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第3話

(魔王がなんで生きているの!?)

 私は困惑していた。

 聖魔のオラトリオは乙女ゲームということもあり、プレイヤーの目的は攻略対象と結ばれることだ。

 しかしこの世界の住人という視点で見ると、主人公たちの目的は魔王リュートの討伐だった。

 ゆえに、バッドエンド以外のルートでは魔王は討ち取られ、封印されることとなる。

 基本的に、魔王生存ルートなんてものはないのだ。

「なるほど……これはどうしたものか」

 顎を撫でながら思案するリュート。

 ――エレナは原作において、リュートの敗因となるミスを犯している。

 最終決戦において、彼女は主人公たちに魔王の居場所を漏らしたのだ。

 もちろんそれは善意による行動ではない。

 あえて魔王との戦いをお膳立てすることでノアを死に追いやるという筋書きだったのだ。

 しかし結果として、ノアたちは幸運に助けられながらも魔王リュートを討ち取ってしまった。

 エレナが情報を漏らしたせいで、魔王リュートは万全の状態でノアを迎え撃てなかった。

 彼女の身勝手な企みが、魔王の計算を狂わせたのだ。

 リュートがエレナに怒りを持っていても不思議ではない。

「ぁ――」

「魔王様!」

 どうにか言い訳をしよう。

 喉の痛みに耐えながら声を絞り出そうとしたとき、頭上から声が響いた。

「よくぞお目覚めに!」

 複数人の男性が翼をはためかせながら着地する。

 そして、そのまま男たちはリュートを囲むようにひざまずいた。

 ――魔族だ。

 角、翼、尾など、通常の人類にはない異形の肉体を有する種族。

 彼らは強い力を持っていると同時に、魔王リュートの忠実な部下なのだ。

「ずいぶんと出迎えが早いな」

 愉快そうに笑みを浮かべるリュート。

「貴方様が戻られることを、我々は心から信じておりましたが故」

 しかし魔族たちは、この程度のことは当然とばかりの態度を示す。

 いや、リュートに心酔している彼らにとって、この程度の献身は本当に当然のことなのだろう。

「そうか。オレも無理な蘇生で消耗している。帰り道の用意は任せていいな?」

「御意!」

(今の空気にまぎれて逃げ――)

