──二週間が経った頃。
長閑な昼下がりだった。すっかり此処での暮らしに慣れ始めていたリラは、広い屋敷を散策するついでに、ふらりと厨房を覗いてみる。雑然とした厨房の中にぽつりと人影がある。
「…………しよう、どうしよう」
小声でぶつぶつと呟きながら、パトリックが頭を抱えていた。
「どうしたの?」
リラは入り口から声をかけてみる。しかし彼の耳に届いている様子はない。何度か声をかけてみるが、彼がリラに気付く気配は一向にない。
右往左往している彼に近づき、顔を覗き込むようにして再度声をかけた。
「ねえ、どうしたの?」
「ひゃあ!」
化け物でも見たかのような声を出して、パトリックはその場から飛び退いた。
「……そんなに驚かれると、少し傷つくのだけど?」
「あっ、ごめんなさい……!」
パトリックは急いでリラに頭を下げた。
「それで、何を困っていたの? さっきからずっと上の空じゃない」
「えっと……。あのですね。なんというか……」
パトリックは話しづらそうにしている。その背に何かを隠しているようだ。リラが彼の左側から背後を覗き込もうとすると、彼も体を左に向け、覗かれまいと必死に背中にあるものを隠す。反対側から覗き込もうとするが同様だ。リラは呆れながら顔をむくれさせる。
「もう。埒があかないわ」
パトリックが裏返った声を上げる。
「……どうか、シェフには言わないでいただけませんか!」
「何かわからないけど分かったわ。約束する」
リラの返事を聞いたパトリックは恐る恐るその場を退いた。
彼の背後には一つの鍋が置かれていた。リラはその中身を覗き込む。
「あら。ただの美味しそうなスープじゃない。そんなに必死になって隠す理由が分からないわ」
「見た目は美味しそうなんだけど……」
パトリックは言葉に詰まった。
「なるほど。味が良くないのね」
「そんなにはっきり言われると傷付きますが!」
リラは鍋の近くにあった小皿を一つ取り、スープを少し注ぐ。
「え! やめておいた方が」
制止しようとあわあわしているパトリックを無視して、リラは小皿に口を付けた。スープを味わい、ゆっくりと口を開く。
「……これは美味しくないわね」
「だから言ったじゃないですか! なんで飲んだんですか!」
パトリックが騒いでいる。小皿を机の上に置き、急に動きを止めたリラの様子を見て、パトリックは一層騒ぎ始めた。
「え、大丈夫ですか!? 僕、変なものは一つも入れてませんよ?」
「落ち着いて。それは分かってるわ」
リラはパトリックに向き直る。
「これを飲んだ時、初めに貴方はどう思ったの? パトリック」
「どう……? 苦い、です」
パトリックは困惑している。表情がコロコロと変わって忙しい。
「そうね。私も同感よ。どうして苦くなったと思う?」
「……わかりません」
「原因は野菜の灰汁よ。きちんと下処理を済ませておかないと、こんな風に苦くなってしまうの」
「あっ……。心当たりがあります」
「そうでしょう。じゃあ、此処からが本題ね。どうやってこれを美味しくするかを考えましょうか」
パトリックはしょんぼりとしていたかと思えば、今度はゾッとした顔をする。表情がころころと変わって忙しい。
「それは無理ですよ! 美味しくなんて絶対ならない。僕、今日やっと初めてシェフから一人で調理を任せてもらえたんです。それなのに、こんなものお出ししたら何を言われるか……」
「まだ何もしていないのにどうして諦めるの? このまま捨ててしまうなんて、折角ここまで作ったのに勿体無いじゃない。何としてでも食べられるようにしてあげる」
リラはスープを分析していく。
塩味は丁度いい。灰汁が出てはいるが、野菜の旨味は十分に出ている。肉の臭みが出ているわけでもない。味付けが薄すぎるわけでも濃すぎるわけでもない。ならばどうしようか。
「ねえ、パトリック。買い出しに行ってきてくれない?」
「はい! 分かりました!」
一時間後。
「……美味しい!」
スープを飲んだパトリックが喜びの声をあげる。続いてリラもスープを飲んでみる。
「うん。なんとかそれなりにはなったんじゃないかしら」
「それなり? すごく美味しいじゃないですか! まさかトマトやハーブを入れるだけでこんなに味が変わるなんて。ありがとうございます! これで夕食にお出しできそうだ」
「そうね。そうなのだけれど……」
初めの状態と比べると格段に美味しくなっており、確かに食べられる味にはなった。しかし、完全に灰汁を感じなくすることはできていない。キャッキャと喜んでいるパトリックとは対に、リラの中には一抹の不安が引っかかっていた。