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第22話 幕間 イーサン

 兄であるファーディナントの元へ顔を出した後、再度レノの元へと向かう。パウル宰相から見学や座学の許可が出た事を伝えに戻ったのだ。彼がレノの執務室へ足を踏み入れると、彼女はのんびりと紅茶を飲んでいた。


「おや、イーサン様。意外と早かったね」

「ああ。全て許可が出た」

「まあ、問題ないとは思っていたけれど、良かったさね」


 そう言ってまたレノが紅茶に口をつけていると、扉を叩く音が部屋に鳴り響く。誰かと思い入室を許可すれば、そこに居たのは宰相の遣いの者だった。レノが手紙を受け取り、イーサンの前で内容を確認する。彼女は全て読み終えると、それを机に置いてイーサンに読むようにと告げた。


「良いのか?」

「良いさね」


 そこに書かれていたのは、コトハの座学に関する事だった。

 話によればもう既にマリとヘイデリクから教鞭を取る事に了承を得ており、明日の午後に一度コトハが何を学びたいのか、についてを聞き取りに来るらしい。準備の時間も考慮して、座学は二日に一度、午後の時間を利用する事で同意したとの事。明日、コトハに許可を得ればそれで進めていくとの事だ。

 コトハの要望通りになっている事にほっと胸を撫で下ろすが、ある事に気づき頭を抱える。それを見たレノが声をかけた。


「おや、イーサン様。何で頭を抱えているさね?」

「いや、これからコトハ嬢と会えないのかと思うと……俺はどうしたらいいかと思ってな……」


 コトハは今神子として頑張ろうと意気込んでいるところなのだ。自分がそれを潰すわけにはいかない、そうイーサンは思っている。だが、今でも会える時間が少ないのに、更に彼女に会えなくなると思うと、これから生きていけるのだろうか……と顔面蒼白になって大真面目に悩んでいたのである。

 レノはその言葉に目をまん丸くして、愚直に頭を悩ませているイーサンをじっと見つめた。


「いやいや、イーサン様! イーサン様は外交官という強みがあるじゃないか。お嬢ちゃんの休憩時間にでもここへ来て、お嬢ちゃんが勉強した箇所でイーサン様が知っている事があれば教えたりできるだろう?」

「……あ……」


 思いつかなかったと言わんばかりの呆けた表情を見せたイーサンにレノは追い打ちをかけた。


「普段のイーサン様なら思い付くだろうに……珍しく思考が短絡的さね」

「面目ない……」


 レノは肩を竦める。あれまあ、大丈夫かねぇ、きっとコトハを思うあまりの事だろうが……とレノは心配になった。



 次の日からイーサンは、ヘイデリクやマリに確認し座学の休憩時間に合わせてコトハの元へ訪れるようになった。最初のビスキュイを食べている彼女の様子を見て、甘味は好きなようだと理解した彼は毎回違う店の甘味を持って行く。


 普段からある眉間の皺が、コトハの前だと解れていくのを感じる。最初にビスキュイを持って食べた時は、まるで小動物のように愛らしい、と思った。

 ヘイデリクも同じ事を思ったのか、「小動物みたいだな」と言ってマリに拳骨をもらっており、その様子を見て笑っている彼女も素敵だと和む。

 またコトハは彼から貰ったお菓子を幸せそうな表情で食べるので、それを見ているイーサンの心も温かくなった。普段であれば眉間に皺を寄せているイーサンだったが、彼女の前では微笑ましくて眉が下がってしまう。


 そのような姿を見られるだけでもイーサンは幸せだった。だが、いつもお菓子をもらうと「ありがとうございます」「美味しかったです」とイーサンに感謝を述べる姿も、愛おしい。



