コトハはその後、何度か神子の力を確認するためにイーサンの部下に協力してもらい儀式を行ったり、引き続き勉学に励んだ。その間にコトハから許可を得た
見学から三ヶ月後、大聖堂の奥に併設されている儀式部屋にコトハはいた。部屋の外には人が集まっているのか、騒々しい。緊張で身体が強張っていた彼女に声をかけたのはレノだった。
「そんな緊張しなくても大丈夫さ」
「レノ様……ですが……」
コトハは儀式した相手の番の情報をきちんと拾えるか、そこに心配していた。三ヶ月でこの国の領地などは大体把握できたが、他国については大雑把な都市などの名称しかまだ聞けていない。きちんと聞き取れるだろうか、そう不安が募る。
それを見抜いているのか、レノは背中を優しく叩きながら言った。
「何度か練習をしたから大丈夫さね。最低名前と住んでいる場所が分かれば問題ないさ。お嬢ちゃんは真面目だから抱え込みやすいだろうが……最悪もし一度で把握できなければもう一度儀式を行ったっていいからね」
「よろしいのですか?」
「ああ。相手の許可を得てからにはなるけどね。失敗したらやり直そう、そんな気持ちで望めばいい。最初だから多めに見てくれるさね」
説得力ある言葉をレノに言われて彼女はだいぶ心が軽くなる。改めて気合を入れたところでコトハは立ち上がり、儀式を受ける参加者たちに顔を見せに向かった。
今日のコトハの服装は白いローブと呼ばれるものを身につけていた。ありがたい事に華美な装飾はない。巫女姫の服装は袴だったが、あちらも宝飾がなかったので、ありがたい。
そしてもうひとつ、
コトハは扉を開いて女神像の前に立った。目の前には儀式を受けるであろう多くの人々が礼拝堂の椅子に座って今か今かと待ち侘びていたらしく、彼女がそこへ立つのと同時に全員の視線が彼女へと向く。
そこで神子がレノでなくコトハであると知った彼らの表情には、驚き、疑念、困惑などがありありと現れている。そんな空気の中、彼女の隣にいた教会の司祭――面会時、ザシャの従者として顔を合わせていた彼がコトハを紹介した。
「本日儀式を担当いたしますのは、先日神子だと公表されましたコトハ様です」
「よろしくお願いいたします」
奇異な視線に晒される中、コトハは堂々とお辞儀をする。ここで狼狽えていたら、周囲から「心もとない」と思われるだけ。ただでさえ、神子玄人であるレノではなく、新人のコトハが儀式を行う事を不安に思う者は多いはずだ。
そう思ったコトハは頭を上げた後、しっかりと前を見据える。その表情に大多数の者たちは胸を撫で下ろすが……やはり全員がそうなるわけではない。コトハは司祭の後に付いて部屋へと戻ろうとした時、それは起こった。
「ちょっと待てよ!」
その声は丁度礼拝堂の真ん中あたりから聞こえる。彼女が声のする方へと顔を向けると、そこには怒りを露わにしている男がいた。その男はズカズカとコトハの前に歩いてきた事もあり、彼女を守るために司祭が一歩前へと割り込んでから冷静に告げる。
「何故でしょうか? 何か問題でも?」
「問題大アリだ! 何故今回はレノ様じゃないんだ! なんで知らない女から儀式を受けなくちゃなんねーんだよ! レノ様はどうしたんだよ!」
「本日はコトハ様が儀式の担当となりますので」
そう冷静に返答する司祭に苛立ってきたのか、その男は更に勢いづいていく。
「は? ふざけんな! こっちはわざわざ足を運んでいるのに、なんで大陸一の神子に見てもらえないんだ?! 不公平だろ?! おい、そこの女! 隠れないで出てきやがれ!」
そう告げた男は、司祭の後ろにいたコトハの腕へと手を伸ばす。そして彼女の腕を掴もうとしたが……その手は寸前で横から掴まれる。自分の思い通りにならず、更に顔を真っ赤にする男は、掴んだ男に一言文句を言おうと振り向いた。
だが、相手が誰か分かった瞬間。彼の表情は一瞬で青褪める。
「い、イーサン様?」
そう。彼の手を拘束したのは、後方でしれっと警備をしていたイーサンであった。
「その手を引っ込めろ」
その声は普段のイーサンと比べて一段階以上低い。コトハからはイーサンの表情を見る事はできないが、もしかしたら彼の機嫌が悪いのだろうか。イーサンから周囲へと漏れ出る圧を感じたコトハの表情が強張る。
彼の表情は見えないが、腕を掴まれている男は、血の気が失せていた。
「彼女は正真正銘、大陸一の神子だ。あのレノ様が認めたな」
