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第10話

 対峙するリュートと黒装束の男。

 緊迫した空気の中、戦いは始まった。

「くそッ」

 悪態混じりに駆け出す黒装束。

 その表情は鬼気迫っており、私たちを相手にしていた時の余裕はない。

 彼は濃密な殺気をまとっているのに、どちらが追い込まれているのかは明白だった。

 黒装束は目に見えぬ速度でリュートとの距離を詰め、一気に刀を振り抜いた。

「ほう、良い腕だ」

 しかしリュートはわずかに身を反らしただけ。

 刀の先端が彼の前髪を揺らした。

 黒装束の渾身の一撃は、たったそれだけであしらわれる。

「はぁ!」

 黒装束は刀を振り抜いた勢いのままその場で回転する。

 彼は軽く跳ぶと、回転の勢いを乗せたまま刀をリュートの脳天に振り下ろした。

 リュートは片足を下げ、斬撃の軌道を最小限の動作で躱す。

「このあたりの庭園はリリがよく手入れしてくれているものでな」

 リュートの余裕は崩れない。

 彼は手を伸ばし――

「花を巻き込まぬよう戦ってもらおうか」

 黒装束の刀を、指先で挟み込むようにして掴んだ。

 振り下ろされていた刀が一瞬で動きを止める。

 ――切っ先が庭園の花に触れる直前に。

「ッ!?」

 黒装束が動揺を見せた。

 もはやこの勝負は勝ち負けを争うものではない。

 リュートにとっては、庭園の花を気遣うことさえ苦でないほどの彼我の差。

 その実力差では戦いなど成立しない。

「もうよい」

 嘆息するリュート。

 彼が左手を開く。

 左手を起点に黒炎が伸び、それはやがて剣となる。

「ッ」

 命の危機を感じたのだろう。

 黒装束は掴まれていた刀を放り捨て、その場から逃げ出す。

 振り返ることさえしない無様な逃走。

 だが――

「遅い」

 リュートが軽く剣を横薙ぎに振るう。

 体重も乗せていない、腕の力だけの一閃。

 本来であれば、そこに敵を切り裂くだけの威力はない。

「消えろ」

 直後に爆炎が巻き上がる。

 剣という指揮棒に触発されたかのように、舞い上がった黒炎が黒装束を飲み込んだ。

 現実味を感じさせないほどに激しい火柱。

 だが、そのすべてはリュートの制御下にあるのだろう。

 降りかかる火の粉が庭園に燃え移ることはなかった。

「魔王様……」

 茫然とリリがつぶやく。

 先程の攻防の衝撃が強かったのか、彼女は口を半開きにしたままリュートの姿を見つめている。

 もっとも、私も似たような表情をしているのかもしれないけれど。

「どうしてここに……」

 私がそう口にしたのが聞こえたのだろう。

 リュートはこちらに向き直り、ククと笑う。

「お前たちに自力で解決することをうながした手前、いざというときはオレが責任を取らねばな。離れたところですべて見ていた」

「それでリュ……魔王様が自ら……?」

 なんでもなさそうに語るリュート。

 しかし、彼は王なのだ。

 他の魔族が彼に尽くす義務があろうとも、彼が民に身を捧げる理屈はない。

 彼が自ら個人を見守るなんて、普通ではない。

 彼の立場を思えば考えられないことだ。

「本来なら部下をつけてもよかったが、今のお前はまだ信頼が足りない。不穏分子を消そうと、お前を見殺しにする可能性があったからな。オレ自身が動いたほうが確実だった」

 リュートはそう語る。

 たしかに彼の言う通りなのかもしれない。

 王からの命令とあれば、彼の部下は従うだろう。

 しかし、エレナ=イヴリスが城に居座ることが魔王のためにならないと考えたら?