 魔王たるリュートからの指示に、感激したように答える魔族たち。

 今、この場の誰の注意も自分には向けられていない。

 逃げるならこのタイミングしかない。

 そう思って静かに後退をしたのだが――失敗した。

 偶然にも木の枝を踏みつけてしまったのだ。

 枝の折れる乾いた音は、思いのほかこの場では目立ってしまった。

「な……!?」

「お前は……!」

 音に引かれるように、魔族の目が私を射抜いた。

 リュートのことばかりが気にかかり、本当に私の存在など気付いてもいなかったのだろう。

 魔族たちの目が驚愕に見開かれ――すぐに怒りへと切り替わった。

「がっ……!?」

 首に衝撃。

 そして私の両足が地面から離れる。

 なんの反応を示す間もなく、私は魔族の1人に首を絞められていた。

「この疫病神が! お前が足を引っ張らねば、我が君がここまで手をわずらわされることなどッ……!」

「ぁ、が……」

 今にも食い殺しそうな形相で魔族が私を睨む。

 敬愛する魔王の覇道に泥を塗った存在。

 彼の目には、私がそう映っているのだろう。

 人からも魔族からもここまで嫌われるとは。

 ヘイト役のキャラとしては上出来なのかもしれないが、その代償を請求される立場にされてはたまったものではない。

 だが、元来として人間は魔族に敵わない。

 大勢で取り囲むか、ゲームの主要キャラのような一部の天才の力を借りるか。

 それだけが、人間が魔族に勝つ手段なのだ。

 私がいくら身をよじっても、締まった喉は空気を吸い込めない。

「まあ待て」

 ホワイトアウトしていく視界。

 そんな窮地を終わらせたのは、他ならぬリュートの一声だった。

 私の首を絞めていた力が緩む。

 いぜんとして魔族は私の首を掴んでいるが、なんとか呼吸できる状態となった。

 私は肩を上下させながら酸素を肺に取り込む。

「この際、お前が私怨に任せて暴走したことはもう良い」

「ですが……」

 ククと笑い、リュートが私に語りかけてくる。

 一方、魔族は主の言葉に難色を示していた。

 自分が抱いている憤怒と、主の思わぬ反応とのギャップを飲み込めていないのだろう。

「お前は、オレが小娘のミス程度で負けたと言いたいのか?」

「いえ! そのようなことは……!」

 からかうようにそうリュートが言えば、魔族は慌てて首を横に振る。

「オレは、オレの敗北の責任を他者に求めるつもりはない」

 リュートがこちらに歩み寄ってくる。

 彼が語る通り、その目に怒りの感情は見えない。

「とはいえ、見られると困るものを見られたのも事実だ」

 だが、私は魔王リュートが生きていることを知ってしまった。

 彼が怒っているかどうかという感情の問題ではない。

 私を見逃すことには、情報漏洩という現実的なデメリットが存在しているのだ。

「となれば――」

 リュートの言葉の続きを聞くことなく逃げ出すべきか。

 そう思ったとき、彼が言葉を止めた。

「――――?」

 彼が浮かべているのは怪訝な表情。

 それは、自信や威厳に満ちた振る舞いを常とする彼には珍しいものだった。

「どうされました? 我が君」

「いや――まさかな」

 きっと私と同じことを思ったのだろう。

 魔族の一人がリュートに疑問を投げかけるが、彼ははぐらかすような答えしか口にしなかった。

「エレナ=イヴリス。偽りなく答えろ」

 そして、彼の視線が私を射貫く。

 まっすぐに。心の芯まで見透かすように。

「お前は――誰だ?」

 彼が口にしたのは核心に迫る問いかけだった。

「ぁ……ぅ……」

「ん? ああ……喉が焼けて口がきけないのか?」

 私が上手く喋れない理由に思い至ったのか、彼が手を伸ばしてくる。

 浅く緑の光を放つリュートの指先。

 それが私の喉に触れると、一瞬で痛みが引いていった。

 完全に痛みが消えたわけではないが、軽い風邪を引いた時くらいにまでは喉の痛みが緩和している。

「これで喋るくらいは問題ないだろう?」

 彼はそう笑い、再び問い直す。

「答えてみろ。お前の名を」

(もしかしてだけど、これって私がエレナじゃないって分かっているの……?)

 そうでもなければ、彼がこんな質問をする意味がない。

(だとしたらきっと、これがラストチャンス……!)

