翌日からマリとヘイデリクにより二日に一度の座学が始まった。
基本はマリが講師として、補足があればヘイデリクが話すと言う流れだ。マリはコトハが復習しやすいようにと、書き込んで問題ない白地図を用意しており、その中に詳細な内容を書きとめていく形をとっていた。
これはマリが考案したもので、後日これを見たパウルが「勉強に良い」と唸ったほどだと言う。
一日目の勉強も順調に進み、一時間半ほど経った頃。区切りの付けやすい所まで教えたと一旦休憩を取っていた時、扉をノックする音が聞こえた。マリが「どうぞ」と声をかけると、入ってきたのはイーサンだった。
机に地図を広げているコトハを見て、彼は少々困惑した様子を見せる。
「もしかして勉強中だっただろうか?」
「あら、イーサン様。大丈夫ですよ! 今休憩中ですから」
「それは良かった」
「イーサン、仕事は大丈夫なのか?」
「ああ、問題ない」
マリとヘイデリクがイーサンと話す中、コトハは彼を見て固まっていた。やはりまだどう接すれば良いのか分からないからである。
そう考えて、何故マリは話しやすいのかとふと疑問に思うったが、練習と言ってマリの情報をコトハは得ているので、相手の事を知っているという事が重要なのかも知れない。
一方でイーサンの儀式はレノが行ってしまい、コトハの中で彼の情報といえば皇帝の弟君である事、外交官として働いている事くらい。その差だろうか。
マリに送っていた視線をイーサンに戻すと、彼と思わず目が合った。視線が交わった瞬間、イーサンはニコリとコトハに笑いかける。ぼーっと彼の顔を見ているコトハの目の前に、いきなり箱が差し出さる。
「え、えっと?」
「ああ、いきなり差し出してすまない。コトハ嬢、よかったらこれを食べると良い」
「あ、ありがとうございます」
差し出された箱の蓋を持ち上げると、そこに入っていたのはふたつの箱だった。そのひとつを取り出し開けると、そこに入っていたのは丸い形をした薄い黄土色の何かである。食べると良い、と言われたので多分食べ物だろうと思ったコトハは、イーサンに何度も視線を送りながらもマリとヘイデリクの前にも箱を差し出した。
「あら、これは大通りにある人気店のビスキュイじゃない!」
「ビスキュイ、ですか?」
「そうそう。あ、もしかしてこのお菓子初めて?」
マリにそう言われてコトハは頷く。
「なら一口食べてみたら良いわ。それに、ほら、イーサン様も食べて欲しいと思っているようだし」
そう言われて恐る恐る一口含むと、思いの外硬い食感でパリッと音がする。そしてほんのり口に広がる甘さも感じた。久しぶりの甘味にコトハは思わず言葉を溢す。
「美味しい……」
「それは良かった。レノ様には別の物を渡してあるから、これは皆で食べると良い」
「ありがとうございます」
ほのかな甘みで顔が綻んだまま、コトハはイーサンへとお礼を告げた。すると彼の耳がほのかに赤く染まっている気がしたが、気のせいだろう。
折角だからともうひとつの箱も開けようと手を伸ばしたが、マリに遮られた。
「私たちは半分だけで良いわ。一箱はコトハさんが持って帰るといいわ」
「ですが……」
「私たちはお零れだけで十分よ。ね、デリク?」
「その通りだ。それよりも、今日の座学は王都付近の内容に焦点を当てたのだが、イーサンも何か補足はないか? 俺も補足を伝えているのだが、現場の者の方がより情報があると思ってな」
「それなら手助けになれるかも知れないな。今日の内容を見せてくれるか?」
「これだ」
ヘイデリクとイーサンは二人で座学の内容について確認をし始める。コトハが首を傾げて、仕事は問題ないのだろうかと心の中で思っている間に、マリが残った一箱をコトハの前に置いた。
「マリさん、折角ですから皆さんで……」
再度皆で食べようと言葉にするも、マリは人差し指を唇に当てた後、片目をつぶる。
「イーサン様はコトハさんに贈ったものなの。だから、是非持って帰って食べてね」
「でも、私が返せないのに貰うのは……」
今まで贈り物をもらう、という事など無かったため、どうしても遠慮してしまう。その気持ちが分かったのか、マリも腕を組んで首を縦に振っていた。
「うん、分かる。私も最初の頃は毎日デリクから贈り物を貰っていたもの」
「毎日ですか?!」
「そう。私も驚いて、竜人族や獣人族の番を持つ人族の知り合い何人かに聞いてみたけれど……大体の人が毎日貢がれていたって言っていたわ。相手の笑顔が見たい、と思うからこその行動らしいわ」
「そうなのですね……」
「だからイーサン様も、きっとコトハさんの笑顔を見たいのよ」
そう言われてコトハはチラリとイーサンを一瞥する。彼は引き続き、ヘイデリクとマリの使用していた地図を見ながら話し合っている。
でも、贈り物は申し訳ないと思った彼女は、後でイーサンに「持ってこなくていいです」と告げようと考えていたのだが、その考えが手に取るように分かったらしいマリが止めた。
「ちょっと待って、コトハさん。今、お菓子を断ろうとしてない?」
「ええ、どうしても悪いなと思ってしまって……」
「うん、そうなんだよね。実は私も同じ疑問を持って、デリクに『要らない』と告げた事があるのだけど……顔が真っ青になった後、捨てられた仔犬のように縋り付いてきて、『やっぱりこれだと安すぎたか? 宝石とか、そういうのを送った方がいいか?!』って更に貢がれそうになったから……」
遠い目でヘイデリクを見ているマリに、色々と察したコトハ。
「マリさんは今でも毎日贈り物を……?」
「まさか! 毎日顔を合わせていたから、一ヶ月くらいした頃かな? ちゃんとデリクに友人としての好意があると伝えた上で、『物を贈られるよりもデリクについてもっと知りたい』と言ったら、贈り癖はなくなったわね。デリク曰く……贈り物を渡すのは、顔を合わせる口実のひとつなのよ。それを拒否されると会いたくない、自分は嫌われている?! って思っちゃうらしいわ。多分今日持ってきたお菓子もイーサン様が選んだ物だろうし」
確かに自分の選んだ贈り物を渡して要らない、と捨てられたら……と思い胸を痛める。それは確かに彼に申し訳ない。
「それか食べきれないようであれば、量を少なくして欲しい、と頼むとかは有りかも。少しずつ関わりながら、改善していけばいいと思うわ」
にっこりと笑うマリ。コトハはその笑みにつられて頷いていた。