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第50話 吐露

 二切れ目を食べている頃――。コトハは思い出していた。このデローカスティリアを作ってくれたのは二人。コトハの母とアカネだ。食べていくうちに二人との思い出が頭の中を駆け巡る。


 そして記憶も思い出す。同時に長老たちやズオウ、村の人々たちの蔑みの目も。

 食べ終えた皿を慌ててテーブルへと置こうとするが、手が震えてしまう。その震えは全身に行き渡り、皿の上に置かれているフォークがカタカタと小さい音を立てた。

 音を聞きつけたイーサンは、震えているコトハの元へと歩み寄り、膝上に置かれていた皿をテーブルへと置く。


「大丈夫か?」

「あ……イーサン様……」


 皿が膝上から無くなった事で、イーサンが近くに来ていると気づいたコトハ。右側へと顔を向けると、そこには気遣わしげな表情で彼女を見つめるイーサンがいた。彼の顔を見たコトハの目にはうっすらと涙が溜まっている。


「もしかして故郷の記憶を思い出させてしまったか……?」


 恐る恐る尋ねるイーサンに、コトハはゆっくりと首を縦に振る。するとイーサンは目を見開いて謝罪し始めた。


「済まなかった! そんなつもりは全く無くて……! いや、そもそもコトハ嬢の母君の作ったデローの味の再現自体が、故郷の記憶を思い出させるきっかけに……なるに決まっているな……まさか喜んでもらおうと思った行動が、君を苦しめるなんて……本当に申し訳ない」


 そうイーサンに頭を下げられる。彼は自分の行動に肩を落とす。彼の表情の変化に気づいたコトハは涙を拭った後、思いっきり首を横に振った。


「カスティリアは本当に美味しかったです。母とアカネの事を思い出して幸せな気持ちになりました」

「本当に……?」


 半信半疑で首を傾げるイーサンに、コトハは続ける。


「はい……あの、イーサン様」

「……どうした?」


 どことなく緊張した面持ちで、コトハは膝に置いている両手をギュッと握りしめる。そしてイーサンへと顔を向けた。


「話を聞いていただいても良いですか?」



 イーサンが元の席へと戻ると、コトハはポツポツと話し始めた。


「私の故郷に名前はありません。強いて言うなら、五ッ村ごつむらと呼ばれていました」


 名前の由来は元々ひとつの山に五つの集落があったから、だそう。現在は七つに増えているが、昔の名残で五ッ村と呼ばれているらしい。


「その五ッ村で……私は、巫女姫と呼ばれていました」

「巫女姫……」

「はい。『穢れ』というものを浄化するのが巫女姫の役目です」

「そう言えば、レノ様にその話を聞いた事がある」


 どうやらコトハが以前レノに話した事が、イーサンにも伝わっていたらしい。聞いてみれば、『穢れ』は人の負の感情が原因で発生する事も知っていた。


「私は幼い頃に巫女姫であると判断されて……両親と離されて生きてきました。巫女姫は俗世から離れるようにと定められているのが理由です……ですが、先代の巫女姫様は何度かご両親と面会されていたと言う話があり、それを聞いた両親は、半年に一度……無理なら一年に一度で良いからと長老に面会を依頼したそうです。ですが、先代と今代は違うと長老から断られたようです。そして、その後も何度か面会を希望してくれたのですが……私が巫女姫になって一年後に不慮の事故で亡くなりました」


 いつも抱きしめてくれた両親を思い出し、コトハの目から一筋の涙が溢れた。


「涙に暮れる暇もなく、舞や浄化など……毎日目の回る忙しさでした。そんな時に支えてくれたのが、側仕えになったアカネという少女でした」


 アカネはコトハよりも二歳年下だった。茶色の髪は顎下あたりで綺麗に揃えられ、目はくりっと大きく可愛らしい。ただ、人見知りなのか話し方はたどたどしかった。

 歳が近いからか、二人はすぐに仲良くなる。アカネがカスティリアを作ってこっそり渡してくれるくらいには。


「アカネは頑張り屋の女の子で、いつも私を気にしてくれていて……大切な大切な友人でした……」


 彼女の瞳からまた一筋の涙がこぼれ落ちる。


 側仕えと言っても、実はアカネは屋敷の使用人の一人だ。ずっとコトハの側にいるわけではない。彼女はコトハへ食事を提供したり、浄化のために集落を巡る時に同行したり、祭りの衣装の着替えを担当したりしていた。

 基本身の回りの事は自分でやらなくてはならないのだが、俗世と関わらないという理由が邪魔して、必要最低限の暮らししかしていなかったのだ。


 アカネは滅多に普段着が増えないコトハのために、服が破れれば手縫いで修繕してくれた。長老たちが「破れたら自分で直せ」と言って、取り合わなかったからである……彼らは裁縫道具すらコトハに与えていないのにもかかわらず。

 服のサイズが小さくなった時だけ新しい服が支給されたが、誰かのお古なのか所々汚れているものばかり。その事に気づいて、憤慨していたアカネを宥めたのはコトハだった。彼女が自分のために怒ってくれている事が嬉しかったからである。長老に何か言えば、アカネもタダでは済まない。だから止めたのだ。その分自分が修繕させて欲しい、とアカネはいつも破れた箇所を縫ってくれていた。


 また普段着の洗濯等で手が荒れたコトハに、内緒で自分の持っている保湿クリームをくれた。

 一度荒れた手を見た長老たちが「何故手がそんなに汚いのか」と言って、コトハを蔑んだ事がある。その時に事情を伝えても、「それは贅沢だ。許さん」とコトハが保湿クリームを使用するのを認められなかったのだ。


 他にも色々と要所要所でコトハを助けてくれたアカネ。きっとあの大変な時間を頑張れたのは、彼女のお陰だろう。コトハは思わず両手を握りしめて祈る。イーサンはそんな彼女の様子を見て、持っていたハンカチを差し出した。


「これで涙を拭くと良い。手で擦ると、目が赤くなってしまうからな」

「ありがとうございます……」


 ハンカチをありがたく受け取り、コトハはそれで涙を押さえながら続きを話す。


「彼女に支えられながらも、私は巫女姫として浄化をして村中を回りました。時には二日かかる日程を一日半で強行する事もあったので、アカネも付いてくるのが大変だったでしょう……でも、いつも笑顔で私を励ましてくれました」

「大切な人なんだな」


 コトハはイーサンの言葉に頷いた。


「はい、故郷で一番大切な人です。大切な友人でした……」


 切ない笑みを見せる彼女にイーサンの表情が歪む。コトハはその表情を見て、彼が自分の話に胸を痛めてくれているのだな、と悟った。そんな彼だから、話そうとコトハも思ったのだ。

 アカネの事を思うと頭に浮かぶのは、下卑た笑いでこちらを見るズオウ。それを思い出し、彼女の手は少しずつ震え出す。今まで見て見ぬふりをして心の中にしまい込んだ記憶だ。帝国の人たちは優しい。だからこのまま胸の中に閉まっておいても、彼らは何も言わないだろう。

 そうやって彼らの好意に甘え続けても良いのかもしれない。けれども、コトハはそれを良いとは思えなかった。イーサンに隠し事はしたくない、と考えたからだ。


「……大丈夫か?」


 無言になったコトハを気遣うイーサン。やっぱり彼は優しいのだ。コトハは意を決してイーサンの顔を見る。


「はい。あの、イーサン様、お願いがあるのですが……手を握っていただけないでしょうか?」


 そうすれば、話せると思うから。

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