね。それに、私見を抜いて客観的に見ても、この国の騎士団は他国の騎士団と比較する事ができないほど圧倒的な強さを誇ります。ノア様はその中で、最も剣術に優れておられる。帝国騎士団が魔獣ごときに負けることなどまず考えられないかと」
「確かに……。忘れ物をお届けに行った時、騎士団の訓練を見せて頂いたのですが凄かったです。ずっと気になっていたのですが、剣の他にも戦い方はあるのですか? あいにく私は武術には詳しくなくて」
一度手を止め、リオンは説明を始める。
「勿論ありますよ。リラ様にも分かりやすいところでいくと、ルージュ様は魔法を用いた戦闘をなさいます。あとは、弓や槍などもありますね」
「ルージュ様が以前、炎系の魔術は戦闘に特化しているとおっしゃっていましたが、他の系統の魔術はどのようなものなのですか?」
リオンは少し難しそうな顔をしながら、お茶の準備を再開した。
「そうですね……。この国で魔力を持っているのは、三つの家系に生まれた者だけです。通称、御三家と呼ばれています。
一つ目が炎属性の魔力をもつ家系である、ローズフェリア家。三家のなかで最も戦闘に特化しています。水と風の魔法でも戦えない事はありませんが、炎の魔法には攻撃的なものが多く、戦闘に最も向いており重宝されています。ちなみに政治に関しても強い影響力を持っている公爵家です。ご存知かもしれませんが、次期当主はルージュ様です。
二つ目が、水属性の家系、オルクレイル家。こちらは主に浄化……、分かりやすく言えば治療、回復などを担っています。こちらも公爵位を授かっています。三家の中で最も長い歴史を持っていて、魔力量も桁違いです。実力は申し分ないのですが、何せ現当主が非常に気難しいお方で……。あちらから外に顔を出すことは滅多にありません。
最後に、風属性のベルナール家。こちらはまだ歴史が比較的浅い侯爵家です。魔力を用いて風向を自在に操ることで、高速の移動を可能にしています。物を浮かせる事や大気に干渉する事も出来ます。戦闘に使いやすい魔術も多く、非常に汎用性が高いです。御三家については、ざっとこんな感じでしょうか」
リオンは西の森の方へと目を移した。今もきっと戦闘は続いているのだろう。
「魔術の属性によって、出来る事が異なっているのですね。勉強になりました」
「それはそれは。私も長々と話をした甲斐がありました。まあ、そう心配なさらずともきっと大丈夫ですよ。帝国騎士団の実力は並のものではありません。さあ、リラ様。お茶が入りましたよ。温かいうちに……」
その時リラは西の森の方から、何かが風のような勢いで屋敷に向かって一直線に近づいてくるのを見た。
「──リオン様!」
リラが大きな声をあげると、リオンはたちまちベランダに出てきた。
「あれは……?」
リラがその物体を指差す。リオンは目を細めてそれを凝視していた。
「……もしかして」
リオンがぼそりと低い声で言う。
「もしかして、何ですか?」
物体を注視したまま応じる。
「ノアの愛馬かと。ノアはあの栗毛の馬と共に西の森に向かった筈です」
「……何故その馬がこちらに向かっているのでしょうか?」
リラは白い横顔に向かって言う。リオンは珍しく深刻そうな顔をしていた。
「……どうやら安心してはいられないようですね。下に降りて到着を待ちます。あの馬は脚が速い。間も無く此方に着くでしょう」
「私も一緒に行ってもいいですか?」
「ええ」
色々と思うことがあるのだろう。リオンは複雑な顔をしていた。
十五分も経たないうちに、馬は屋敷に到着した。
駆け足でリオンは馬に近づく。馬の腹帯に挟まれている、折り畳まれた白い手紙を見つけ、慌ただしく開いた。内容を一瞥したリオンはすぐに紙を畳み、ジャケットのポケットにしまう。
鎧に足を掛けながら、
「私は今から西の森に向かいます」
「……私も同行させて頂くことは可能ですか?」
リオンは鎧に足をかけたままリラを見た。
「そうですね……。ノアからリラ様のご要望は全てお聞きするようにと申し付けられておりますし、共に向かいましょう。無礼を働くことをお許しください」
「え? きゃっ……」
突如リオンに抱き上げられたリラは、ふわりと馬の上に横向きに座らされる。呆気に取られていると、リオンは飛ぶように鞍を跨ぐ。後ろから声が掛かる。
「少々時間が切迫しているようで。お話は走りながら。行きましょう……!」
「えっ。わわ……」
リオンが手綱を取ると、馬は全速力で走り出す。目の前の景色が目まぐるしく移り変わっていった。
「……で、状況を説明していただいても?」
普段よりも声を張り、リラは手綱を握るリオンの腕を強く掴んだ。顔に当たる風が痛い。簡単に振り落とされそうなスピードはリラの恐怖心を煽る。
「先程の手紙は私に宛てたものでした。私の上着の胸ポケットから出して、どうぞご自由にお読みになって下さい」
リオンのジャケットのポケットから手紙を取り出したリラは、風でそれが飛ばされないように慎重に開いてみる。
紙にはたった一文、『今すぐ西の森へ来て下さい』とだけ綴られていた。書かれているのは、角がなく丸みを帯びた可愛らしい筆記体だ。文字の大きさが揃っており読みやすく、書き手の几帳面さが伝わってくる。
リラは手紙を再び折り直してリオンのポケットに返した。
「内容が何も書かれていないですね……」
「そうなんです。誰が書いたものかすら分からない」
リラは再びリオンの腕を両手で掴み直す。
「……ノア様の身に何か起こったのでしょうか」
「おそらく。今まで一度もこんな手紙が届いたことは無かったので。……急ぎましょう」
リオンは一層手綱を強く握り、速度を上げた。