イーサンが普段通りに業務をこなしていたある日。
嫌な予感を感じながら彼らの元へ訪れると、ファーディナントはすぐに話し始めた。
「カルサダニア王国より、『番探し』の依頼が来た」
「……カルサダニアから、ですか? 彼の国も神子がいましたよね?」
「ああ。だが、彼女の手に負えないものらしい」
「どうぞ」とパウルから渡された封筒には、封蝋印以外何も書かれていない。だが、中に入っている手紙の一番下にはカルサダニア王国の国王陛下の名前と、王家の紋章が押されていた。これは内密な依頼の際に使われる手法だ。
手紙を一読し、パウルへと返した。
「この件に関しましては、レノ様とコトハ様のお二方に依頼しようと考えております。外交室長の考えをお聞かせ願えますか?」
予感が的中したと思った。番探しは神子として一番の仕事だ。責任感が強いコトハに依頼をすれば、彼女は二つ返事でカルサダニアへと向かうだろう、と予想される。
ただ、イーサンとしては彼女と離れるのが嫌だった。だが、彼女の邪魔はできない……そんな思いがせめぎ合う。と言っても、この依頼は他国の王族からの依頼なので、断る事などできないのだが。
「相手側は力の強い神子の派遣を依頼しておりますので、レノ様とコトハ様に依頼するのは当然の事でしょう。ですがひとつだけ、コトハ様には依頼を受けていただけるか、お願いをすべきかと。ただでさえ、神子という立場を我々がお願いしている立場ですので」
「勿論、お伺いは立てる予定です」
「それでしたら問題はないかと思います」
そう告げたイーサンがお辞儀をすると、パウルは確認を終えたのか一歩下がる。その様子を見届けたファーディナントは、自分の出番が来たと思ったのだろう。イーサンへ話しかけた。
「で、その神子の番である外交室長はどうする?」
「どう、とは?」
「王国へは神子の二人以外にも親善大使として外交官室から二名ほど同行をお願いしようと思っているのだが――」
「私が行きます」
間髪入れず答えるイーサンに、ファーディナントが大笑いをし、パウルが「やれやれ」と言わんばかりに額に手を触れている。
「そう言うと思ったから、お前は親善大使の長として同行する事にしてある。それなら問題ないだろう?」
「ありがとうございます、皇帝陛下」
礼を述べるイーサンを見て、満足げな表情を見せるファーディナントは、パウルの方へと振り向いた。
「さて、もう一人はニックでいいだろう? そろそろ我が弟に聞きたい事があるのだが、宰相、良いか?」
「貴方様はいつも……いえ、良いでしょう。その代わり、私もこの場に留まりますが、よろしいですね?」
「勿論だ」
二人が笑いながらイーサンを見ている。その笑みを見て、イーサンは先程よりも一層不安な空気を感じたのだった。
イーサンの予感は当たっていた。三人は執務室に置かれている来客用のソファーにかけた後、ファーディナントは開口一番――。
「レノ殿から儀式の日、コトハ嬢と二人きりになったと聞いたぞ? どうだったんだ? 接吻ぐらいしたか?」
ファーディナントは勿論冗談のつもりだった。てっきりいつものように「そんなわけないだろう」とため息をついて突っ込むくらいだろう、と思って。だが、イーサンは予想外に反応が良かったのだ。
「……なっ! 兄さん! そ、そんな事するわけないだろう!」
接吻という言葉に、イーサンは狼狽え頬を赤く染める。彼のそんな反応を見たのは、二人とも初めてだ。そして、思った。「イーサンは異性に対する免疫が全くないのだ」と言う事に。
ファーディナントやパウルから見れば彼は初々しいのである。
「それにしては、イーサン……心が乱れておりますね? あれだけ表情を変えない貴方が赤面するなんて、珍しい」
「パウルの言う通りだ。何かあったんだろう?」
ファーディナントは皇帝ではなくイーサンの兄として、パウルは宰相ではなく……昔お世話になったおじさんのような雰囲気を醸し出していた。既にこの場は無礼講だ、と言わんばかりだ。実際二人はそう思って言葉を崩しているのだろう。
こうなった兄は止められない。そしてイーサンが二人に洗いざらい言うまで、彼は仕事に取り掛からないだろう。そう思ったイーサンは、渋々と先日あった事を話し始めた。
「……あっはっは! 謝罪で頭を机にぶつけるなんて初めて聞いたぞ?」
「どれだけ貴方が動揺していたか、手に取るように分かりますね。いやはや、ヨルダンも見事な行動でした」
