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第61話

 結論から言えば、リリの休暇は許可されたらしい。

 そのままの足で彼女はアンネローゼを外出に誘った。

 リリの提案は、どこかで私にお礼をしたいと考えていた彼女の思惑と一致していたらしく順調に外出の予定が決まった。

 あれよあれよという間に決まってゆく物事。

 なんというかフットワークが軽い。

 これが若さなのだろうか。

 肉体はともかく、精神的には彼女たちより年を取ってしまっているという事実は嫌なところで感じてしまった。

 そんなこんなで迎えたお出かけ当日――

「お、おいしいですっ……!」

 頬を手で押さえ、満面の笑みを見せるリリ。

 あそこまで全身で幸せを表現されたら、見ているだけで微笑ましい気持ちになってくる。

「そうね」

 私も彼女ほどのオーバーリアクションではないものの、自然と頬を緩める。

 ――私たちがいるのは、以前にもアンネローゼに連れられたことのあるカフェだ。

 二度目ならその味が色あせるのかといえばそんなことはない。

 舌から伝わるこの幸福は一度や二度で慣れるものではないのだ。

「…………」

 私の視線が自然と窓へと向かう。

 ここは私がソーマと以前に訪れた部屋。

 そして、ラルストン家の刺客から襲撃を受けた場所だ。

 その際に窓は壊され、室内はアンネローゼの氷で満たされていたはず。

 しかしこの部屋にはもはやそのような痕跡はない。

 窓はもちろん、床や天井にも傷や染みらしきものはなかった。

(それだけ、私がこの世界に来てから時間が経ったということよね)

 この世界には季節という概念がないためあまり実感が湧かないが、すでに私がこの世界を訪れてから数か月が経とうとしている。

 長い、とまではいえない期間かもしれない。

 だがやはり短いというには色濃い生活だった。

「そういえば、ここはソーマ様といらっしゃった場所でしたわね」

 そんな私の視線に気づいたのだろう。

 アンネローゼがそう微笑んだ。

 彼女の言葉に慌てたのはリリだ。

「あわわわわわわわわアンネローゼ様ぁっ!?」

 彼女は両手を振り乱しながら何かを誤魔化そうとしている。

 どうやら彼女の中で、私にソーマの話題を振るのはタブーと化しているらしい。

 もちろんそんな事実はないのだけれど。

「リリ。ここは騒ぎ立てていい類のお店ではなくてよ?」

「で、ですが――」

「そもそもリリ。勘違いしているようだけど、エレナ様はソーマ様に恋情を抱いていたわけではないわよ」

「へ?」

 アンネローゼの言葉を受けリリが固まった。

 もしここが漫画やアニメであったのなら、ピシリと効果音が入っていたかもしれない。

 それくらい完全に硬直していた。

 よほど彼女の言葉が意外だったらしい。

「少なくともわたくしにはそう見えましたわ」

 そうアンネローゼが視線を向けてくる。

「だとしたら、過度に気を遣うのもどうかと思いますわ」

 私が頷き返せば、彼女は優雅な所作で紅茶を口に運んだ。

「エレナちゃんってソーマさんのことが好きだったんじゃ……」

「どちらかというと年の離れた弟みたいな感覚ね」

 誤解を解く良い機会だ。

 だからこそ誤解なきようそう答える。

「……ほぼ同い年じゃないですか」

「…………」

(実際の年齢は違うのよ……)

 ソーマは高校生。

 私は社会人――(自主規制)――年生。

 親子とまではいかない。

 だが姉弟としては離れているといえるくらいには歳の差があるのだ。

 悲しいことに。

「リリの想像が的外れだったとして、悩みがあるのは間違いなさそうですわね」

「え?」

 そんなことを考えたせいだろうか。

 アンネローゼから向けられた思わぬ言葉に動揺してしまう。

 表情には出していないつもりだったのだが。

 このあたりは貴族令嬢として腹芸もこなす彼女が何枚も上手だったということだろうか。

「エレナちゃんっ。悩みがあるんですかっ!?」

「え、ま、まあ……魔王様の婚約者候補になったことなんかは――あっ」

 リリからの質問に答えるくらいの軽い気持ちでポロリとこぼれた言葉。

 しかし思い出す。

 アンネローゼがどういう立場の魔族であったのかを。

「……へぇ」

 アンネローゼの口から漏れたのは底冷えのする声だった。

 彼女はリュートの婚約者候補筆頭。

 私が婚約者候補になるというのは、ある意味でライバル宣言に等しいのだ。

「あ、アンネローゼ様ぁ……?」

(空気が冷たくなってる……!)

