その後イーサン、コトハ、ベイリックとリビーはアカネをセルマとジェフに任せ、街へ宿泊した。そして翌日、四人が小屋へ戻ると甲斐甲斐しくジェフに世話をされているアカネの姿が。どうやら、数時間前に目を覚ましたらしい。
アカネが目を覚ました後、セルマが簡単に事情を説明し、その間にジェフが彼女のためにスープや飲み物をせっせと運んでいたのだそう。断りきれなかったアカネはされるがままに世話をされていたようだ。
彼女はコトハが部屋へ入ると、「夢じゃなかった……」と言って目に涙を溜めた。
「アカネ、身体は大丈夫かしら?」
「はい……! コトハ様こそ……ご無事で……」
二人は手を取り合って喜び合う。もう一生会えないと思っていた相手との再会。二人の姿が、イーサンとジェフには尊いものに映る。だが、まだ身体が本調子ではないのか、アカネが咳き込んだ。
「大丈夫?」とコトハが尋ねる前に、後ろにいたジェフがアカネに飲み物を渡してくる。今回渡されたそれは白湯のようだ。アカネは戸惑いながらもそれを手に取り、「あ、ありがとうございますぅ……」としどろもどろにお礼を告げる。そして白湯を一口飲むと、アカネが恐る恐るコトハに尋ねた。
「あのぅ……コトハ様。番って何ですか? あの、あたし、ジェフ様が番だとお聞きしたのですが……よく分からなくて……」
「アカネ、僕の事はジェフと呼んで欲しいなぁ」
「えっと、ジェフ……?」
弾ける笑顔で頼むジェフを断りきれないのか、アカネは既にジェフと呼び始めている。意外と押しが強い彼を、戸惑いながら受け入れているアカネの様子を見て、彼女の幸せに笑う姿が頭をよぎった。
何となく、二人とも上手くいくのではないかという予感を感じながら、コトハはアカネに番とは何かを話す。
そしてその後彼女の体力を確認すると、意外にもしっかりと歩ける状況だったので、その日にアカネは小屋を後にして帝都へと向かう事となる。万が一山を降りるときに疲れたとしても、ジェフが背負うからと主張した事が、この決定を後押ししたのだ。ジェフには残念な事だが、背負われる事もなく山を下りたアカネは、街で一泊してから、翌日帝国へ向かう事となった。
アカネが転移陣で発見されてから三日目、竜化したイーサンにはコトハが、ジェフにはアカネが、セルマは早朝合流したリビーに乗り、帝都へと向かう。そして数時間ほど経ち、帝都へと辿り着いた一行はリビーが遺跡へ飛び立つのを見送っていた。
その後アカネを連れ
翌朝。
アカネの面会まで時間があったため、彼女もコトハと共にレノの元へ向かう。知っている者の近くにいた方が良いだろうと言うパウルの心遣いである。その日の業務は神子の仕事の引き継ぎだった。直前にあった定例儀式の前にコトハは「神子を引き継ぎたい」とレノへと話していたのだ。
レノは「待ってました」と言わんばかりに大喜びし、現在はその引き継ぎ中なのである。
今回は二年に一度行われる「街巡り」という業務。街巡りとは、帝都へと儀式を受けに来られない人のために幾つかの街を巡って儀式を行うという行事なのだそう。巡る場所によって期間の長短はあるが、大体長くても半年らしい。
その話の詳細を詰めていたところ、扉を叩く音が耳に入る。すぐに入ってきたのはイーサンとヘイデリク、マリだった。
「こんにちは、コトハさん!」
「マリさん、こんにちは。皆さんお揃いで、どうされたのですか?」
今日は座学がない日ではないか、と首を傾げるとマリは頬に手を当てながら話す。
「今日は、一度遺跡に戻ろうかと思って挨拶をしに来たの」
「小屋にですか?」
「そう。今回アカネさんとコトハさんが立て続けに来てるでしょう? もしかしたらまた何かあるかもしれないと思って」
そう言えば、転移は数十年に一度の頻度だと以前マリが言っていた事を思い出す。「それは仕方がないですね」と告げようとしたところで……。
「待ってください!」
声を上げたのはアカネだった。全員が驚いて彼女を見る。
「アカネ、どうしたの?」
「戻らないで下さい」
真剣な瞳でマリとヘイデリクを見ているアカネに、全員が困惑した。
「あ、えっと……すみません……なんとなくそう思っただけで……どうしよう……」
本人も何故そう告げたのかが分からないのか、首を捻っている。戸惑うアカネに、ヘイデリクはマリへと話しかけた。
