リラ達が話している間にも、テーブルの上では着々と朝食の支度が進んでいる。リラの視線に気付いた執事がリラのもとへやって来る。朝食の準備を終えたらしい。
「お嬢様、お加減は如何ですか?」
執事はおっとりとした優しい口調で話しかけた。ノアやルージュと歳が変わるわけではなさそうだが、落ち着いており相手に安心感を与える話し方は老齢の紳士のようだ。
「はい、もう大丈夫です」
「それは良かったです。……ああ、申し遅れました。私はヴィンセント伯爵家執事筆頭のリオンです。以後お見知り置きを」
リオンが軽く頭を下げると、顔周りに長い髪が流れる。遠くから見ている時も思っていたが、間近で見ると本当に非現実的なまでに整った顔をしていた。
「ご丁寧にありがとうございます。私はリラと申します」
リラはベッドの上から彼に礼をした。
「リラ様とお呼びしても?」
「勿論です」
「ではリラ様。朝食の前に、身支度の方は如何なさいますか? リラ様が元々着ておられたドレスは雨に濡れて汚れてしまっておりましたので、今は洗濯をさせて頂いておりまして。服などはこちらに今あるものをご用意させて頂く形になりますが」
リラは自分が着ている寝衣を見下ろす。淡いクリーム色をした、柔らかい薄手の生地で出来たものだ。確かに寝衣のままで居続けるのも良くなさそうだった。
「そうですね……。お願いしてもいいですか?」
「承りました。メイドをこちらに呼びますね。その間お二人には少し部屋の外で待っていて頂くことにしましょう」
簡単に身支度を整え終え、メイド達が退出すると二人が入れ替わり部屋に入ってきた。リラはスカートを摘み、右足を半歩後ろに下げる。自然に膝を折り頭を下げる。身体が動きを覚えていてくれたことに安堵した。
「お待たせして申し訳ございません」
「いえ、思っていたよりもずっと早くて驚きました。もっとゆっくりなさって大丈夫だったのに」
「せっかくの朝食がすっかり冷めてしまうのは勿体無く思いまして……」
さりげなく手を取ったルージュがリラをソファーまでエスコートする。
「ああ! そのことなら心配無用でしたのに。僕が先に言っておけば良かったですね」
ルージュはリラをソファーに座らせてから自身も席に着く。そして、彼は一度軽く指を鳴らした。ふわりと温かい風が微かに頬に触れたかと思うと忽ち、スープから湯気が立ち昇る。
「──すごい!」
驚いているのはリラだけで、いつの間にか席に着いていたノアは何ともない様子で料理を眺めていた。見慣れているのだろうか。リラは少し身を乗り出して尋ねる。
「ローズフェリア卿は魔法使いなのですか?」
ルージュは暫くポカンとした顔でリラを見ていたが、やがてケラケラと楽しそうに笑い出した。
「うーん、そうですね。魔法使いほどロマンチックで夢があるものではないですよ。どちらかと言うと魔術師でしょうか。私の家系は炎を扱う魔術を得意としていて、代々その魔術を受け継いでいるんですよ。炎系の魔術は戦闘に特化したものが多いのですが、これはその魔術を日常で用いることができるよう僕が自ら応用したものなんです」
ルージュは言いながらティーポットの上に手を翳し、湯を沸かしている。加減が難しくないのだろうか。全く器用なものである。
「僕達のような存在は恐れられることが多くて。その偏見を少しでも取り払えたら良いなと、日常にちょっと役立つ魔法を日々研究しているんです」
魔術師の存在は貴重なものだといつか本で読んだことがある。彼らの能力は誰もから切望されるものである。だが、彼らには彼らにしか分からない苦労も多いのだろう。
「そういえば、ノア。さっき何の話をしてたの?」
ティーポットから紅茶を注ぎながらルージュは尋ねる。
「行く当てが見つかるまで、手を貸すことを提案していただけです」
「へえ! 君から手を貸すことを提案したの?」
声を弾ませながら、身を乗り出してノアの顔を覗き込む。
「……そうですが」
キラキラとした目で食い入るように矢継ぎ早に言葉を継いでいく。
「具体的には?」
「当面の間は彼女を客人として此処でもてなすつもりです」
「良いと思う! あ、でもさっきみたいにお嬢様を怖がらせちゃ駄目だよ。分かった?」
「はあ」
「それと、あとは……」
息を継ぐ間も与えないルージュのペースにノアは完全に飲まれていた。表情は一切変わらないが、少々言い淀んでいることから戸惑っているのは明らかだ。リラと話していた時は完全に彼のペースだったが、今は一方的にルージュのペースに飲まれている。端然としている彼すらもルージュのマイペースさには敵わないのかと思うと、何だか可笑しかった。
「…………ふふっ」
ノアに詰め寄っていたルージュが驚いてリラを見る。
「え。僕、何かおかしいこと言ってましたか?」
本人達は無自覚らしく、それすらもリラからすれば十二分に面白い。
「いいえ。お二人は仲が宜しいのだなと思って」
ルージュは目尻にくしゃりと皺を寄せる。
「僕達は幼い頃から付き合いがありまして」
「腐れ縁だ」
言いながらノアは気恥ずかしそうに視線を横に逸らした。
「うわ、ひどい! ちょっと黙ってて」
目を見開いたルージュがノアの肩を叩く。小さく鼻を鳴らし、ノアはティーカップのハンドルに長い指をかける。湯気が揺らぐ水面に目を落としつつ雅やかに紅茶を啜った。
「話しているうちにまた冷めますよ」
「大丈夫。何回でも温め直すから」
緩々と穏やかな時間は進んでいく。和やかな雰囲気のまま、三人は朝食を終えたのだった。
食後のお茶を楽しみ終えたルージュが、空になったティーカップをソーサーの上に置いた。カチャリと硝子がぶつかる軽やかな音が立つ。
「さてと。そろそろ僕はお暇させて貰おうかな。君達も一息つかなくてはね」
ソファーに深く沈んでいた腰を上げると、上着を整え直す。
「あ、ノア。恐らく大丈夫だとは思うけど、もし何かあったらすぐに僕に連絡するんだよ。少しは力になれるかもしれないし。いいね?」
「承知しました。お心遣いに感謝致します」
「うん。ではお嬢様もまたお会いしましょう」
リラの方へ体を向けたルージュが片手を上げる。
「はい、色々とありがとうございます。ローズフェリア卿」
「お嬢様さえ宜しければ、ファーストネームで呼んで頂いて構いませんよ。そちらの方が僕自身慣れているので」
リラに微笑み掛けると、返事を待たずに彼は去っていった。人懐こい笑顔とあどけなさが残る顔立ちのために幼く見えるが、彼はリラよりも歳上だろう。彼の後ろ姿を見送るリラは恭しく礼をとる。
彼の姿がすっかり見えなくなってから、リラは姿勢を戻した。近くに立っていたノアが口を開く。
「午後は身体を休めろ。もし困ったことが有れば、リオンかメイドに言うといい」
用は済んだと言わんばかりに、そそくさと部屋を出ていこうとする彼を呼び止める。
「あの!」
咄嗟のことで必要以上に大きな声が出てしまい、思わず口元を手で押さえた。でも、これだけは言いたかった。
「本当にありがとうございます!」
「……ああ」
視線を此方に寄越した彼は表情一つ変えずに短い返事を返し、立ち去った。