 少なくとも、エレナ本人だと思われたままよりも悪い状況にはならないはずだ。

「わた、私は――黒崎玲奈といいますっ……! エレナ=イヴリスではありませんっ……!」

 そう必死に声を絞り出した。

 これで事態が変わらないようであればもう手詰まりだ。

「なんと見え透いた虚言を!」

「魔族が、魔力で人間を判別できることも忘れたのか!?」

 怒りを見せる魔族たち。

 聖魔のオラトリオの設定集いわく、魔力は人それぞれに固有の波長のようなものがあるらしく、それを偽装することは不可能とされている。

 だからこの体がエレナである以上、私がどう言おうと私がエレナでないことを証明する手段がない。

 ゆえにこの発言はただの賭けでしかない。

 配下2人に信じてもらう必要はない。

 あくまで信じてもらうべきは、目の前の魔王だけだ。

「やはりか」

 そして、その賭けは成功した。

 想像よりもあっさりとリュートが納得したのだ。

 彼の中では、聞くまでもなくすでに答えが出ていたのかもしれない。

「今回、オレは魂をあらかじめ外部へと切り分けておくことで、完全に封印されることはなんとか防いだわけだが」

 そう語るリュート。

 ……初耳である。

 設定集にもそんなことはまったく書かれていなかった。

 まさか、あのラストバトルの裏でそんな仕込みが行われていたとは。

「その過程で、ずいぶんと魂への理解が深まった」

 リュートは笑みを浮かべ、指先で私のあごを押し上げる。

「容姿も魔力も同じだが、お前の魂はエレナ=イヴリスのものではない」

 彼の瞳が私の目の奥を覗き込む。

 そして、ささやくように告げた。


「お前は……エレナ=イヴリスではない」


 それはきっと、私がこの世界に来てから一番欲しかった言葉だった。

 この世界で、初めて『私』を見てもらえた。

 そう思った。

「ぅ、ぁぁ……!」

 潔白を主張する権利もなく、悪意を浴びせかけられ。

 自分のものでない罪の清算を求められ。

 味方のいない状況で自分を守るため張りつめていた緊張の糸が切れた。

 そんな気がした。

 そうなれば、自然と涙が流れ出す。

 足を止めた瞬間に疲れが押し寄せてくるように。

 彼の言葉で気持ちが緩んだ瞬間、感情があふれだしたのだ。

「いきなり泣き出すとは変な奴だ。……と言いたいところだが、元の体の主があの女では仕方のないことかもしれないな」

 苦笑まじりのリュートの声が聞こえてくる。

 もっとも、本当に彼が苦笑しているのかを確かめることはできないけれど。

 私はリュートの胸板に顔を押し当て、人生で一度あるかないかの大号泣をしていたからだ。

「この! 我が君のお召し物を汚すな!」

「良い。かまわん」

 憤る魔族をリュートは軽く制した。

 ……やはり冷静になると、この状況はなかなかに失礼な気がしてきた。

 少なくとも、自分をいつでも殺せる相手にするべき対応ではなかっただろう。

 完全に感情の波にのまれてしまっていた。

 今更になって不安が湧いてくる。

「レイナ、であったか?」

 だが、投げかけられたのは想像よりも柔らかい声色だった。

 同時に彼の手らしきものが頭の上に置かれたのを感じる。

「魂と肉体が違う事例というものをオレは初めて見つけたものでな。サンプルとして、手近なところに置いておきたいという気持ちもある」

 ククと笑う声が聞こえた。

 これはきっと交渉なのだろう。

「つまるところ」

 きっと、かなりの割合で温情が含まれているであろう交渉だ。

「行く場所がないのなら。オレの城に来ないか?」

 迷う余地はなかった。



 リュートたちに連れられ、私は暗いトンネルを歩いていた。

 これは離れた空間と空間をつなぐトンネル――いわばワープホールのようなものだ。

 リュートを迎えに来ていた魔族の1人が、ここから魔王城へとつながるゲートを開いたのだ。

 こんな魔法が使えたら、この世界の輸送の在り方がだいぶ変わってきそうだ。

 確か、その習得難易度ゆえに人類でこれを実現した者はいないと設定集に書かれていた気はするけれど。

(まさかグランドルートが魔王生存ルートだったなんて)

 リュートの背中を見つめながら、聖魔のオラトリオへと思いをはせる。

 まさか大団円のグランドルートでラスボスが生存しているとは。

 まったく想像していなかった。

(たしかに魔王リュートがどんな研究をしていたのかは、ファンブックでも触れられていなかったけど)

 彼が知識に貪欲で、魔法の研究をしていることは原作の描写で知っていた。

 だが具体的な分野については触れられていなかったのだ。

(魂の研究……そんな裏設定に救われることになるなんて)

 裏設定としても語られていない、あくまで消費者でしかないファンでは知りようのない設定。

 そんなものが私の窮地を救ってくれるとは。

 困難は山積みだが、詰みではなくなった。

 安堵と不安を抱えて歩いていると、暗いトンネルの奥から光が見えてくる。

「着いたぞ。ここがオレの城だ」

 トンネルを抜けた先。

 それは庭園だった。

 紫の空の下に広がる整然とした庭園。

 そしてその奥にそびえる巨大な城。

 これは間違いなく、聖魔のオラトリオの終盤に訪れることとなる魔王城だった。

「これが……」

 思わず感嘆の声が漏れる。

 心身の痛みがやわらいでいることが影響しているのか。

 先程よりも純粋にあのゲームで見た景色を楽しめているような気がする。


「魔王様っ」


 私が感動に浸っていると、弾むような声が聞こえてきた。

 反射的に視線が声の主へと向く。

 そこにいたのはピンクの髪をした少女だった。

 彼女は身に着けたメイド服を汚さないよう裾を握り、小走りでこちらに向かってくる。

 彼女が一歩進むたびにウェービーな髪がふわふわと揺れている。

「リリか」

 リュートが少女の名を呼ぶ。

 リリ。それは彼女の名前で間違いがないはずだ。

 状況からの推測ではない。

 私は――その名前を知っていたから。

「不思議とお前は、いつもタイミングがいいな」

 そうリュートは微笑む。

 その事実が嬉しいのか、リリもにこにこと笑っている。

 いや、彼女はいつでも明るく笑える少女だったか。

 なにせ、彼女はこの世界の――

「こやつには、ちょうどお前をあてがおうと思っていたところだった」

「……はい?」

 リリがきょとんとした表情になる。

 彼女が疑問符を浮かべて首を傾けると、桃髪がまた揺れた。

(リリって……やっぱり、リリ=コーラスのことよね?)

 私はリリという名前のキャラを知っている。

 だが、同時に困惑していた。

 なにせ、私がいるのは聖魔のオラトリオのグランドルートにあたる世界線のはず。

 それはノアとの会話からなかば確信していた。

 しかしリリが存在するのは、聖魔のオラトリオのパラレルワールドにあたる世界線だというのがファンの間での通説であったのだ。

 魔族は皆、角・羽・尻尾など異形の要素を肉体に宿している。

 そんな中、人間と何も変わらない容姿を持つ唯一の例外。


 魔族の特徴を一切持たない魔族――リリ=コーラス。

 彼女は聖魔のオラトリオの続編にあたる『聖魔のオラトリオReverse』の主人公だ。


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