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第61話 決意

 ズオウはポカンと口を開ける。その言い方では、元々彼女はズオウの事をなんとも思っていなかった事になる。そんな事はありえない、と心の中で否定した。


 彼は次期長老として村の者たち……特に村娘からはちやほやと褒めそやされていた。彼が優しい言葉をかければ、大体の村娘が頬を染めて恥じらう。だから自分のことを全員が好きなのだ、と思っていた。権力もあり、容姿も良い、村一番の男性。それが自分に対する評価だ。

 それに長老である父だけでなく年寄衆の者たちも『巫女姫様はズオウのような素敵な男性が婚約者で幸せ者ですな』と言われてきた。だから婚約者であるコトハは村一番の幸せ者だし、今回は偽巫女姫たちによって引き裂かれただけで、復縁するのがコトハにとっても幸せな事なのだ、と彼らから言われていたのだ。

 呆然とする彼に、コトハは畳み掛けるように話し続ける。


「ですが……今となっては、もう私は次期長老様と婚約するなんて無理です」

「何故だ?!」


 ズオウは何故彼女が自分を拒否するのかが分からない。だって、コトハは自分と婚約して一番幸せ者だったはずなのだから。そう思わず呟くと、彼女の耳にそれは聞こえていたらしい。


「私の幸せ、とはなんでしょう? 地位も権力もある次期長老様の婚約者だった事ですか?」

「そうだ! それに俺は容姿も悪くない……いや、むしろ村で一二を争うほどの男前だと言われてきた! そんな俺の婚約者であるお前は幸せだろうとみんなが――」

ですか。その中に、私は入っているのですか?」

「勿論入っているに――」


 決まっている、と言おうとして、彼は詰まった。彼女が自分を主張しなくなってから、何度か「俺の婚約者で誇らしいだろう?」と彼女に尋ねた事がある。その時コトハは必ず、微笑んでいた。しかし、実際言葉で肯定された事はなかったし、今思えば思い出した笑顔も、眉は下がり引き攣っていたような気がする。


「あの時は周囲の監視が強かったので言えませんでしたが……理不尽に怒られるのが私は苦手でした。巫女姫は村の政治に関する事は関わってはならない、と掟で決まっているにもかかわらず、何も言えずにいると『婚約者なんだからそれくらい当然だろう?!』とか『役立たず』と言われ続けてたのですよ……流石に好きになりたいと言う気持ちは持てませんでした」


 アーガイル帝国ではその事を政教分離、と言うらしい。実は帝国と同様に五ッ村にも、巫女姫が政治に介入してはならないという政教分離に近い掟がある。それはズオウも知っている事だ。しかし彼は常に政治の事に関して「答えられない」と告げるコトハを罵倒してきたのである。

 結局ズオウは誰かに自分の苛立ちをぶつけたかっただけ。ほぼ八つ当たりに近い。


「私は罵声を浴びせ続ける人を好きでいられるほど、寛容ではありませんので」


 コトハの言葉にズオウは息を呑む。彼女の発言に覚えがあったからである。だが、彼としてはあれは愛情表現のつもりだった。弱音を吐ける相手はコトハただ一人、つまり彼女はズオウの特別な人だと示したつもりだったのに。

 彼は口をあんぐりと開けていたが、何も言えなかった。そんな彼にコトハはキッパリと告げた。


「もし転移できるのなら、私は巫女姫として村を助けたいと思います。ですが、次期長老様との結婚は遠慮いたします。追放された私なんかより、村には素敵な女性が沢山おりますもの。それでは、皇帝陛下に相談へと向かいますので失礼します」


 言いたい事を言い終えたコトハは両手を合わせて頭を下げた後、そのまま立ち上がり部屋を退出していった。その言葉に呆然とするズオウを残して。


 彼女たちがズオウの元から去った事に気づいたのは、扉の閉まる音がしたからだ。我に返ったズオウだったが、頭の中ではコトハの言葉を反芻はんすうした。


 彼女は自分の事を好きではない、という事を悟る。それは彼にとって衝撃だった。


 だが、この際好意があるのかどうかはどうでも良いのだ。自分が次期長老として地位を確立するために、コトハを婚約者の地位に戻す事が重要なのだという事を。彼女はズオウの婚約者に戻る運命なのだ。

