けたたましい剣戟の音。付き合わせていた背が離れていく。
「……っ!」
僕に向かって次々と振り下ろされる剣をひたすら受ける。自分の身を守るだけで精一杯だった。守るばかりの僕には相手を攻撃するのは困難で、複数人を相手取ることなど夢のまた夢だった。
「うああ!」
戦闘の時間が長引けば長引くほどに削られていく体力。僕は自暴自棄で剣を振り回していた。訓練場と実際の戦場は何もかもが違っていた。痛いほどの殺気が肌をピリピリと刺す。
やっとのことで、なんとか二人を倒した僕は後ろを振り返る。
銀刃が空気を切り裂く度に散っていく血の華。
細い長剣だけを手に、戦場を舞う黒い影。
人間の域を超えた剣舞は極限まで高められた芸術だった。相手に絶叫を上げる間を与えず、苦しみすら感じさせない。複数人で一斉に襲い掛かろうとも、その体に切先を近付けることすら出来ない。理不尽なまでの強さによる蹂躙。十数人を易々と相手取り、血の沼の中央に凛と立つ、輝かしいまでに白い立ち姿は息を呑むほどに幻想的で美しい。
その姿はまさしく『戦場の死神』の名に相応しい。
入団後、僕はこの時初めて副団長が実際に剣を振る姿を見たのだった。
そして、美しき死神に目を奪われていた僕は完全に油断していた。倒したと思っていた二人のうちの一人が僕に襲い掛かる。咄嗟のことで体は全く反応出来ない。胸を貫かんと真っ直ぐに迫る刃の軌跡を僕は目で追う。
ああ、終わりだ──
死を覚悟をしてきつく目を閉じた。しかし、恐れていた瞬間は訪れなかった。
「忘れたか。私は誰一人逸れるなと言った」
僕は恐る恐る目を開ける。純白のマントが風にそよぐ。その背中はあまりにも大きく映った。振り向いた人物の、つい先刻まで白かった制服には黒々とした紅が散っている。
僕を背後に庇い、死神は接近戦を再開する。間近で感じる息遣いと気迫。堂々たる後ろ姿に、僕はただ見惚れていた。
やがて音が消えた戦場。
眼前の刀身からは血がぽたぽたと砂上へと落ちていく。剣に付いた血を軽く払い、黒銀の鞘に収める。血溜まりの上に膝を付いた副団長は胸に手を当て目を閉じた。最敬礼の姿勢をとり、静かに祈りを捧げる。その姿は僕の胸を打った。自然と体が動き、副団長の後ろで同じ様に祈りを捧げた。
顔を上げた僕の前に手が差し出される。
「立てるか?」
「はい」
僕が遠慮がちに手を取ると、ぐっと上に引き上げられた。
「よく生き残った」
立ち上がった僕の膝は笑っていた。砂埃で汚れた僕の制服をはたきながら副団長は言った。
「他の道は敵の気配が無かったから、今頃合流地点に着いている頃だろう。私達も急ぎ向かおう」
合流地点に早足で向かいながら、僕は副団長に尋ねる。
「初めから分かっていたんですか? この道が敵襲を受けるって」
「ああ。交戦を避けるようにしてはいたが、状況を鑑みるに今回ばかりはどうしても避けられそうになかった」
分かれ道に当たるたびに副団長が見せていた間の意味を、此処に至るまで一度も敵と遭遇しなかった理由を、僕は今更理解する。僕達は知らないうちに、ずっとこの人に守られていたのだ。
無事合流した僕達同期は、再び全員で顔を合わせられた事に対する喜びを称え合ったのだった。
その後も何度か、剣を交えることがあった。常に自ら危険の最前線に立ちながら、副団長は僕達を導く。鮮やかな手際で相手を制圧していった。敵国が降伏し帝国が勝利を収めるまでに、帝国騎士団では一人の死傷者も出なかった。
しかしその勝利は、決して容易に得られたものではない。誰一人逸れるなという言葉を現実にする為に、副団長がずっと自身の生命を削って戦っていたことを僕は知っている。
血染めの騎士服を纏う『戦場の死神』──
同期は勿論のこと、他の騎士達も皆、その悍ましい姿を恐れた。団長を除き、彼に近付くことが出来る者はいない。
「おーい。聞こえてる? 急にぼうっとしてどうしたんだよ」
仲間の一人が僕の目の前で手をひらひらとさせる。
「……ごめん。ちょっと抜ける」
同期と歓談していた僕の足は勝手に副団長の方に向いていた。
「助けて頂いてありがとうございました」
僕が声をかけると、一人、荒れた戦場を眺めていた副団長は驚いたように振り向いた。彼が浴びている返り血の量は、僕が助けて貰った時とは比べ物にならない。制服は元の色も分からないほど凄惨な様だ。
副団長は微かに苦味を帯びた表情をする。
「遅くなってすまなかったな」
僕は赤黒い騎士服に目を奪われた。気付いた時には勝手に口が動いていた。
「どうしてそこまで出来るんですか。自分ばっかり大変な思いをして。嫌にならないんですか?」
目を伏せ、少し考えた後で彼は、
「嘗ての私は何一つ思い通りに守れなかった。だから今、私が守れるものは一つたりとも取り零したくない。これは私の勝手な我儘だ。一つくらい、望むことがあっても許されると思わないか?」
困ったように小さく笑ったのだった。
「……それ早く着替えた方がいいですよ。凄い事になってるんで」
「あいにく替えが無い」
「じゃあ僕の予備貸します。多分小さいけど」
急いで荷物を漁り、制服を引っ張り出した僕は副団長の元に戻る。来ていた制服を脱いだ副団長は、着丈が短い上着を自身の肩に掛けた。それでも全く不恰好に見えないのはどうしてだろうか。
「ありがとう」
僕は上着を人差し指で差して言う。
「それ、一つ貸しですからね」
「助けた分の貸しがあるはずだが?」
即座に言い返される。完全に盲点だった。
「あ! ずるい! それ出すの反則ですよ」
「ふっ。冗談だ。それで、私に一体何を返して欲しいんだ?」
上着が飛ばないよう手で抑えながら歩き始めた副団長の背を追う。
「僕に教えて下さい。最強で最高に美しい貴方の剣を」
「いくらでも付き合おう」
──戦場の死神
僕の憧れの人は、世界で一番その名が似合わない。