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第60話 決別

 実は彼女の言葉は半分正しくて半分は事情が異なっていた。


 戸籍をもらった事は事実。だが、後半部分は少し異なる。実はコトハは行動のあれこれについて皇帝ファーディナントの許可を得る必要はない。

 神子は神の使いとしてこの大陸では崇められている事もあり、実は皇帝や教皇たちと同等の地位に当たる。そのためコトハが故郷を助けようと転移を考えているのなら、彼らにそれを止める権利はないのだ。


 強いて言うならば……コトハはパウルから事前に「もし転移を考えているのであれば、教えて欲しい」とお願いされていただけだ。

 村を助けたい、その気持ちは勿論コトハの中にある。けれどもそれを告げず「一度皇帝陛下に相談させていただきたく思います」とズオウに話したのは、彼女に思うところがあったからだ。

 そんな複雑なコトハの胸中をズオウは察する事などない。後ろでイーサンがコトハの事を気遣わしげな表情で見ている中、元婚約者であるズオウは即断即決しなかった事が我慢できなかったのだろう。声を荒らげた。


「なんだって?! お前は村を見捨てるのか?!」

「いいえ。先程も言いましたが……私は、こちらでも神子……村でいう巫女姫の立場におります。私一人で意思決定をして、勝手に転移するわけにはいかないのです。だから皇帝陛下……長老様に相談しなければならないのです。村でも巫女姫が勝手に動く事を禁じていたではありませんか。それと同じです」

「……!」


 ズオウは言い返され反論の余地もない。確かに巫女姫であるコトハを生かさず殺さず、周囲とあまり関わらせないようにと自由を奪ってきた事実があるからだ。温かみの全くない視線を送られて、ズオウは目を見開く。


 今まで二つ返事で了承していた彼女が、保留とは言え「はい」という言葉を言わなかった……その事にズオウは衝撃を受けたのだ。

 何故コトハがこんな態度を自分に取っているのか……と考えたところで、ふと思う。

 のコトハは控えめでいつも自分を立ててくれていた。そして常にズオウの言葉に優しく微笑んでくれていた……だから、きっと彼女は自分の事が今も好きなのだ。

 今自分に口答えをするのは自分が追放したから、拗ねているだけなのだろうと彼は考えた。それならば、やはり婚約が褒美になるはずだ、と。


「まあ、今すぐ来てくれるのなら、すぐに俺が婚約してやろう! また俺の婚約者に戻った暁には、大切にしてやろうでは――」

「嫌です」

「は……?」


 ズオウは耳を疑った。彼の想像で……コトハは、はにかみながら頬を染めて「はい……」と言うはずだった。だから、まさかそれとは正反対の言葉が返ってくるなどと思っていなかった。そのため彼は頭が理解する事を拒否したかのように、言葉が入ってこない。


「貴方の婚約者には、なりません」


 再度言葉を変えて告げたコトハ。その言葉の意味を理解して、ズオウは一瞬で頭に血が昇る。


「この女……!」


 彼は思うままに手を振り上げていた。自分が優しくしてやったにもかかわらず……これは躾け直しだ! という思いが溢れたためだ。コトハはズオウが振り上げた手を怯えた表情で見つめている。そんな彼女の顔に優越感を感じほくそ笑んだその瞬間、彼女を叩こうとしていた手が誰かに掴まれた。


「誰だ! ……俺の邪魔をっ?!」


 ズオウは最後まで言葉を喋る事ができなかった。その瞬間彼は腕を引っ張られ、いつの間にか視線の先には天井が映る。何が起きたのか一瞬分からなかったが、最初の時にコトハと微笑みあっていた男が視界に入った事で、この男に反撃されたのだと理解した。その瞳は自分を殺したい、と言わんばかりに鋭い。右手は強く握られているのか……痣がつきそうなほどの痛みを感じる。それだけではなく、床に叩きつけられた衝撃からか、背中も痛い。


「コトハに触れるな!」


 イーサンはそう怒鳴るが、怒りで相手に言葉が通じないという事が頭から抜けている。勿論ズオウは相手の男がなんと言っているか、聞き取れない。けれども、相手が怒りを抑えている事だけは分かる。