イーサンの言葉に周囲が騒々しくなる。そこら中から「本当だったんだ!」という声が聞こえた。公表の段階でも大陸一である事は伝えていたが、同時に彼女が迷い人である事も知られているので、他の場所から来た者が本当に大陸一の神子となり得るのか、と半信半疑だったのである。
「イーサン様、ですが……」
男は反論しようと声を上げるが、イーサンにじろりと睨みつけられる。まだ相手が納得していない、と判断した彼は司祭へと顔を向けた。
「そうだろう、ブラッド司祭」
「はい。判定儀式に大司祭様と私が同席しておりましたが、大司祭様曰く『レノ様よりも光が強かった』と話しておられました。それに、レノ様本人もそう仰っているのですよ? 貴方はお二人の目をお疑いになると?」
大司祭という言葉を出されてその男が怯んでいる中、周囲は彼の言葉を聞いて、コトハに対する目の色を変えた。大司祭であるザシャの右腕とされている司祭であるブラッドが言うのだ、それは正しいのだろう。
「それに、私の部下の協力を経て神子の力を確認しているが……彼女はレノ様も驚くほどの情報量だった」
そう告げたイーサンはコトハに視線を送る。確かに情報量はレノよりも多いかもしれないが、それをうまく活かせていないのだ。だからコトハは一言告げた。
「イーサン様。何処の馬の骨か分からない者が儀式を行うんですもの。皆様が不安に思うのも仕方ないと思いますわ……次からはそう思われないように、今日の儀式を頑張りますね」
そう微笑むと、イーサンは蕩けるような笑みを彼女に見せる。イーサンの表情が見えた者……特に手を掴まれている男と司祭は、彼の表情の変わりように眼を白黒させる。
その後一瞬で普段のような無表情に戻ったイーサンは、周囲を見回して話し始めた。
「コトハ嬢の力はレノ様以上のモノだ。レノ様が言うには、入ってくる番の情報量が桁違いなのだそうだ。何度か確認をしたらしいが名前と住所だけでなく、相手の家族構成、家族も含めた職業なども把握できると言う。これを一度の僅かな時間で理解するのは難しいだろう?」
周囲の者たちはイーサンの言葉に驚きを隠せず、一気に騒々しくなる。今の話を聞けばレノよりも力が強い事は一目瞭然だったからだ。彼の言葉に司祭は頷き、突っかかった男は口をあんぐりと開けて言葉が出ない。
そしてイーサンはコトハを庇うために無意識で話していたのか、「勝手に事情を話して済まない」と小声で伝えてくる。非常に申し訳ない表情をしていた彼へコトハは首を横に振り、「ありがとうございます」と感謝を述べた。
その様子を見ていた者は、目を丸くした。そこに無表情で部下に厳しく、他国の重鎮でさえ圧を感じると有名なイーサンの姿はなく、一人の女性を心配し気遣う彼の姿があったからだ。それを見て二人が番である事を察する者もいた。
彼の表情の変化もあって、更に周囲が騒がしくなる。それを鎮めようと、イーサンは自分の言葉が聞こえるように一度手を叩いた。
「彼女はその能力に胡座をかく事はせず、努力しているのを俺は常に見てきた。彼女は少しでも儀式を受けた者に情報を渡したい、との思いから、この大陸についての情報を頭に入れ、情報を引き出す幅を広げているのだ。そんな彼女の力は俺が保証しよう」
今までの努力を認められて、コトハはほんのり頬を赤らめた。嬉しかったからだ。故郷では今まで彼女がやってきた事を、このように認めてくれる人はいたかもしれないが、言葉で伝えてくれる者はいなかった。穢れは他人の目に見えなかったから、という事もあるだろうが……巫女姫として穢れを払う事は当たり前だという風潮があったのは否めない。
イーサンが自分を認めてくれた事で、更にコトハは気合いを入れた。彼の思いに応えたいと思ったからだ。
彼女は一歩踏み出し、今だにイーサンに手を掴まれている男に近づいた。そして彼の目を見て微笑んだ。
「もし私の儀式でご満足いただけないようでしたら、何度でも儀式をさせていただきます。それでも満足できなければ、レノ様に儀式をしていただけるよう私が口添えいたしますね。ですので、何かあれば儀式を受けた後に仰ってくださいませ」
厳かたる雰囲気に男は圧倒され、「ああ……」と呟く事しかできない。イーサンが問題ないだろうと判断したのか彼の手を離すと、男はふらふらしながら自分の並んでいた列へと戻っていった。
コトハはお辞儀をして儀式部屋へと戻っていく。その後ろ姿に多くの者が目を奪われていた。