対峙するリュートと黒装束の男。
緊迫した空気の中、戦いは始まった。
「くそッ」
悪態混じりに駆け出す黒装束。
その表情は鬼気迫っており、私たちを相手にしていた時の余裕はない。
彼は濃密な殺気をまとっているのに、どちらが追い込まれているのかは明白だった。
黒装束は目に見えぬ速度でリュートとの距離を詰め、一気に刀を振り抜いた。
「ほう、良い腕だ」
しかしリュートはわずかに身を反らしただけ。
刀の先端が彼の前髪を揺らした。
黒装束の渾身の一撃は、たったそれだけであしらわれる。
「はぁ!」
黒装束は刀を振り抜いた勢いのままその場で回転する。
彼は軽く跳ぶと、回転の勢いを乗せたまま刀をリュートの脳天に振り下ろした。
リュートは片足を下げ、斬撃の軌道を最小限の動作で躱す。
「このあたりの庭園はリリがよく手入れしてくれているものでな」
リュートの余裕は崩れない。
彼は手を伸ばし――
「花を巻き込まぬよう戦ってもらおうか」
黒装束の刀を、指先で挟み込むようにして掴んだ。
振り下ろされていた刀が一瞬で動きを止める。
――切っ先が庭園の花に触れる直前に。
「ッ!?」
黒装束が動揺を見せた。
もはやこの勝負は勝ち負けを争うものではない。
リュートにとっては、庭園の花を気遣うことさえ苦でないほどの彼我の差。
その実力差では戦いなど成立しない。
「もうよい」
嘆息するリュート。
彼が左手を開く。
左手を起点に黒炎が伸び、それはやがて剣となる。
「ッ」
命の危機を感じたのだろう。
黒装束は掴まれていた刀を放り捨て、その場から逃げ出す。
振り返ることさえしない無様な逃走。
だが――
「遅い」
リュートが軽く剣を横薙ぎに振るう。
体重も乗せていない、腕の力だけの一閃。
本来であれば、そこに敵を切り裂くだけの威力はない。
「消えろ」
直後に爆炎が巻き上がる。
剣という指揮棒に触発されたかのように、舞い上がった黒炎が黒装束を飲み込んだ。
現実味を感じさせないほどに激しい火柱。
だが、そのすべてはリュートの制御下にあるのだろう。
降りかかる火の粉が庭園に燃え移ることはなかった。
「魔王様……」
茫然とリリがつぶやく。
先程の攻防の衝撃が強かったのか、彼女は口を半開きにしたままリュートの姿を見つめている。
もっとも、私も似たような表情をしているのかもしれないけれど。
「どうしてここに……」
私がそう口にしたのが聞こえたのだろう。
リュートはこちらに向き直り、ククと笑う。
「お前たちに自力で解決することをうながした手前、いざというときはオレが責任を取らねばな。離れたところですべて見ていた」
「それでリュ……魔王様が自ら……?」
なんでもなさそうに語るリュート。
しかし、彼は王なのだ。
他の魔族が彼に尽くす義務があろうとも、彼が民に身を捧げる理屈はない。
彼が自ら個人を見守るなんて、普通ではない。
彼の立場を思えば考えられないことだ。
「本来なら部下をつけてもよかったが、今のお前はまだ信頼が足りない。不穏分子を消そうと、お前を見殺しにする可能性があったからな。オレ自身が動いたほうが確実だった」
リュートはそう語る。
たしかに彼の言う通りなのかもしれない。
王からの命令とあれば、彼の部下は従うだろう。
しかし、エレナ=イヴリスが城に居座ることが魔王のためにならないと考えたら?