イーサンはヨルダンの入室後にあった事を全て話した。話し終えて言われたのがこの言葉である。
「ですが、イーサン。コトハ様が貴方の事を心配してくれたのでしょう? 本当に良かったですね」
「きっとお前の今の様子なら、彼女が額に手を触れた時も顔が真っ赤になっていただろうな! いやあ、まさかお前がそんなに純朴だとは思わなかった!」
二人に言われ、イーサンは恥ずかしさを
「今回の依頼はカルサダニアですから、イーサンたちは竜化して行く事になりませんか? 貴方、その状態でコトハ様を背に乗せられます?」
「……え?」
聞き間違えかと、イーサンは思わず聞き直した。
「考えてもみてください。今回竜化できる女性はレノ様一人ですよ? ですが、レノ様にはこちらがつける侍女に乗ってもらう予定なのですが……すると他は全員男性です。イーサンはコトハ様を他の者を背に乗せたくないですよね?」
「勿論だ」
「つまり、イーサンはコトハ様を背へと乗せる事になるではありませんか」
「……」
「お、イーサンが無言になったぞ」
「大丈夫ですかねぇ」
その事に気づいていなかったイーサンは頭を抱えた。番が自分の背に乗る、その事に嬉しさと照れを覚えたのである。イーサンの表情は見えないが、耳が真っ赤になっており、本人が照れているのは二人からも丸わかりだった。
「俺、大丈夫か……? いや、あと最低一週間は猶予があるはず、そこまでに心を――落ち着けられるだろうか?」
ぶつぶつと呟いているイーサンを見て、パウルとファーディナントは無言で視線を交わし……また、目の前で唸っているイーサンを見て、二人で肩を竦める。
「まあ、その時までに落ち着ければ良いな」
「そもそもコトハ様は竜を見た事があるのでしょうか? 怖がられないと良いのですが……」
先程まで赤面していたイーサンの顔面は蒼白になっている。
「そうか……竜が怖いと言われる可能性もあるのか……その可能性を考えていなかった……」
「まあ、大丈夫なんじゃないか?」
「陛下、そんな根拠もなく……」
「彼女は見た目で判断するような娘ではないと思うがな。まあ、竜化すると巨大になるから、そこを怖がることはあるかもな!」
笑いながら告げるファーディナントの言葉に、更にイーサンの不安は募る。
「だが、もしかしたら乗るのを拒否されるかもしれない……俺は怖がられたら、正気でいられるのだろうか……」
「ちゃんと事前に伝えておいてくださいね――って、聞いていませんね」
パウルはひとつため息をつく。そんなイーサンの重苦しい空気を取っ払うかのように、ファーディナントは豪快に笑いながら話す。
「我が弟よ! そんな後ろ向きな事を考えるのではなく、もっと前向きに考えたらどうだ? 竜化するのであれ、馬車であれ数日間は一緒なんだぞ。もっと喜ぶべきではないか?」
「確かに陛下の仰る通りですね。しかも竜化で向かうのであれば、ずっとコトハ様がイーサンに触れているという事になりますからね。この調子で大丈夫なのですか?」
「いやぁ、ダメだろうなぁ! ははは! その時までに覚悟しておけよ〜」
そんなファーディナントの笑い声がイーサンの耳に残ったのだった。
そして思った以上に早く時間が過ぎていき当日。
レノが竜化した時に怖がる様子もないコトハを見て、まずは第一関門を突破したと胸を撫で下ろした。次々と竜化していく者たちを横目で見た後、イーサンは目を瞑って竜化する。
目を開くとレノの前にいるコトハと目が合った。やはり怖がる様子もないので、ゆっくりと彼女の方へと歩いていく。するとコトハもイーサンの元へ歩いてくるではないか。その事にイーサンは胸が熱くなった。
ふとヘイデリクに視線を送ると、マリが彼の頭を優しく撫でている。彼らを見ていて、
――俺もあんな風に触れられたい。
竜化した事により少々本能が強くなったからか分からないが、イーサンはいつの間にかコトハの目の前で寝そべって頭を地面に付けていた。コトハを一瞥すると、彼女はイーサンの行動に戸惑っているようだ。
するとコトハに近づいたバーサが何かを彼女に耳打ちしている。イーサンが顔をもたげようと首を動かそうとした瞬間に、額に手が添えられ撫でられたのだ。信じられないと言わんばかりに瞼を開いたイーサンが見たのは、微笑みながら彼を撫でているコトハだった。
バーサ、ありがとう……と心の中で感謝したイーサンは、彼女の手を心ゆくまで堪能したのだった。