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第54話 新たな迷い人

 以前とは比べ物にならない速さで空を突き進む。イーサンから姿勢を低くするように告げられたコトハは、言われた通りに彼の首へとしがみついた。その間コトハはただ一心にアカネの無事を祈る。

 竜化したまま遺跡へと向かう事ができないので、一旦街の近くで降りた後、遺跡のある山の中腹へと登っていく。体力があるからか、ジェフと女性医師は先へと進み、イーサンはコトハに合わせて進む事となった。

 そして無事に小屋へと辿り着く。そこには先に来ていた女性医師がアカネの体調を見ているところだった。彼女は診察を終えると、ふう、と一息つく。


「リビーさんの診察通り、命に別状はなさそうね。ただ……身体が弱ってるようだから、数日は安静にしていた方が良いかもしれないわ」

「ありがとうございます……えっと……」


 コトハはお礼を告げたが、彼女の名前が分からず狼狽える。お互いに自己紹介をする時間がなかったためだ。


「ああ、私はセルマ。王宮で雇われている医師よ」

「セルマさん! ありがとうございます!」

「と言うことは、やはりこの子はコトハ様が知っている方、と言う事かしら?」


 カスティリアの焼き目のような短く切り揃えられた茶髪、幼い顔立ち。彼女は間違いなくアカネだ。それを裏付けるかのように、巫女装束と似た使用人服を着ていた。巫女姫が着用する服との違いは、やはり色だろう。コトハは上衣が白色、下の切袴は赤色を着ていたが、アカネは上下とも同じ紅梅色なのだ。

 コトハが頷くと同時に、ベッドに寝かされていたアカネの目が開いた。


「あれ……ここは……?」

「アカネ?!」


 懐かしい声。もう二度と聞けないと思っていた声。コトハの胸に喜びが溢れると同時に、涙も溢れる。彼女の手を取って、コトハは話しかけた。


「アカネ、分かる? コトハよ!」

「え……コトハ様……? ああ……ああ……良かった……」


 アカネの目が大きく開いた後、涙が一筋こぼれ落ちる。そして、そのまま彼女は気を失ったのか動かなくなった。慌てたセルマが診察を始めたが、すぐに「疲労で寝ているようね」と安堵のため息を漏らす。


 その後部屋に戻ってきたヘイデリクの父、ベイリックにも状況を確認した。

 アカネが倒れていたところを発見したのは、彼とヘイデリクの母であるリビーの二人。数時間前に彼女が遺跡の転移陣の中で倒れているのを発見し、ベイリックが急いでこの小屋へと運んだらしい。そしてすぐにベイリックが竜化して王城へ向かったのだそう。その間、リビーがアカネの面倒を見ていたようだ。コトハが感謝していると、「あ、そういえば」とリビーが声を上げた。


「セルマさんを連れてきてくれたのは、貴方……確かジェフ君だったかしら? 貴方はどうしてここへ?」


 静観していたジェフを不思議そうに見るリビーにコトハが説明した。


「アカネは彼の番なのです」

「そうだったの! それなら、もう少し前で見たらどう?」


 リビーの勧めにジェフは首を横に振った。


「心の中ではそうしたいのですが……これ以上近づくと、暴走してしまいそうで。また改めます。それより、コトハ様。ひとつお聞きしていいでしょうか?」

「何でしょうか?」

「彼女は何故こんなにも傷だらけなのでしょうか? 教えていただけますか?」


 そう言われてコトハはもう一度彼女の身体を見る。先程は動転して顔を見ただけで安堵していたのだが、言われてみると腕や足にいくつもの傷が残っていた。追放された時の傷だろうか。

 温かさのない瞳で彼女を見ているジェフに、コトハの身体は少し強張った。何か答えなければ、そう思って口を開こうとした時、目の前にいたジェフが見えなくなる。少し上を向くとそこにいたのはイーサンで、ジェフからコトハを隠してくれたのだろう。