王を思うあまり、事故を装って私を見捨てる可能性は――あるだろう。
直接害することはなくとも、都合よく死んでくれたらと思う者がいてもおかしくはない。
私のそんなデリケートな立ち位置を考え、リュートは自分で動くことにしたのだ。
「だからといって、表立ってオレがついてきては意味がない。だから、荒事にならない限り見ているだけの予定だったんだがな」
リュートは肩をすくめる。
……思いきり荒事に発展させてしまった身としては、少しばかり気まずい。
「なるほど……」
なかば無意識に同意の言葉を口にした。
先程まで命の危機を迎えていたせいか脳内はパニック状態であり、いまいち思考がまとまらない。
夢見心地というか、脳が現実の出来事であると理解することを拒んでいる感覚だ。
「ところで、お前はどうなんだ? 弁明はあるか?」
リュートの視線が向けられた先。
それは茫然と座り込んでいるセラだった。
事態に頭が追いつかなかったのか。
メリッサについていっても殺されるだけと思ったのか。
あの戦いの中、セラはその場にとどまり続けていた。
「あ……ぁ……」
歩み寄るリュートに動揺しているセラ。
彼女もただのメイドしかない。
魔王たる彼と一対一で対峙する機会などありはしなかっただろう。
彼という圧倒的な存在にセラは呑み込まれていた。
「おと、弟が人質に取られているんです……!」
そんな中、彼女が選択したのは頭を地面に擦りつけることだった。
「罪はすべて認めます! 罰も受けます! だから弟だけは――!」
自分のためではなく、家族のために。
あっさりと生存を諦め、それでも家族の助命を願った。
「ふむ」
足を止めるリュート。
彼は顎に手を当て思案する。
「弟とやらがいるのはあれか?」
そして彼は目を細めると、近くの小屋へと視線を向けた。
状況からの判断か。
彼はすぐに人質の居場所を看破してしまった。
「は、はいっ……!」
セラは顔面蒼白になりながら首を縦に振る。
状況を思えば、生きた心地がしないだろう。
そこばかりはわずかに同情してしまう。
「なるほど」
必死なセラの隣をすり抜け、リュートは小屋へと歩いてゆく。
そして彼は扉の前で立ち止まる。
「こんなボロ小屋には不相応な術式が刻まれているようだな」
彼は笑みをこぼす。
どうやらあの小屋は魔術で封じられているらしい。
だから、セラは力ずくで開けようとせずにメリッサに従っていたのだ。
私の目からは、その術式とやらはまったく分からないけれど。
「術式の解体は専門外だな」
特に焦る様子もなく笑うリュート。
「力ずくで壊してもいいが、それでは中が無事では済まないだろうな」
彼は手にしていた剣を見つめ、肩をすくめる。
彼が剣を放り投げれば、剣は黒い粒子となり空気に溶けていった。
たしかにラスボスとしての力を振るえば、普通の魔族が用意した魔術など簡単に破壊できるだろう。
だが過剰戦力すぎる。
彼が語る通り、中にいるセラの弟を巻き込んで小屋は消滅することだろう。
「術式の解除が得意な奴を呼ぶか」
小屋に背を向けるリュート。
彼が部下を動員すれば、中の安全を確保したまま小屋を解放できることだろう。
そこに疑いはない。
「待ってください」
だが、私は彼に声をかけた。
「ん?」
まさか呼び止められるとは思わなかったのだろう。
怪訝な表情でリュートがこちらを向く。
「私に任せてもらえませんか……?」
私は胸に手を当て、彼に言葉を紡ぐ。
正直なところ絶対の確信はない。
それでも行動に移した理由は2つ。
(原作ではすぐに人質を助けられた。救助までに時間をかけてしまうと、どうなるか分からない)
1つは、セラの弟の状態が分からないこと。
原作ではソーマがあっさりと小屋の封印を破壊してしまった。
――彼はその設定上、魔族に対して圧倒的な優位を持つのだ。
だからリュートのように中を巻き込むリスクもなく、人質をすぐに救出できた。
だが今回は違う。
術式の解体にどれほど時間がかかるのかは分からない。
しかし、その数分で人質の状態が悪化するようなことがあれば?
悔やんでも悔やみきれない。
(私なら――)
そして2つ目の理由。
それは、私の価値を示すこと。
ここにいてもいいのだと、そう思ってもらえるだけの価値を示すこと。
同情や慈悲ではなく、実利に従ってここで生きることを許してもらえるように。
――示すことにしたのだ。
「私なら、どうにかできるかもしれません」
私が持つ、もう1つの価値を。