目次
ブックマーク
応援する
4
コメント
シェア
通報

第51話 コトハの過去

「良いのか……?」


 彼は不安げに尋ねる。コトハは頷いた。

 少し悩んだイーサンだったが、ゆっくりとコトハの元へ歩いて行き、そっと隣に座る。そしてコトハの左手を取り、両手で包み込むように触れた。

 二人の視線がぶつかる。イーサンにお礼を告げたコトハは続きを話し出した。


「今から一年くらい前でしょうか。ある集落で疫病が流行り始めました。原因不明の疫病だと判明したため、私はすぐさま穢れを浄化しに行きました」

「原因不明、つまり穢れというものが身体に影響を及ぼしたのではないか、と君は考えたのだな」

「仰る通りです。『穢れ』は水辺を好むらしく、集落の近くにある泉へと溜まります。その集落の泉は丁度一週間前に浄化したばかりでした。そのため、穢れはあまり溜まっておらず、私は『穢れによる疫病ではない』と判断しました。ですが、念のためにと巡回を増やしたのです」


 あれは辛かった。来る日も来る日も巡回を行い、不安がる人々の前で祈りを捧げる。浄化してほぼ穢れがない状態を保ってきたのだ。


「ですが、原因不明の疫病は留まる事なく……他の集落にも増え続け、遂には重症者が出てしまったのです。浄化に専念していた私が気づいた時には『本当に穢れが浄化できているのだろうか』という疑惑が村人たちに広まっていたのです。そしていつからか……『私が巫女姫ではないのでは』と囁かれるようになっておりました。私が何度も『穢れはない』と主張しても、疑いの目は深まるばかりで……」


 あの時の感情はなんと言い表せば良いのか分からない。好意的だった人々の目が、段々と不審な視線に変わり……最終的には軽蔑に変わっていった。それを思い出し、恐怖で呼吸が早くなる。彼女の変化に気づいたイーサンは、不安を取り除くように右手で彼女の背中を優しく、恐る恐るさすった。そのお陰か、コトハの呼吸は少しずつ落ち着いていく。

 彼女の呼吸が戻ったところで、イーサンがためらいながらも尋ねる。


「ひとつ聞きたいのだが、その『穢れ』というのは、他の人の目には映らないのか?」

「はい。そのようです……あ、いえ、正確に言うと、穢れが溜まると人の目にも見えるようになるらしいのですが……その前に私が浄化してしまうので見えないと思います。私の時には一人だけ……アカネはうっすらではありますが、穢れが見えたようです。過去にも浄化の力はありませんが、穢れが見える方もいたようです。現長老の父……前代長老は見えていたと言われています」

「何故見えるのかは分かるか?」

「いえ、そこまでは……」

「そうか、ありがとう。他の者は穢れが見えないから、君が浄化の力を持っていないのではないかと考えたのだな」


 コトハは頷く。


「アカネも『穢れはない』と主張してくれたのですが……私に丸め込まれているだけだろうと、彼女の言葉に耳を貸しませんでした」


 思わず膝上に置いてある手を爪が食い込むほどに握りしめる。彼はその手を取り、固く握りしめていた手を優しく解しながら「もうひとつ聞いていいか」と言われる。


「そもそも巫女姫というのは自分から名乗るものなのか?」

「いえ、言い伝えで『先代の巫女姫が亡くなった後、最初に生まれた子どもが次代である』と言われています」

「成程な。つまりコトハ嬢は先代の巫女姫が亡くなった後に生まれたから、巫女姫だと判断されたわけだな」

「はい、仰る通りです」


 この言い伝えは、大昔原因不明の病が流行した際に、当時の華族の長長老であった者へと星彩神が神託を下ろしたのが始まりだ。病の原因であった『穢れ』が知られていない時代。一度村人が全滅しそうになった時下された神託だという。当時ある女性に星彩神は力を分け与えられた事で、彼女は『穢れ』を見て浄化ができるようになったと言い伝えられている。

 コトハもその伝承に則って巫女姫だと判断されたのだが、原因不明の病が流行ってからはいつの間にか「贅沢な暮らしをするために嘘をついているのではないか」と囁かれていたのだ。まるでコトハが自分から名乗りを上げたかのように、周囲は彼女を嫌悪し始めたのである。