 彼女が村へと戻れば、こっちのもの。村にいる時に、外堀を埋めてしまえばいい。


 だがふと彼は考えた。それが本当に良い事なのだろうか、と。

 今回彼女を追放したのは、確かに親子に騙されたからというのはある。しかし、最終的にその判断を是として追放に踏み切ったのは、長老と年寄衆、そして受け入れた自分も含めた村人たちだ。


「……いや、父上は正しいのだ」


 長老が「コトハを取り戻して、お前の婚約者に戻せ」と言ったのだから、それをするだけだ。長老は絶対正しいのだから。胸中に現れた疑問を掻き消し、彼は前を向いた。



 やはりパウルの予想通り、五ッ村は穢れが蔓延し始めているらしい。

 ここに来る前聞いたのだが、吐血は穢れが体内へと入った時に起こる症状のひとつであるようだ。先程両手を合わせた際ズオウに浄化の力をかけたため、体調を崩す事はないだろうとコトハは言っていた。

 イーサンから見れば、自分を追放した男に浄化の力をかけてやる必要はないと思う。それに、村も助ける必要がないと思っている。散々「偽物だ」と叩いておいて……いざ、自分たちが困ったら手の平を返して擦り寄ろうとするなんて。


 いや、擦り寄ろうとするだけマシなのかもしれない。あのズオウという男は、今でもコトハが自分の手元に戻ってくると信じている。一度いらないと捨てた道具を、また拾うかのような扱いだ。

 あの扱いを見ると、彼女が故郷でどんな扱いをされてきたのかが何となく窺える。要らないと捨てたのなら、潔く捨て置いて欲しい、とイーサンは思う。


 ただ、自分はそう思っているのだが、コトハはイーサンのように思う事はないだろう。彼女は自分に与えられた仕事を全うするために、責任を持って取り組んでいる。追放されたとはいえ、穢れを浄化するのは彼女の役割。村を助けようと手を尽くすはず。


 彼女の責任感と行動力は好きだ。だが、今はそんな彼女の性格が恨めしい。コトハの想いを助けたい、という考えと、コトハに故郷へと転移して欲しくないという考えがせめぎ合っている。

 そんな複雑な表情のイーサンにコトハは喋りかけた。


「イーサン。ごめんなさい」


 コトハは立ち上がって、頭を下げた。普段であればすぐに声をかけて座らせるイーサンだったが、彼女の謝罪が何に向けてだったのか分からず、彼は反応に遅れる。

 その中でも話はどんどん進んでいく。


「貴方に相談せず、勝手に宣言してごめんなさい」


 村へと向かいたいという宣言についてだろう。イーサンも「仕方ない」と声をかけようとしたが、思った通りの声が口から出ない。ただ首を振るだけだった。


「私は……神子でもあり、巫女姫でもあります。巫女姫の責務も最後まで負わなければなりません。ですから、私は村へと向かいます。原因について聞く事ができませんでしたので、村へと行ってから原因究明をします」


 彼女の瞳には決意が宿っている。もう何を言っても、コトハの意思は変わらないのだろう……とイーサンも容易に判断できた。だが、受け入れられるかどうかは別だ。自分の気持ちがもう少しで口に衝いて出てしまいそうになったところで……イーサンは我慢した。

 コトハの意思を尊重したい、でも離れたくない……村の事を解決した後は、帝国に戻ってくるのだろうか、むしろそのまま村に留まるのではないか……様々な感情が入り乱れる。表には見せていないが、内心取り乱しているからか、うまく言葉にする事ができない。

 辛うじて「……そうか」と呟いたところで、コトハの瞳が少しだけ揺れた。彼女も何かしら言葉にしようとしているようだが、迷っているらしい。コトハは狼狽え、イーサンは眉間に皺を寄せつつ……彼女を笑顔で送り出せるようにと心を落ち着かせる。


 そんな無言の時間が続き、イーサンの眉間の皺が取れ始めた頃。コトハが何かを決心したのか、顔を勢い良くイーサンへと向けた。

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