 彼女が発する魔力のせいか、はたまた恐怖に覚える私の錯覚か。

 部屋の温度が下がっているような気がした。

「エレナ様」

「ひゃ……はい」

 思わず声が裏返ってしまった。

 ――椅子に座っていてよかった。

 そうでなければ今頃、腰を抜かしてしまっていたかもしれない。

「魔王様の婚約者候補になられましたの?」

「はい……なりました……はい」

 私の目は右往左往と泳ぎ回りアンネローゼの元へと向かうことはない。

 ただコクコクと頷くことしかできない。

「……そうでしたか」

 アンネローゼはほとんど音を立てることなく紅茶のカップを置く。

「ええ。ええ。構いませんわ。まったくもって構いませんことよ」

 それはきっと、どう考えても構う人のセリフである。

 なんてツッコミができるはずもなく。

「――候補である限りは、ね」

「ひぇ……!」

 ぎろりと向けられた冷たい視線に震えあがることしかできなかった。


「なんて冗談ですわ」


 そう言って、再び優雅に紅茶を呑み始めるアンネローゼ。

「へ?」

 あまりにも唐突な変わりよう。

 とはいえ彼女の態度に嘘は見えない。

 激しい温度差に私は戸惑うことしかできない。

 そんな私を見て、彼女は微笑む。

「魔王様の幸せのためならば、その隣にいる者がわたくしである必要はありませんわ」

 彼女はそう口にした。

「仮にそれが貴女だというのなら、わたくしはそれで構わない」

 少し寂しそうに。

 それでいて明確な意思を目に宿して。

 彼女はそう言った。

「どうしても魔王様の隣にいたいのなら、わたくしが彼にとって一番になれるよう努力するだけのこと」

(……すごいなぁ)

 自分に最愛と呼べる人がいて。

 そこまで純粋にその人の幸せを願えるだろうか。

 命を懸けられるほど大切な人を、諦めることができるだろうか。

 邪魔してしまいたいと……魔が差したりしないだろうか。

 私には自信が持てなかった。

「しかし、そうなるとドレスの準備が必要ですわね」

「え?」

 話題の動きについていけず、私は困惑している。

 ――アンネローゼに呆れられた気がする。

 ちょっと悲しい。

「婚約者候補として舞踏会に出るのでしょう? なら、相応の格好をしなければならないでしょう?」

「あー」

 それは確かに私も感じてはいたことだ。

 逆に言えば、感じていただけでリリに丸投げするつもりだった案件だけれど。

 舞踏会なんてファンタジーなイベント、私にはまったく経験がないのだ。

 相応の格好なんて分かるはずもない。

「魔王様の顔に泥を塗るわけにはいきませんもの。今度、わたくしが贔屓にしている店を紹介いたしますわ」



「今日はありがとうございました」

 カフェからの帰り道。

 私はアンネローゼに礼を伝えた。

「構いませんわ。わたくしも随分と心配をかけてしまいましたから」

 反魔王派の件については、私ができたことなんて微々たるものだ。

 それでも彼女はそう言った。

 なんというか過大評価に申し訳なくなってしまう。

「舞踏会の件についてもですが、今後も遠慮なく相談してくださって構いませんわ」

 あれからアンネローゼにいくつかの店を紹介された。

 ドレス。そして装飾品を取り扱う店。

 彼女が懇意にしているだけあって、リリ曰くどれも超一流の店らしい。

 今日はさすがに難しいとして。

 後日、それらの店から私に似合うドレスを見繕ってもらえるらしい。

 ……正直、途中からよく分からなかったのでリリに任せてしまったけれど。

 冠婚葬祭なんて数えるくらいしか経験していないのだ。

 しかもスーツじゃなくてドレスなんて勝手が全然分からない。

 これは仕方がないことなのだと自分に言い訳することにした。

「もちろん用事がなくても歓迎するわ」

「ありがとうございます」

 身の回りの世話はリリがしてくれるが、そういう貴族としての振る舞いとなればアンネローゼに頼る部分が大きい。

 舞踏会も、面倒を避けるため彼女の腰巾着にでもなっておこうか。

 そうすれば多少は気楽にすごせるかもしれない。

「っ」

 舞踏会での生存戦略が固まった頃。

 話ながら歩いていたせいだろうか。

 すれ違った男性とわずかに肩がぶつかってしまった。

「っと、悪い」

「いえ、こちらこそ前を見ていなくてすみま……」

 反射的に私は男性に向かって謝罪する。

 どうやら向こうもこちらのほうを振り向いていたらしい。

 だから、目が合った。

 合ってしまった。

「「――――」」

 固まる体。

 止まる時間。

(うそ……)

 そこにいたのは長身の男性だった。

 筋肉質な腕を見るだけで、彼が日頃から鍛えていることが分かった。

 少し長めの黒い前髪。

 そこから望む顔立ちは精悍で、男性的な美しさを感じさせる。

 だけどそれは問題じゃない。

 彼は、


(ロイ=バックス……!?)


 彼は聖魔のオラトリオの攻略対象――本来であれば聖王国にいるはずのキャラクターなのだから。

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