「先程、『私が巫女姫ではないのでは』と囁かれるようになったとお話ししましたが、その後も原因不明の疫病は改善しませんでした。むしろどんどん広まっていったのです。私も途方に暮れていたそんな時、ある一人の女性が『星彩神から力を授かった』と手を挙げたのです」


 最初は半信半疑だった周囲も、彼女がコトハのように祈りを捧げると、病人の容態が少しずつ改善していったのである。そこからだ。コトハが偽巫女姫と呼ばれ始めたのは。


「その女性……私がその方に報復をするのではないかと長老が判断されたため、名前は存じ上げませんが……その方は泉の水に祈りを捧げ、どんどんと浄化していきました。そして原因不明だった疫病が、沈静化したのです。それと同時に私は巫女姫を名乗った罪で投獄されました」

「そして追放の刑になったと」

「はい……最初は私も『浄化は行っていた』という事を主張しました。ですが、穢れはアカネ以外に見えません。主張しても、『嘘をついている』と言われて……」


 コトハは俯く。その時に一度ズオウが牢屋に入ってきた事がある。「あの病気は穢れではなかった」と主張した彼女は、次の瞬間右頬に痛みを感じた。ズオウが平手で殴ったからである。

 その時彼は蔑んだ目でこう告げた。


「うるさい、偽物が。女で良かったな。男だったら拳で殴っていたぞ」


 呆然としているコトハを置いて、彼は去っていった。無罪を主張する彼女が煩わしいからと、長老に黙らせるよう命令されたズオウが来たのだ。牢屋の番が面白そうに話していた事で彼女は後々知ることになるが。

 結局罪は覆る事なく、コトハは追放の刑に処せられた。あの村ではどんな罪であっても人を死刑にすると、大量の『穢れ』を生むと言い伝えられているので、一番重い罪が追放罪なのだ。


「だから転移陣で帝国にたどり着いたのか……」

「はい」

「……辛かっただろう?」


 そう尋ねられてコトハは首を縦に振った。


「はい、辛かったです」


 イーサンは、そう言い切ったコトハの左手を両手で包み込む。その体温に安らぎを感じた彼女の口から、スラスラと言葉が紡がれた。


「両親と離されてから、私は村のために生きてきました。長老たちからは、『それが力あるものの義務だ』と言われ、その通りだと思いがむしゃらに生きてきました。元婚約者であるズオウ様とも最初は上手くやっていたと思います」


 婚約者、と聞いてイーサンの肩がぴくりと跳ねる。だが、コトハはそれに気づかず話し続けた。


「私はきっと……浄化の巫女姫として長老たちやズオウ様に努力を認めて欲しかったのです。認められる事で、今までの努力は無駄じゃなかったんだ、と自分の行動に自信を持ちたかったのです。でも結局は、私の独りよがりだったのでしょう」


 認められるどころか追放されてしまった。その事実だけが残った。その先の言葉が言えず、俯く彼女にイーサンは静かに告げる。


「済まない。過去の君の努力を見てきてはいないから、俺はその事については話す事ができない。だから帝国に来てからの話になるが……」


 ゆっくりと顔を上げたコトハの瞳に映ったのは、彼女を安心させるような優しいイーサンの瞳。


「俺は出会ってから、コトハ嬢が神子として必死に勉強していた姿を知っているし、自分の力に見合った努力ができる君を尊敬している。俺から言えることは……このような辛い過去があったにもかかわらず、俺たちのために力を使ってくれてありがとう」


 その言葉に胸が温かくなる。そこでふと長老の言っていた言葉を思い出す。「お前は巫女姫でなければ価値はない」と言われ続けていた事を。だから彼らに巫女姫と認められたい、と必死に思っていた。

 けれども、彼女の欲しいものはそれじゃなかったのかもしれない。「ありがとう」という些細な言葉で良かったのだ、と気づく。


「いえ、こちらこそ。イーサン様、いつも私を見てくださってありがとうございます。その言葉に私も……過去の私も救われたような気がします」


 イーサンの両手の上に、コトハは右手を重ねる。そして二人は見つめあった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?