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第65話

「すごい……」

 扉の向こうから無数の声が聞こえてくる。

 この先にあるであろうホール。

 何度も見たはずなのに、今日ばかりは異世界のように思えてしまう。

 それほどに華やかな雰囲気が漂ってくるのだ。

「画面越しに見るのとは熱気が違うわね」

 臨場感がまるで違う。

 ゲームで見たのはあくまでその一部を切り取った光景にすぎない。

 まさか本物の舞踏会がこれほどのものであったとは。

「来たか」

 そんなことを思っていると、背後から声をかけられた。

 振り返ればそこにはスーツ姿のリュートがいた。

 彼が纏っているのはあくまで正装。

 シンプルなものを正しく着こなしているだけのはず。

 なのに目を奪われてしまう。

 多少ながら下世話な言い方をしてしまえば、すさまじい色気だった。

「似合っているな」

 一方で、彼はさらりとそう私を褒めた。

 もし私が彼の立場だったら、あまりの変貌ぶりに5分ほど放心してしまいそうだというのに。

 このあたりはやはり王というべきか。

 生半可な美姫では彼を動揺させることなど叶わないらしい。

 ……いや、いくら元はエレナの体とはいえ自分を美姫扱いはさすがにちょっと痛いか。

「あ……ありがとうございます」

 あまり長く彼といては挙動不審になってしまいそうだ。

 そう思い、私は頭を下げて振り返る。

「そ、それでは私はお先に――」

 逃げ込むようにそのままホールを目指すが、

「どこへ行くんだ?」

「え?」

 なぜかリュートに止められた。

「今日の主役はお前だぞ?」

 彼はからかい混じりの笑みを見せる。

 そして私の手を取り――

「お前の居場所は、オレの隣だ」



 気が付けば、私はリュートに手を引かれていた。

 どうやら私は別の入り口からホールに入ることになるらしい。

 ――階段を上ってゆく。

 これは……あれだ。

 私の記憶が正しければ、ここはホールの奥――玉座がある場所へと続いている。

 おそらく玉座から入場し、階段を降りながらホールへと移動するパターンだ。

 しかもリュートと並び歩きながら。

 ……周囲の視線を一身に浴びながら。

(緊張で胃が痛い……)

 扱いが完全に主役である。

「こういった場には慣れていないのか?」

「はい……」

 もはや隠す意味さえないだろう。

 私はこくりと頷く。

 彼は私がエレナでないことを知っている。

 だから私の様子から、舞踏会に参加するような人物でなかったことを察したのだろう。

「まあ安心しろ。いきなりスピーチなどさせるつもりはないからな」

(そんなことさせられたら一生モノの黒歴史を作っちゃいそうね)

 泣きながら逃走する自信がある。

「今回の目的はあくまでお前の存在と立ち位置を周知させることだからな。紹介を終えたら、一曲オレと踊って済ませればいい」

「あ……ありがとうございます」

 婚約者候補への任命は私を守るため。

 そのためにも私を目立たせることは必須だったのだろう。

 意地悪ではないはずだ。

 多分。

「ん……? 踊る?」

 少し落ち着いてきたせいだろうか。

 私は彼の言葉に聞き捨てならないワードが含まれていることに気付いてしまった。

「当然だろう? 舞踏会なのだからな」

 当然のようにそう返すリュート。

 そう、当然である。

 そんなことも想像していなかった私が馬鹿だったというだけで。

(私、踊ったことないんだけど!?)

 今時、日本で舞踏会なんてない。

 仮にあったとして、一般人が参加するようなものじゃない。

 そうなれば必然、私が躍り方を知っているはずもないわけで。

(リリもまさか私がまったく踊れないだなんて思わないわよね……)

 リリが知っているのはあくまでエレナ=イヴリスの情報。

 貴族令嬢ならダンスくらいできると思うのが当然だ。

 仮に付け焼刃であったとしても、彼女に踊りを教えてもらっておけばよかった……。

「あのぉ……」

「どうした?」

「踊らないとダメですか……?」

「そうだな。さすがに紹介してそのまま別行動というのは外聞が悪いだろうな」

(ですよねぇ)

 婚約者候補に選ぶ。その本質は、リュートがエレナを重用していると示すこと。

 もしすぐに別行動となれば、候補に選ばれた事実が形だけでしかないことが見え見えだ。

 少なくとも今日くらいは親密な様子を見せておく必要がある。

 理屈では分かっているのだが――


「それとも、いっそ一緒に抜け出してみるか?」


 彼は私の腰に手を回し、そうささやいた。

 いつもとは違う甘い声。

 一瞬で脳がショートしてしまいそうになった。

「だだだ大丈夫ですっ」

 慌てて距離を取る。

 リュートもそれを引き止めはしない。

 危なかった。

 もし本人が目の前にいなかったら、聖魔のオラトリオファンとして奇行を抑えきれなかったかもしれない。

 眼前に本物のリュートがいたからなんとか理性をつなぎとめられた。

 もっとも、そもそもの原因は彼なのだが。

「たとえダンスに不慣れでも気にしなくていい。足を踏んだくらいで怒りはしない」

(事ここに至ったらどうにでもなれ――ってことね)