 王を思うあまり、事故を装って私を見捨てる可能性は――あるだろう。

 直接害することはなくとも、都合よく死んでくれたらと思う者がいてもおかしくはない。

 私のそんなデリケートな立ち位置を考え、リュートは自分で動くことにしたのだ。

「だからといって、表立ってオレがついてきては意味がない。だから、荒事にならない限り見ているだけの予定だったんだがな」

 リュートは肩をすくめる。

 ……思いきり荒事に発展させてしまった身としては、少しばかり気まずい。

「なるほど……」

 なかば無意識に同意の言葉を口にした。

 先程まで命の危機を迎えていたせいか脳内はパニック状態であり、いまいち思考がまとまらない。

 夢見心地というか、脳が現実の出来事であると理解することを拒んでいる感覚だ。

「ところで、お前はどうなんだ? 弁明はあるか?」

 リュートの視線が向けられた先。

 それは茫然と座り込んでいるセラだった。

 事態に頭が追いつかなかったのか。

 メリッサについていっても殺されるだけと思ったのか。

 あの戦いの中、セラはその場にとどまり続けていた。

「あ……ぁ……」

 歩み寄るリュートに動揺しているセラ。

 彼女もただのメイドしかない。

 魔王たる彼と一対一で対峙する機会などありはしなかっただろう。

 彼という圧倒的な存在にセラは呑み込まれていた。

「おと、弟が人質に取られているんです……!」

 そんな中、彼女が選択したのは頭を地面に擦りつけることだった。

「罪はすべて認めます! 罰も受けます! だから弟だけは――!」

 自分のためではなく、家族のために。

 あっさりと生存を諦め、それでも家族の助命を願った。

「ふむ」

 足を止めるリュート。

 彼は顎に手を当て思案する。

「弟とやらがいるのはあれか?」

 そして彼は目を細めると、近くの小屋へと視線を向けた。

 状況からの判断か。

 彼はすぐに人質の居場所を看破してしまった。

「は、はいっ……!」

 セラは顔面蒼白になりながら首を縦に振る。

 状況を思えば、生きた心地がしないだろう。

 そこばかりはわずかに同情してしまう。

「なるほど」

 必死なセラの隣をすり抜け、リュートは小屋へと歩いてゆく。

 そして彼は扉の前で立ち止まる。

「こんなボロ小屋には不相応な術式が刻まれているようだな」

 彼は笑みをこぼす。

 どうやらあの小屋は魔術で封じられているらしい。

 だから、セラは力ずくで開けようとせずにメリッサに従っていたのだ。

 私の目からは、その術式とやらはまったく分からないけれど。

「術式の解体は専門外だな」

 特に焦る様子もなく笑うリュート。

「力ずくで壊してもいいが、それでは中が無事では済まないだろうな」

 彼は手にしていた剣を見つめ、肩をすくめる。

 彼が剣を放り投げれば、剣は黒い粒子となり空気に溶けていった。

 たしかにラスボスとしての力を振るえば、普通の魔族が用意した魔術など簡単に破壊できるだろう。

 だが過剰戦力すぎる。

 彼が語る通り、中にいるセラの弟を巻き込んで小屋は消滅することだろう。

「術式の解除が得意な奴を呼ぶか」

 小屋に背を向けるリュート。

 彼が部下を動員すれば、中の安全を確保したまま小屋を解放できることだろう。

 そこに疑いはない。

「待ってください」

 だが、私は彼に声をかけた。

「ん?」

 まさか呼び止められるとは思わなかったのだろう。

 怪訝な表情でリュートがこちらを向く。

「私に任せてもらえませんか……?」

 私は胸に手を当て、彼に言葉を紡ぐ。

 正直なところ絶対の確信はない。

 それでも行動に移した理由は2つ。

(原作ではすぐに人質を助けられた。救助までに時間をかけてしまうと、どうなるか分からない)

 1つは、セラの弟の状態が分からないこと。

 原作ではソーマがあっさりと小屋の封印を破壊してしまった。

 ――彼はその設定上、魔族に対して圧倒的な優位を持つのだ。

 だからリュートのように中を巻き込むリスクもなく、人質をすぐに救出できた。

 だが今回は違う。

 術式の解体にどれほど時間がかかるのかは分からない。

 しかし、その数分で人質の状態が悪化するようなことがあれば?

 悔やんでも悔やみきれない。

(私なら――)

 そして2つ目の理由。

 それは、私の価値を示すこと。

 ここにいてもいいのだと、そう思ってもらえるだけの価値を示すこと。

 同情や慈悲ではなく、実利に従ってここで生きることを許してもらえるように。

 ――示すことにしたのだ。

「私なら、どうにかできるかもしれません」

 私が持つ、もう1つの価値を。


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