「リリっ……!?」
私は自分の迂闊さに歯噛みした。
目の前に立っているのは黒装束の男。
雰囲気としては暗殺者や忍者といった、影で動く人間を思わせる。
想像でしかないが、おそらく密会を覗く人間を排除するために配置されていたのだろう。
(完全に失敗した……)
たしかに私たちは事件の真相を追っていた。
だが失念していたのだ。
逃げる側も私たちを警戒し、反撃の手を準備しているであろうことを。
その結果がこれだ。
リリは黒装束に捕らわれ、私たちは窮地に追いやられた。
「なんなの!?」「どうしたんですか!?」
背後から声が聞こえてくる。
慌てた様子でメリッサとセラがこちらに駆けてきていた。
(やば……気付かれた)
冷や汗が頬を伝う。
前方には黒装束の男。
背後にはメリッサとセラ。
どこにも逃げ場はなく、助けを求めることもできない。
状況はもはや詰んでいた。
最初からそのつもりはないが、仮にリリを見捨てて逃げたとしても間に合わないだろう。
私たちの命運はほとんど尽きたといっていい。
「エレナちゃ……逃げ……」
息も絶え絶えにリリがそう絞り出す。
酸欠のせいか彼女の顔色は悪い。
それでも彼女は私の身を案じていた。
「まさか、こんなところを見られるなんてね」
メリッサがうんざりとした様子でつぶやく。
彼女は不快そうにセラを睨んだ。
「あなた、尾行されていたんじゃないの?」
「な……!?」
メリッサの指摘に狼狽するセラ。
――セラはメリッサに人質を取られている。
そんな彼女からすると、メリッサの機嫌を損ねるのはかなり困るはず。
「はぁ、使えない駄犬ね」
メリッサは口元を扇で隠す。
その目は嗜虐的に嗤っていた。
「そんな駄犬には……罰が必要よね?」
メリッサの視線が小屋へと向かう。
それが意味することは、あの中に人質がいることを思えば想像できる。
「な!?」
セラの顔が青ざめる。
「そ、それだけはやめてくださいっ」
すぐさま彼女は地面に手をつき、土下座の姿勢を取っていた。
彼女は全身を震わせている。
そこには、リリに嫌がらせをしていたときのような傲慢さは微塵も残っていなかった。
「さあ、どうしようかしら?」
メリッサは扇を閉じて悪辣に笑む。
(最悪の状況ね……)
現在、この場はメリッサによって完全に支配されている。
精神的にも、武力的にも彼女に対抗できる存在はいない。
彼女の気まぐれで、私たちは命を落とすこととなるだろう。
(リリは捕まっているし、逃げてもセラの弟は――たぶん殺される)
もはやメリッサが真犯人である証拠を手に入れたら解決、とはならない。
仮にうまく逃げたとして、事件の真相が明るみに出るころには取り返しのつかない事態となっている。
(そもそも、私じゃ逃げられる気がしないわね)
もっとも、この場で全員が殺される確率が一番高いのだが。
(原作シナリオだったら、ここでソーマが助けてくれるわけだけど)
偶然メリッサの密会を目撃したリリがうっかり見つかってしまい、彼女に殺されそうになったところを攻略対象に救われる。
そんなシナリオだった。
(そもそも彼は魔王城にまだ来てない)
だが、現実として彼はいない。
そしてシナリオ通りなら、彼以外に助けに来る人はいない。
つまり――誰も私たちを助けてはくれない。
「考えてみれば案外、悪い状況じゃないわね」
妖艶にメリッサが笑う。
どうやら、彼女の中で方針が決まったらしい。
「こんな時間帯に、こんな場所に、一番怪しい小娘たちがいるんですもの」
メリッサの目が私とリリを順番になぞってゆく。
「他人の成功が許せない性悪な小娘たちがアンネローゼ様を殺そうと企てた。だけど、ギリギリで決意が揺らいで犯行を断念。これからの暗い未来を憂いて自害――っていう筋書きはどうかしら」
目撃者全員を殺して事態を隠蔽する。
それはある意味でもっとも妥当といえる対応であり、私たちにとっては最悪の結論だった。
「おっと、ならこのまま絞め殺すわけにいかないな」
自殺であるように見せかける必要ができたからだろう。
黒装束の男がそう笑い、リリを解放した。
「ぁ……」
リリは力なく地面に座り込んだ。
限界が近かったのだろう。
彼女は呼吸を荒げることさえなく、衰弱した様子でうなだれている。
「リリっ」
私は思わずリリに駆け寄る。
こんな小娘1人どうにでもなるというつもりか。
メリッサも黒装束の男も、私の動きを妨げはしなかった。
「大丈夫!?」
「ぁ……ぅ……はい……だいじょうぶ……です」
私が肩を揺さぶるとリリがそう答える。
ただ彼女の額は脂汗で濡れていて、すぐに動けるようには思えない。
「よかった……」
安堵の息が漏れる。
(だけど状況は最悪のまま)
だが、これもしょせん延命でしかない。
あと数分足らずに私たちが殺されてしまうという現実は変わらない。
(どうすればいいの……?)