 ここでゴネても仕方がない。

 観念して私は彼の隣を歩く。

「そろそろ行くか」

「……はい」

 どうやら私の推測は正しかったようで、扉の向こう側には玉座があった。

 2つの玉座。

 そこから伸びる階段の先には数十人の魔族がいた。

 見知った顔もいれば、まったく記憶にない魔族もいる。

 おそらく今日のため遠方から城を訪れた魔族もいるのだろう。

(あ……アンネローゼがいる……リリもいるなぁ)

 現実逃避のように顔見知りを探す。

 大量の取り巻きに囲まれたアンネローゼ。

 メイドとして動き回っているリリ。

 眼下に見える2人が羨ましい。

 一斉にこちらに向けられた視線を感じながら、切にそう思う。

(あぁ会社の研修を思い出してきた)

 1人ずつ前に出て大声で社訓を叫ばされて。

 もし声が小さければ――がががががが。

「――ラルストン家の反逆。そして女神からの刺客による襲撃」

 私が過去のトラウマを刺激されている間にも、リュートが話をしている。

 その姿はまさに演説。

 彼の言葉に。身振りに。

 この場にいる全員が注目している。

 カリスマ。

 そう呼べるものを現実で初めて見せられた。

「その両方において、彼女は献身的にオレを助けた」

 彼の話題はどうやら私のことについてのようだった。

「彼女の働きには相応の評価が必要であろう」

 ああ、分かる。

 彼が私を婚約者候補に加えた理由が。

 この場で、彼のカリスマをもって宣言されたのなら嫌でも納得させられてしまう。

 自分が語れば彼らを納得させられる。そんな確信がリュートにはあったのだ。

 少なくとも彼の話を聞いた魔族の中に、私を軽視できる者はもういないことだろう。

「そこで、彼女――エレナ・イヴリスをオレの婚約者候補に加えることとする」

 そう言って、彼は私の肩を抱いた。

 聞こえてくる拍手。

 それはアンネローゼのものだ。

 婚約者候補筆頭である彼女が先陣を切った。

他ならぬ彼女が私を候補として認めた。

 その事実も大きかったのだろう。

 拍手の輪は徐々に広がり、すぐにホールが拍手で包まれた。

 ――本来であれば不平が出てもおかしくない場面。

 私が稀代の悪女とされていることを思えば、そうなることが自然だ。

 なのにそれを無理やりに納得させてしまうだけの風格。

 これが王ということなのだろう。

「諸君も、長話ばかりではつまらないだろうからな」

 リュートが軽く手を挙げれば一斉に拍手が消えてゆく。

「そろそろ開幕としようか」

 彼の言葉を合図に音楽が始まってゆく。

 録音を流しているのではない。

 用意された楽団が一斉に音楽を奏で始めたのだ。

 きっとあれも超一流の人たちなんだろうなぁ……なんて現実逃避ができるわけもなく。

(は……始まってしまった)

 音楽が始まるということは当然、ダンスが始まるというわけなのだ。

「それでは……レイナ。オレと踊ってくれないか?」

「ぇっ!?」

 リュートが私を抱きよせ――耳元でそうささやいた。

(ひ……人前でそっちの名前を呼ぶの!?)

 リュートは私の本当の名前を知っている。

 だが、彼がその名前を呼ぶのは2人きりの時だけだったというのに。

 思わず周囲を気にしてしまう。

「安心しろ。この距離では誰にも聞こえはしない」

 しかしリュートは気にした様子もない。

 たしかに階下の魔族たちとは距離が離れているし、あくまでささやいただけ。

 聞かれている可能性はほぼないだろう。

「初めてのダンスの誘いくらいはこちらの名前でしておきたかったからな」

「ぅ」

 変な声が漏れてしまった。

 彼の胸の中で、目を泳がせることしかできない。

 まったく、そういうのは心臓に悪いのでやめて欲しい。

 だって、

「それで……踊ってはくれないのか?」

「ぇ……ぁ……よろしくお願いします」

「――喜んで」

 リュートの手を握る。

 そのまま彼にリードされ私の体は音楽の波に乗ってゆく。

 居心地の悪い緊張感はいつのまにか消えていた。


 まったく、そういうのは心臓に悪いのでやめて欲しい

 だって、

 だって、勘違いしてしまいそうになるではないか。

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