「ジェフ、今のお前はコトハの話を聞くべきではないな。殺気が漏れている。少し冷静になれ」

「なっ……! いや、そうですね。一旦外で気分転換してきます」

「ああ、行ってくるといい」


 イーサンの指摘に図星だったのか、彼は外へ続く扉へと歩いていく。そして扉が閉まってから暫くして、大きな音が辺りに響いた。


「どうやらアカネ嬢の状態に怒りを感じたのだろうな」

「あらまぁ、気分転換に木を倒してくれているのねぇ。うーん、有り難いんだけど……リック、程々にして欲しいって言ってきてくれるかしら?」

「……ああ」


 リビーに言われてベイリックが部屋から出ていった。そして暫く経ってから、大地を揺るがすような音は消え、カランと小気味良い音が規則正しく鳴り出した。不思議に思って尋ねると、どうやら薪割りをしているらしい。その音はベイリックが戻ってきてからも、当分の間続いたのだった。


 身体を動かす事で頭が冷えたのか、帰ってきたジェフはコトハに頭を下げた。


「怖がらせてしまい、すんませんでした! あの時は番の様子を見て頭に血が昇ってしまって……!」

「いえ、気にしないでください」

「イーサン様も、止めてくださってありがとうございました!」


 薪割りの前とは全く違うジェフの様子に少し戸惑うコトハだったが、切り替えの早さが彼の持ち味なのだとか。ジェフ曰く、薪割りの時点で頭は冷えていたのだが……落ち着いたとはいえ、また傷だらけのアカネを見たら怒りが湧いてしまう気がしたのだそう。だからある程度の時間をかけて薪割りをしていたと言っていた。

 それもあるからか、今いる場所は以前コトハがヘイデリクたちと使用した外のテーブルだ。ジェフとイーサン、コトハの三人が椅子に座っている。


「ところで、コトハ様にお聞きしたいのですが、コトハ様と僕の番……面倒なのでアカネと呼びますが、アカネは知り合いなんですよね?」


 首を傾げて尋ねるジェフに、コトハは頷く。


「そうです。アカネは故郷で私の側仕えをしていました。こっちで言えば、近いのは王国の貴族と使用人のようなイメージでしょうか……」

「そうなんですね! 納得しました! いつからコトハ様のお側仕えを?」

「確か私が7歳の頃なので、彼女が5歳の時でしょうか……それから私がここに来る前まで、彼女にはお世話になりました」


 ジェフに尋ねられたので、その時の事を幾つか話す。それを楽しそうに聴くジェフとイーサン。以前は彼女が亡くなっていると考えていたから辛かったのだが、彼女が生きていると分かったからかコトハも饒舌だ。

 だからふと思い出した。コトハが転移する時、ズオウが言った言葉を。表情が少し暗くなったコトハにイーサンは声をかけた。


「大丈夫か?」

「ええ。大丈夫です。思い出した事があったので」

「思い出した事……僕、それについて聞いても良いですか?」


 真剣な表情でコトハを見つめるジェフに、「気分が悪くなりますよ?」と彼女は告げたのだが、彼の意思は固いようだ。コトハは息をひとつ吐いてから、話し出す。


「私がこちらに移転する前、アカネはどうしたのかと村の者に尋ねた事があったのです。その時に『アカネが罪人である事』『村から追放されて亡くなっているだろう』と言われたのを思い出しまして……」


 コトハの精神状態も極限だったため、ズオウの「今頃どこかでのたれ死んでいるだろうさ」という言葉で亡くなっていると思い込んでいたのだ。本当にまたアカネに会えて良かったと胸を撫で下ろした。

 だが、その一方で心中穏やかでいられなかったのがジェフである。


「落ち着け、ジェフ」

「……イーサン様、大丈夫です。僕としては今すぐにアカネを追い出した奴らをぶん殴りたいな、と思っているだけで」

「ああ、それは別に良いと思うぞ。機会があったら殴れば良い……まあ、その機会は来ないだろうから、お前は彼女が穏やかに過ごせるよう努力するんだ」

「そうですね、イーサン様の言う通りですね。僕はアカネが幸せになるよう尽くします!」

「それで良い、頑張れ」

「はい!」


 そんな二人を見つつ、コトハはチラリとアカネが寝ている小屋を見た。自分に優しくしてくれた彼女が、幸せになれますように。心の中でそう祈った。

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