焦りだけが募ってゆく。
考えなければ。
事態を打開する一手を弾き出さねば。
そう思っているのに、焦燥と恐怖で思考が空回りしてゆく。
「悪いけど、遺言を聞いてあげたりはしないわよ」
そして、時間切れとなった。
メリッサが扇を私へと向ける。
「殺りなさ――」
「オレは弁明の機会くらい与えるつもりだったのだがな」
殺せ。
その指示を遮るように声が聞こえた。
それは聞き馴染んだ声であり、このシーンで聞くはずのなかった声。
「――少し、甘すぎたか?」
彼は――リュートは赤い髪を揺らしながらこの場に現れた。
悠然と構え、まるで散歩のついでと言わんばかりの余裕をまとって。
「え……?」
ついに私の脳はフリーズした。
リュートが助けに来るなんてシナリオにはない展開だ。
そもそも、彼は手を貸さないのではなかったのか。
なのに、なぜ彼がここにいる。
こんなピンチに、狙ったように現れるのか。
「魔王様っ!?」
メリッサの声が裏返る。
その狼狽した様子は滑稽ですらある。
彼女の独壇場だった舞台は、一気に覆ってしまった。
「うそ……」
(なんでソーマじゃなくてリュートが助けに来るの!?)
シナリオの流れでそうなったのなら分かる。
私がどうにかこの状況へと誘導したのなら分かる。
だが偶然、こんな人のいない場所に彼が現れるなんて奇跡があるのか。
「それで、どうなんだ?」
リュートはそう笑う。
その視線はメリッサへと向けられていた。
「なにか弁解をしなければならないのではないか?」
その目に怒りは宿っていない。
ほんの少し挑発的に微笑むだけ。
「ぁ……ぁ……そんな……」
それだけでメリッサは何も言えなくなる。
ただ口ごもるばかりで、意味のある言葉を吐けていない。
彼女は足を震わせながら後ずさっていた。
「さっさと逃げろッ……!」
場慣れゆえか。
主の危機だったからか。
最初に声を発したのは黒装束の男だった。
怒声混じりの叫びを受け、メリッサが体をびくりと震わせる。
「っ……」
メリッサは弾かれたように逃げ出した。
こちらに背を向け、何度も転びそうになりながら。
「―――」
そんな彼女を守るように黒装束の男がリュートに立ちふさがる。
男は逆手に刀を構え、リュートを睨みつけた。
「ほう、相手が王と知ってなお退かぬか」
一方でリュートは余裕を崩さない。
黒装束の男はすさまじい殺気を放っており、横から見ているだけで怖気がするというのに。
メリッサが逃げて慌てるのでもなく。
男の殺気を受けて身構えるのでもなく。
ただ自然体で、微笑んでいるだけだった。
「王を前にしても揺るがない主への忠義、褒めてやる」
リュートが男に向かって手を突き出す。
殺気も怒気もそこにはない。
彼は子犬でも愛でるかのように微笑んだまま。
「褒美に、忠臣として死ぬことを赦そう」
それでも彼は――この場における『王』だった。