 コトハへ苛立ちをぶつけようとしたズオウに気がついたイーサンは、無言でズオウの頭を床へと押し付けた。少々暴走しているイーサンを見たヘイデリクは、彼に声をかける。


「イーサン、俺が変わる。お前は彼女を守れ」

「……ああ、そうさせてもらう」


 ズオウに怒りはあるが、最優先はコトハである。ヘイデリクと場所を代わったイーサンは憤怒を抑え、彼女の元へと向かう。「大丈夫か?」と彼が声をかければ、コトハは「ありがとう」と言って微笑んだ。

 そんな温かな笑みをイーサンへと向けるコトハを見て、ズオウは息を呑んだ。彼女は自分にあんな笑顔を見せてくれた事があるだろうか……と、何度も彼女を見る。しかし、何度見ても彼女が嬉しそうにイーサンと話している姿は変わらない。その事に衝撃を受ける。

 二人はズオウが刮目している間も、仲睦まじく話していた。


「もういいだろう。この男の態度は、冤罪で追放した元婚約者に対するものではない」

「もう少し待ってイーサン、次期長老様にもう少し言いたい事があるの」


 イーサンという男の言葉は分からないが、ズオウにはコトハの言葉が分かる。彼女の言葉で目の前の男と自分の扱いに差がある事に気がついた。相手の男を呼ぶ時は「イーサン」と呼び捨てであるにもかかわらず、自分には「次期長老様」と告げている。


 思えば幼い頃以来……心のこもっていない笑みばかりコトハは自分へと向けてきたではないか。その度に自分は苛立って、彼女を怒鳴りつけたものだったが……何故ぽっと出のあんな男に欲しかった笑顔を見せるのか。


 ズオウは長老である父から、「女は自分で躾けるものだ」「巫女姫だからと言って甘えさせてはならない」「巫女姫がお前に従う姿は、次期長老として相応しい」などと言われ続けてきた。立派な長老として父の後を継ぐのだ、その思いでコトハとも交流してきた。

 幼い頃はその自覚がまだ無かったから、コトハと楽しく遊んだり、意見を受け入れたりして友人のように接していたが……父や父の右腕である年寄衆に一度咎められてから、コトハへの接し方を変えたのだ。

 全ては父のような素晴らしい長老になるため。そして幼い頃に亡くなった母……生きていたら、「立派になった」と言ってもらえるようなそんな息子でいるため。父の言う事は絶対だ。


 だが、ふと思う。父の言う事が全て正しいと思って行動していたにもかかわらず、自分へはあのような笑みを見せた事がなかった。自分のやってきた事は正しかったのだろうか――そんな考えが頭をよぎった。


 いや、そんな事はない。父の言う通りにやってきたのは、正しかったはずだ。そう彼は自分を鼓舞する。今の村には、彼女の存在が必要なのだ。

 だからその褒美として自分との結婚を提示したにもかかわらず……何が不満なのだ。その表情が顔に出ていたらしい。コトハは憂いのある表情でズオウに告げた。


「次期長老様、もう一度言います。私は次期長老様と婚約するつもりもありませんし、結婚するつもりもございません」


 抑揚のない声で告げたコトハの言葉に、ズオウの肩が跳ねる。


「ちょっと待て! お前は今まで俺の後ろで笑いかけてくれただろう?! 俺の言う事に対して『仰る通りです』といつも肯定してくれていたじゃないか! 俺の事を好きだから、そう振る舞ってくれたのだろう?!」


 ズオウは出しゃばらず控えめで、いつも笑みを絶やさず、笑顔で自分を肯定してくれる女性が好きなのだ。そんな女性を父が望んでいたから。それで言えば、コトハは自分の理想の女性に近いと言っても過言では無かった。

 それは自分に対する愛があったから成し得た事ではないのか、と縋るようにコトハを見つめる。しかし、その瞳には先程イーサンにあったような温もりはない。


「確かに私は、そのように振る舞ってきました」

「ほら――」

「ですが」


 ズオウの言葉を遮ってから、コトハは彼の目を見据える。その瞳の鋭さに彼は圧倒された。その事実に驚いていたところで、コトハが声を上げる。


「今と当時は違うのです。私が次期長老様の婚約者でいたときは、好かれたい……という気持ちもありましたので、私なりに理想に近づけるようにと努力しました。当時は、次期長老様と一生伴侶として生きていくものだと思っていたのですから、良い関係を築きたいと思うのは、自然なことですよね?」

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