私は凡人である。
決して無能とは信じたくないけれど、だからといってとりわけ有能とうぬぼれることはできない。
練習次第でできることは増えるし、練習してもいないことができるほど器用でもない。
つまりなにが言いたいのかというと――
「ぁぅ……」
ガシ。
「ひっ……」
ぐにっ。
「ごめんなさい……!」
ぐッ。
これらの音はすべて、私がリュートの足を踏んだ音である。
現代日本において舞踏会で踊るようなダンスなど経験する機会はない。
当然、やったこともないものを本番でできるはずもなく。
これではステップを踏んでいるのかドジを踏んでいるのか分からないではないか。
「クク……」
リュートが忍び笑いを漏らす。
「初々しいものだな」
向けられたのは微笑ましい笑み。
……その場で気絶してしまいたいくらい恥ずかしい。
「す、すみません……」
この数分間のやらかしだけで5回は処刑されそうだ。
「気にするな。ここからは誰にも足元など見えん」
リュートはそう語る。
私たちが踊っているのは、他の参加者よりも高い位置にある。
おそらく腰から上あたりしか見えていないだろう。
彼の言う通り、私が足を踏んでいることは露見してはいないだろう。
一番見られたくない相手に見られているけれど。
「ダンスには馴染みがなかったのか?」
「……はい」
私はダンスを習っているわけでもなければ、舞踏会に参加するような上流階級の人間ではない。
……そもそも、現代日本で舞踏会が催されているのかさえ分からないくらいに縁のない世界を生きていたのだ。
もしバレエあたりを習っていたらもう少しは上手くできたのかもしれないが。
「ならば、なおさら緊張する必要はない。初めての体験が苦いものではもったいないからな」
そう彼は微笑んだ。
足を踏んでも彼は眉さえ動かさない。
私がバランスを崩しかければ、先回りするように支えてくれる。
ド素人がパートナーだというのに、客観的にみるとそれなりに上手く踊れているように思えた……多分。
「……ありがとうございます」
彼の足を踏んだ回数が2桁に達したころ。
もはや開き直りとでも言うべきか。
いい加減、私の心も落ち着きを取り戻し始めていた。
リードされるまま、穏やかに足を運んでゆく。
ゆっくりとした曲に合わせて流れる時間。
すると緊張で塗り潰されていた気持ちが再び顔を見せる。
「悩みでもあるのか?」
こんなことをしていてもいいのだろうか。
そんな居心地の悪い焦燥感。
まるでそれを見抜いているかのように、リュートはそう問いかけてきた。
「思うに、この前の件ではなさそうだな」
「…………」
そんなに分かりやすいのだろうか。
彼の察しがよすぎるだけだと信じたい。
「オレに話せそうにないことならそれで構わん」
彼はそう言った。
切り出すきっかけは作っても、無理に掘り返す気はない。
そんな態度で。
「……どちらを選んでも後悔しそうなものと、どう向き合えばいいのかを考えていたんです」
だからだろうか。
思っていたよりも抵抗なく、私の口は開いた。
それでも真に迫らない、抽象的な言葉で濁したものだったけれど。
「なるほど」
わずかに思案するリュート。
ほんの数秒の後、彼は再び言葉を紡ぎ出した。
「そういうときは案外、どちらを選ぶのかは本当に重要なことではないのかもしれないぞ」
どちらを選ぶかは重要ではない。
そんな大前提を覆すような意見を彼は語る。
「もし一方しか選べないという大前提が変えられないのなら――どちらを選んでも悔いが残る選択だというのなら。重要なのはどちらを選ぶのかではなく、どう選ぶかだ」
踊りを止めることなく、彼は話す。
「迷いに追われたまま選んだ答えは、必ず後悔を生む。たとえそれが正解だったとしても――だ」
目の前に2択があったとして。
正しい答えを選べば後悔しない。
そんな虫のいい話はないということなのだろう。
「あの日、違う道を選んでいたら。そう思ってしまうことになる」
それは否定できない。
きっと私はどちらかを選んだとして、それでもきっと後悔するのだろう。
「だから大事なのはどんな選択をするかじゃない。その選択をどこまで信じられるかだ」
ゆえにリュートが語るのは、どちらを選ぶかではない。
「選択が正しかったかどうかなど関係ない。正解であったと信じることが重要なのだ」
それは選んだ道を後悔なく進む方法。
「どの選択が正しかったかなど神にも分からないのだ。他の誰がどう言おうとも、自分が正解だと信じたのならそれが正解だ」
微笑むリュート。
「不正解を正解に変えてしまうほどに信じろ」
彼は言った。
正解を選ぼうと躍起になるのではなく、不正解を正解に変えてしまうほど強く歩めと。
「少なくともオレはそうやって生きてきた」
未来は分からない。
それは当然のことで。
ならば自分の選択が最善であったと信じるしかないということなのだろう。
「明快な答えを用意してやれなくて悪いな」
神妙な空気になりかけていることを察したのか。
リュートはふっと笑みをこぼす。
「いえ……」
私は首を横に振る。
ようやく踏ん切りがついた。
生き方を決めるほどの覚悟はない。
だけどせめて、
「魔王様。実は――」
密偵が魔族領に侵入している。
その事実だけでも伝えよう。
そう決意したとき、
「っと」
そんな軽い調子の声と共に、私の体が浮かぶ。
いや違う。
リュートに抱き上げられたのだ。
いわゆるお姫様抱っこの体勢のまま、私は彼と共に宙を舞う。
ふわりと。それでいて私ではとても真似できない飛距離の跳躍。
「え?」
彼がそんな行動に出た理由は、私の頬に跳んだ血の雫が教えてくれた。
浅い傷が彼の頬に刻まれている。
血が軽く浮かぶ程度の傷。
それでも、この状況ではありえないはずのものだった。
だってここは彼の城なのだから。
「クク……ずいぶんと乱暴なダンスの誘いだな。招待状は持っているのか?」
リュートは私の体をゆっくりと床に下ろす。
そして彼が振り返った先には、1人の男性がたたずんでいた。
彼が手にした剣にはわずかに血液が付着している。
彼がリュートを襲った下手人というわけだ。
「地獄への招待状で良ければ、お前の分は確保してある」
リュートを狙った犯人――ロイは冷たくそう言った。