 そんな中、何回目かに訪れた際、彼女が恥ずかしそうに言った。


「あの、貰っているのに申し訳ないのですが……お土産の量を少なめにしていただけないでしょうか……?」


 最初はお菓子を持ってこなくて良い、と言われているのかと思い、お菓子ではなく花や装飾品などにするべきだろうかと悩んでいたイーサンを止めたのもコトハだった。


 「えっと、少々お恥ずかしいのですが……お菓子が美味し過ぎて食べ過ぎてしまうのです。食堂で作っていただいた食事がお腹に入らなくて……」


 そう恥ずかしがりながら告げるコトハがなんとも可愛らしく、心の中で悶絶しながら了承したのだ。あの時、顔がニヤケそうになるのを耐えるのが大変だったくらいだ。


 またお菓子を食べている時の表情もさる事ながら、神子として一生懸命学んでいるコトハをイーサンは敬愛していた。故郷を追放され、迷い人としてこの国に来た彼女は、辛い思いをしているのだろうと思う。だが、そんな状況でも神子として前を向き、自分の力を他者のために使いたいと考える姿勢がイーサンは好ましいとも思っていた。

 そんな彼女だからイーサンはコトハの役に立ちたいと思ったし、番だからだけではなく彼女の事を知りたいと思う。


 彼女と会う時間がいつの間にかイーサンの癒しの時間になっており、その心の余裕からか執務室でも微笑んでいる事が多いらしい。「最近よく笑ってますね〜」とロジーネが言っていたが、その通りだ。もう番が判明していなかったあの時には戻れないだろう、と彼は思った。


 だからまさか甘味で彼女が泣くとは思っていなかった。


「……カスティリアだわ」


 そう告げた彼女の目からは涙が溢れていた。慌てて泣いているコトハの前に座り慰めなければ、と手を伸ばしたが理性で一旦抑える。

 コトハが番だと理解した時と同等の衝動が込み上げてくるが、心の中で押さえつけた。


「泣くほどデローが美味しくなかったか?! 今度からこれを買うのは控えるように――」


 そう告げて立ちあがろうとした服を引っ張ったのはコトハだった。服ではあるが初めての接触に、イーサンの胸は高鳴るばかりだ。ちなみにコトハは無意識の行動らしく服を掴んでいる事に気づいていない。すぐに服から手を離し、ポツポツと涙をこぼした理由を告げる。


 故郷を思い出して泣いた、と聞いて胸が痛くなった。と同時に、服から離れた手を名残惜しく思う。何か彼女の役に立てないか、そう思った時、コトハが少し悩むようなそぶりを見せていた。

 聞けば、彼女の母が作ったデローの味と少し違っているらしい。それならば、と少しでも彼女を喜ばせたいと思ったイーサンは、デローの作り方を知っているマリに協力を依頼をした。



 それから数日後。


「そういえば、イーサン様。お嬢ちゃんのためにデローを手作りしているんだって?」


 コトハがデローで涙したその日に、彼はマリとヘイデリクに相談し、自分でデローを作りたいと頭を下げて願ったとレノは聞いていた。まさか自分で作ると言い出すとは思わなかった。てっきり販売店舗に依頼するのかと考えていたレノは、それをマリから聞いた時に驚いたのだ。

 イーサンはこともなげに言う。


「ああ、今特訓中だ」


 力強く言うイーサンに、レノは感心する。


「そうかい、がんばるさね。だが、あたしはてっきりイーサン様は料理をした事がないと思っていたからねぇ。料理をした事があるなんて凄いさね」

「いや、料理などした事はないな。今回が初めてだ」

「そうなのかい!」


 レノは思わぬ情報に目を丸くしたが、イーサンの事だ。何でも器用にできるのだろうな、と思い直す。レノの頭の中では、イーサンが卒なくこなす様子が浮かび上がっていた。だから彼女は聞いてみたのだ。


「ちなみに進捗はどうさね?」


 そう聞かれて、イーサンは気不味そうな表情をした後、レノから目を逸らした。首を傾げるレノに、イーサンはぼそっと呟いた。


「卵を……」

「卵?」

「握りつぶしてしまい……いつもマリに怒られ、ヘイデリクに笑われている……」


 肩を落として言うイーサンに、レノは腹を抱えて笑ったのだった。



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