寒さが和らぎ、春の陽気が見え始めた頃、僕は晴れて帝国騎士団に入団した。
初めて騎士団の建物の門を潜った僕の心は、新たな門出への期待と喜びで満ちていた。話をしている者、戸惑っている者など人により反応は様々だが、今日から正騎士として入団が決まった仲間達は皆一様に、晴れやかな顔をしている。
それもその筈だ。選抜を突破するという最大の関門を乗り越えたのだから。
毎年千人以上にも及ぶ希望者の中から、過酷な選抜を経て残るのは若干二十名だった。所属すれば終わりというわけではなく、厳しい環境に耐えられず、辞退する者も後をたたない。
帝国の騎士という肩書は最高の名誉であり、皆の憧れの的だった。
何かに気が付いたかのように、ざわざわとしていた周囲の話し声が突然止む。正面を向くと、中央に麗しい金髪の男性が立っていた。見た所、僕達と年齢は大差なさそうだ。白い制服を着こなした優しそうな男性はにこりと微笑みながら、並んでいる僕たちを見渡す。
「入団おめでとう。君達を新たな仲間として迎え入れられた事、嬉しく思うよ。僕は騎士団長のルージュ・ローズフェリア。顔は覚えておいてほしいな。皆、これからよろしくね」
一斉に礼をする。僕たちが顔を上げると、無表情な男性が団長と場所を入れ替わっていた。団長とは比にならないほどの重圧を感じる。軽く視線を向けられるだけで、場に居る全員が背筋を正した。張り詰める緊張感の中、男性ははっきりとした声で言った。
「副団長、ノア・ヴィンセント。離脱者が出ない事を願っている」
短すぎる挨拶を終えると、副団長は再び団長に場所を譲る。厳しそうで怖い近寄り難い人、というのが僕が初めて副団長を見た時に抱いた感想だった。団長から此処での規則や僕たちのこれからの予定についての説明があった後、その日は解散になった。
翌日から早速、騎士としての訓練が始まった。体力に自信がある僕でもついていくのがやっとで、一人、また一人と訓練から離脱する者が出始める。離脱者には構わず、残った者だけで徹底的に訓練は続けられる。自分達は優秀だと思い込んでいた僕たちのプライドは初日にしてズタズタに引き裂かれた。
しかし、一月が経ってもなお、基礎体力をつける為の走り込みやトレーニングなどばかりで特別な訓練は無い。僕達は剣を振ることはおろか、触る事すらさせてもらえない。訓練に慣れ始めていた僕達からは不満が少しずつ出始める。文句や愚痴が日々増えていく。
そしてとうとう堪忍袋の尾が切れた同期達が、団長に直々に不満を訴えに行くと言い始めた。僕もその集団に同行していた。
「うんうん。よく分かるよ。僕も入ったばかりの頃は君達と同じ事思ってたから。ごめんね。もうちょっとで別の内容に移るから、頑張ろうよ! ね?」
団長は申し訳なさそうな顔をしながら同期を励ます。僕達の不平、不満に団長は付き合ってくれていた。
こつこつと鳴る整然とした音が扉の前で止み、ゆっくりと押し開かれるまでは。
「……どういう状況ですか。これは」
部屋の中に響いた声は、団長を一気に晴れやかな顔にする。
「あ、ノア! あのね、この子達ちょっと訓練に飽きちゃったみたい。何か新しい事やらせてあげなよ」
「信じられない。そんな事で貴方の時間を無駄にしたんですか」
「いやあ、でもこの子達の気持ちも分かるからさ」
えへへと笑っている団長の隣に立つと、副団長は冷え切った声で静かに言い放つ。
「団長のご厚意に甘えるのも大概にしろ。この程度のことにすら耐えられない人材など要らない。帝国の騎士が務まるとも思えない。不満があるのなら、今すぐにでも辞めてしまえ」
一瞬で寒気がするほどに凍てついた場の空気。物音一つ立たなくなる。
副団長は刺すように鋭い視線を僕達に向けた。自分達が虫けらにでもなったかのような圧倒的なプレッシャー。抵抗するなど愚かしく、目の前の人には全く敵わないということを本能が瞬時に悟る。
「他に正当な理由があるのなら、今、この場で言え。聞いてやる。言う事が無いなら、さっさと訓練に戻れ。二度目は無い」
息苦しく張り詰めた緊張感の中、言葉を発せる者など僕を含め誰も居なかった。逃げるようにそそくさと部屋を出た僕達は、終始無言のまま来た道を引き返し、訓練に戻ったのだった。
団長が言っていた通り、それから間も無く訓練は次の段階に進んだ。あの日以降、愚痴をこぼす者はいなくなり、僕達は以前にも増して真面目に訓練に励むようになった。
入団してから一年が過ぎた。
基本的な剣の扱い方を学び、訓練場で木剣を用いた実践訓練も行えるようになった僕達は、初めて実際の戦線に立つことを許された。副団長は分かれ道に当たる度に刹那足を止め、進む方角を僕達に指示していた。三つに分かれている道当たった時、三班に分かれて進み、後に合流するという策を取ることになった。帝国を出てからずっと先頭を切っていた副団長がテキパキと指示を出す。
「此処からは分かれて進む。君達は中央の道に、君達は左側の道に。進んだ先で道が一つになっている。そこで必ず、一人も逸れる事なく合流しろ。健闘を祈る」
一人、また一人と同期達がそれぞれの方角へと散っていく。場に取り残されたのは僕一人だけ。
「待って下さい。僕は……?」
「君は私と右側の道を進む。私の後ろに続け」
「はい!」
副団長から直接話しかけられる機会があるなど思ってもみなかった。返事をした声は裏返っていた。
迷いない足取りでどんどん道を進んでいく副団長の後ろに、僕はぴたりと付いていた。不気味なまでの静寂が心細かった。緊張のあまり、僕はただ、副団長の後ろを歩いているだけになっていた。
「止まれ」
突然足を止めた副団長は前に進もうとしていた僕を右手で制す。
「正面に八、右に三、左に五、後ろに七だ」
素早く呟かれた言葉は僕にはまるで呪いまじないのように聞こえる。
「はい?」
腰の剣に右手を添えた副団長はいつになく鋭い目で正面を見据える。
「右側は任せよう。余裕があれば私の援護を頼む。──構えろ」
敵の気配を感じ、はっとした僕は急ぎ剣を抜き構える。僕と背を合わせた副団長は落ち着いた声で言う。
「背筋を伸ばせ。胸を張れ」
腰が抜けた構えになっていた僕は、副団長の真っ直ぐに伸びた背筋に沿って姿勢を正す。不思議と恐怖心は収まっていった。この人と一緒なら、何処までも戦えそうな気すらした。
「そうだ。その方がずっと良い」
背後から、すっと微かに金属が擦れる音が聞こえる。その音を切っ掛けとして、交戦が始まった。