「あれ、もしかしてイーサン様とコトハさんじゃありませんか?」
食事をとっていたマリは見覚えのある二人を見て声を上げた。彼女達は今、ある茶寮で食事をとっていた。そこは本通りの景色がよく見える窓側の席だったためか、偶然目に入ったのだろう。
マリの指差した方を見たレノは、「ああ、あれはそうさね」と答える。その言葉にニックとヘイデリクは彼らの様子を見ようと、顔を後ろへ向ける。
「ああ、本当だ。うちの室長じゃん」
「やっと彼女と二人きりになれたのか。二人で出掛けたい、と常々言っていたが……」
「あ、やっぱりヘイデリクさんにも言ってました? 室長もどう誘えば良いか悩んでましたよ〜」
既にヘイデリクは興味を無くしたのか、それとも友人に気を遣っているのかは分からないが、顔を戻して料理を黙々と食べている。一方で二人の様子が気になっているのか、ニックはまだ後ろを向いている。
「あれ? レノ様。あそこの店はレザボンのお店ではありませんか?」
「ああ、最近流行っているとオーガスタが言っていたねぇ。後で買って帰るさね」
「イーサン様はどうやらレザボンを購入したようですね。レノ様、ちょっと気になるので私も買って帰りたいです!」
既に甘味であるレザボンに夢中の女性二人が、楽しそうに話す中、驚いたのはニックである。
「え? 今から食事なのに、室長は何でコトハ様に甘いものを渡してるの?」
彼は再度振り向いて二人の様子を見ると、丁度コトハがレザボンをひとつ食べているところだった。レノもニックの言葉を聞いて、コトハ達の様子をちらりと見てみる。美味しいのか微笑んでいるコトハを見た後、彼の疑問に答えたのはレノだ。
「あー、もしかしたらお嬢ちゃんが緊張しているのかもしれないさねぇ。イーサン様と二人きりの外出は初めてだろう?」
「言われてみればそうですね」
マリも今までの事を思い出す。部屋で喋っていた事はあるが、出かけた事は無かった気がする。マリからすれば、執務室で二人きりになるのも、外出もそう変わらないとは思うけれど。
「いやいや、移動の時も二人っきりだったじゃないか! あの時は楽しそうに見えたけど……」
「周囲にはあたしらもいたし、完全に二人きりという状況でもなかったからね」
「それにしたって……」
「まあ、ニック。思うところはあるだろうが、お嬢ちゃんはあたしらの知らない土地で暮らしてきた子さ。あたしらの常識が当てはまるとは限らないさね。そこを受け入れようと理性を総動員しているのが、イーサン様さ。あたしはお嬢ちゃんの番がイーサン様で良かったと思っているよ。彼ならいつか彼女が心を開いてくれると思うさね」
レノはそう告げて顔を真っ赤にしているコトハをじっと見つめる。どうやら手に持っていたレザボンをイーサンに渡したらしい。それをイーサンが食べた様子が伺えるので、きっと素で残っていたレザボンをイーサンに渡したのだと思う。
「心を開く、ですか?」
「そうさ。今でもそうだが、彼女はあたしらと一線を引いていたところがあるさね。大分それも薄れてきたとは思うが……内心人と関わる事に恐怖を抱いている気がする。あたしから言わせれば、そんな状態で神子として人の前に立つお嬢ちゃんは凄いと思うさね」
神子として働いて欲しい、そう強く望んでいるのは帝国側だ。
それを理解しているからこそ、全員がお伺いを立てているのである。マリも含めた過去の迷い人には、このように押し付けた事はない。皆自分で何をしたいか選んでいるのだ。まあ、マリはヘイデリクに絆されたのは否めないが、彼女も紆余曲折を得て幸せそうだから問題ないだろう。
ニックは孫を見るような瞳でコトハを見るめるレノに、息を呑む。
「……レノ様がそう仰られるのなら、そうなのでしょう」
「まあ、あたしの分析は間違っていないと思うさね」
「もしかして、レノ様がコトハさんを『お嬢ちゃん』と呼ぶのは……?」
マリは不思議だったのだ。レノが頑なにコトハを「お嬢ちゃん」と呼ぶ事に。それを指摘すれば、彼女は肩をすくめた。
「彼女が受け入れる土壌を作ってから、と最初は思っていたんだけどねぇ……イーサン様より先に呼び捨てで呼べば、あたしが恨まれそうで怖いさね」
そう笑って告げれば、笑いを堪えられなかったらしいニックが吹き出した。
「……本当ですよ〜。コトハ様の前では室長も余裕ぶってますけど、まだあの方も三十ですからねぇ……表情と雰囲気で歴戦の男のように見えますが、まだまだ若くていらっしゃる」
「そう言うお前もあたしから見れば若造さね」
「仰る通りで」
ニックは両手を上げて降参の姿勢をとる。そして後ろを振り向いてから、もう一度二人へと視線を送った。コトハの肩を抱いているイーサンは心なしか表情が柔らかく、口角が上がっているように彼から見えた。
その二人から視線を外し、ニックは食器へと向き直る。
「まあ、何にしろ……番がいないと判定されていた時のイーサン君は……その喪失感を埋めるかのように仕事に没頭していましたからね。外交室一同、いつか身体を壊すのではないかと心配していましたが、その前に彼女が現れてくれて良かったと思います」
「本当にその通りさね。あんな笑顔のイーサン様は初めて見たよ」
「そうなんです! 外交室内でも皆驚いているんですよ〜。コトハ様のところから帰ってくる室長はいつも頬が緩んでますから。最近は室長の雰囲気が柔らかくなったと、皆に評判ですよ」
微笑みながら話す彼らの想いはひとつ。二人が幸せになって欲しい、という事だ。ニックはもう一度窓の外に視線を向けるが、既に二人の姿は見えない。その後すぐに食事をとりつつも、心の中で無愛想な室長の幸せを祈っていた。