「もう少しだけ留まるか?」
「そうね。義母様も『ゆっくりしてきなさいよ〜』と仰ってましたし、守護人としてアカネさんともお話しした方が良いものね。先にコトハさんたちへと伝えようと思って来たから、まだ宰相様には伝えていないし、義両親には手紙を送れば大丈夫かしら?」
「問題ない」
そうマリが笑ってアカネに話しかければ、彼女もほっとしたのか胸を撫で下ろす。
「あ、ありがとうございますぅ……生意気言って、すみませんでしたぁ……」
彼女の頭を撫でるコトハ。そんな二人の様子を見て、部屋の空気が温かくなった――その時。
「マリ殿! ヘイデリク殿!」
扉の外が慌ただしい。一番近くにいたイーサンが扉を開けると、そこに現れたのはパウルからの伝言を伝えに来た使いの者だった。彼は顔を真っ青にしている。目を見開く室内の者たちを見回した後。
「遺跡に迷い人が現れました」
静かな室内で、彼の声が響き渡る。
「どういう事か、詳しく教えてくれるか?」
無言の空気を破ったのは、イーサンであった。
「はい。パウル様へと届いた書簡によりますと、この度迷い人が現れたのは、ケイロ遺跡だそうです」
コトハやアカネが転移したパーン遺跡は帝都の北側にある。それ以外に、帝国には西と東側に遺跡があるのだ。西側がハマル遺跡、東側がケイロ遺跡と言う。パーン遺跡とハマル遺跡は大体帝都から同じくらいの距離にあるのだが、ケイロ遺跡だけは他の二つに比べて遠い位置にある。そのためなのかは分からないが、過去の記録によるとあまりケイロ遺跡に迷い人は現れないというのが定説だった。
「どうやらあちらの守護人殿の話によると、二日前にその男は現れた、という事です」
「二日前……」
アカネの転移から数日後に現れた男。コトハの胸に嫌な予感が過ぎる。
「その男はなんと言っている?」
「それが……異国の言葉らしく、断片的にしか聞き取れないそうで……」
「!」
全員が顔を見合わせると、コトハの方へ顔を向けたイーサンが尋ねた。
「コトハ、聞いてもいいか? 君は最初からこの国の言葉を流暢に話せていたようだが……元いた国と同じ言語なのか?」
「いえ、違うと思います」
最初に転移した際も、マリとヘイデリクの二人とは普通に喋っていた事をコトハは思い出す。あの時は気が動転していた事もあるが、今思えば不思議だ。そこまで考えて、ふとマリとヘイデリクの方へ顔を向ければ、二人は何やら考え事をしているようだった。
「ねぇ、デリク。もしかして、今回の迷い人は女神様の祝福を受けていないのでは……?」
「ああ、そうかもしれないな」
「ヘイデリク、女神様の祝福とはなんだ?」
聞き覚えのない言葉にイーサンが尋ねると、ヘイデリクは彼へと顔を向けて話し出す。
「ああ、守護人には伝えられているのだが、転移陣を使用して転移してくる迷い人には、アステリア様から能力を与えられる事が多い。ちなみにマリも言語能力は与えられていたようだ」
古い書物によれば、迷い人がこの国で戸惑う事なく過ごせるように、万能ではないが言語の翻訳機能のようなものが備わっているらしい。ある程度の会話のやり取りができるのは、この祝福のお陰なのだとか。きっとコトハもアカネもこの祝福を得ているのだろう。
女神様って凄い……と心の中でコトハが思っていると、話していたヘイデリクの眉間に皺が寄る。
「今までの記録を見ると、その能力を与えられなかった者は一人もいなかった。必ず我々と同じ言語を喋ったと書かれていた……」
「つまり、今回の迷い人はアステリア様の祝福を得ていない可能性のある迷い人、という事か?」
イーサンが尋ねると、マリとヘイデリクはその言葉に同意する。
「ちなみにその男の外見などを教えてもらえるか?」
「報告によりますと、闇夜のような黒目黒髪で、おそらく人族かと思われます。特徴的なのは服のようです。紐を顎で結んでいる黒い帽子に、女性のドレスに似たようなスカートらしき物の上に、ローブに似たような物を羽織っているらしいのですが……あちらの守護人も初めて見る服装だったらしく、上手く説明ができないようです。一応聞き取れるようで、自分の名前も名乗っていたようですが……」
「ちなみにその者の名は?」
イーサンの言葉に彼は告げた。
「ズオウ、と名乗ったそうです」