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第15話 訓練

 翌日の朝。レノより延期した儀式は今日行う、と言われコトハは了承する。イーサンの事はあるが、これはこれ、それはそれ。彼女としても神子としての実力を把握しておきたいと思ったのだ。まずはそこに集中しよう、と彼女は思った。


 そして昼食後。最近の日課である読書をしていたコトハに声を掛けたのは、レノであった。


「ああ、足音が聞こえるねぇ。お嬢ちゃん、準備をよろしく頼むさね」


 彼女の言葉通り、耳をすますと複数人の足音がこちらへと向かっているのが分かる。コトハは自分用の宝玉を取り出し、左側の執務机に置いておく。現在、真正面の執務机はレノが使用しているため、左側に置かれていた執務机を借りる事になったのだ。

 準備を終えたのと同時に入ってきたのは、イーサンだった。彼は「失礼する」と執務室へ入室した後、レノと視線を合わせたと思えばすぐにコトハに顔を向け、彼女へ向けて優しく微笑む。そんな彼にコトハはなんとなく目を離す事ができなかった。

 彼女が我に返ったのは、イーサンの後ろから部下三人が現れてからだ。


「昨日は申し訳なかったねぇ」

「お気遣いいただき、ありがとうございました」


 コトハも申し訳なさからぺこり、と頭を下げる。彼らにとっては二度手間な上、その分仕事時間が減るのだ。それにもかかわらず、イーサンの部下たちはニコニコと笑っている。


「レノ様、コトハ様大丈夫ですよ。一番の目的は達成されましたからね」

「ヨルダン先輩の仰る通り、昨日は色々ありましたから仕方ないですよ」

「私たちはついでですから〜。それに儀式の延期を言い出したのは、イーサン様ですし!」


 三人は、見合わせたかのようにイーサン見る。レノも彼らの視線の先を見ると、そこにはコトハを見て口角を少し上げたイーサンがおり、その姿を見た三人は満面の笑みを浮かべた。

 一方でコトハはイーサンの熱い視線から逃れるように三人を見る。彼らの表情が非常に嬉しそうに見える事から、イーサンはきっと慕われている人なんだろう、と思った。そして最後にレノを見る。


「そう言ってもらえるとありがたいねぇ。じゃあ、ちょっと三人に協力してもらおうかね」

「よろしくお願いいたします」


 コトハが三人に頭を下げた後、イーサンが一歩前に進み出た。


「レノ様、これが彼らの番の情報だ。先に渡しておく」

「ああ、イーサン様。見させてもらうさね」


 レノは封筒を受け取ると、コトハに見えないよう自分の執務机に腰掛けてから中身を取り出して確認する。その間にコトハは部下三人に囲まれて自己紹介を受けた。


 イーサンの部下は女性が一人、男性が二人だ。女性はロジーネと言い、丁寧な言葉遣いをする男性はヨルダン、そしてもう一人がズウェン。

 ヨルダンはイーサンより年上で、彼が外交官室長になる前から外交官として働いていたそうな。御歳五十歳になるそうだが、本人は二十代後半と言っても差し支えない容姿をしている。五十歳でも竜人族の中では若者なのだそう。

 ロジーネは外交官室の中で一番若く、配属されてまだ一年目だそうだ。先輩であるズウェンについて業務を教わっているらしい。「ズウェン先輩、礼儀に厳しくて……」と愚痴を言う彼女に、彼は「当たり前だ!」と頭に手刀を入れていた。ロジーネが痛そうにしている姿を見てコトハは狼狽えるが、ヨルダンは「いつもの事です」と言って笑っている。

 外交官室は比較的若い竜人たちが多い。理由は歳を重ねるごとに、他国……特に人族の国の変化についていけなくなるからなのだとか。そのため、イーサンの前の外交官室長は六十の年……五、六年ほど前にイーサンへと室長の座を明け渡したと言う。


 故郷では一度権力者になった者は、軽々しく地位を他者に譲る事はしない。権力にしがみついている、という言い方が正しいか。故郷とは価値観も違うのだろうな、と考えていた時、レノの声が聞こえた。


「……ふむ、なるほどね。確かにこの三名はお嬢ちゃんの力量を測るには、良い人選さね」


 書類を見終えたらしいレノが、顔を上げる。そして広げていた書類を机に裏返しておいた。


「さて、お嬢ちゃん、そろそろ始めようか。皆よろしく頼むよ」

「じゃあ、私からお願いしまーす!」


 自身の居場所を主張するように手を上げて飛び跳ねるロジーネに、ズウェンは頭を抱えて「もう少し落ち着け」と彼女に声をかけるが、本人は「落ち着いてますってば」と言い張りながら、イーサンから渡された椅子をコトハの前に置いて座る。

 コトハはそのやり取りに笑みが溢れたが、儀式だからと表情を引き締めた。習った事を頭の中で反芻はんすうしながら、気持ちを切り替える。まずは名前だ。


「貴女のお名前を教えていただけますか?」

「ロジーネ・ベンディクスです」


 次にコトハは宝玉の前で祈るように手を握る。そして目を瞑った後宝玉に意識を向け、そこに力を流し込んだ。これは以前故郷で巫女姫として浄化をしていた時と同じ仕草だ。力を流し込む対象は、宝玉ではなく泉や貯水池だったが。


「ロジーネ・ベンディクス様へ女神アステリア様のお慈悲を」


 すると頭の中に彼女の番の情報が入ってくる。成程、彼女は年下の竜人族が番のようだ。コトハは頭の中から情報が消えた後、目を開く。なんとなく目の前の三人が目を見開いて驚いているようにも見えるが、気のせいだろうと彼女は思った。

 忘れないうちにロジーネへと情報を伝える。


「ロジーネ様の番は、帝都出身で竜人族の二十二歳男性ですね。お名前はパール・ニルソン様。ご実家は青銅亭……と呼ばれる料理屋でしょうか? 髪色や瞳は濃い緑色をしていて、現在は王宮に勤めていらっしゃるようですね。王宮の調理室……周辺から彼の存在を感じます」

「おおー! 合ってます! パールは現在王宮料理人として修行中の身です! すごい!」


 レノはコトハの実力の予想がついていたからか、首を縦に振っている。一方で、ズウェンとヨルダンは呆然としている。以前レノに儀式を受けた時よりも情報量が多かったからだ。レノから教えられたのは名前と歳、出身くらいだから。


「レノ様、儀式でここまで詳細に分かるものなのでしょうか?」

「流石にあたしはあそこまで分からんよ。お嬢ちゃんの神子の力が強いから分かるんだろうねぇ……」


 ヨルダンに尋ねられたレノは感心しながらそう告げる。


「神子の力が強いという事は、それだけコトハ様が女神に愛されている、という事なのでしょうか?」

「きっとそういう事さね」


 あっけらかんと告げるレノに、彼は驚きを隠せない。今まで大陸一の神子と言われていたレノである。そんな彼女の地位が脅かされているのだ、何も思わないわけはないとヨルダンは思ったのだろう。


「……レノ様は彼女の力に嫉妬などされないのですか?」

「そうさねぇ……若い頃だったらそう思うかもしれないけどねぇ。あたしも歳を食ったからか分からないけど、そこまで嫉妬の気持ちは無いねぇ。むしろ、やっと引き継ぎができそうだと嬉しい気持ちが大きい気がするさね。さ、次はあんたの番だよ」

「失礼な事をお聞きしてすみませんでした」

「いいさね。あんたがそう考える気持ちも分からなくないからねぇ……さて、この話はお終いだ! 行った行った!」


 ヨルダンはレノへと頭を下げてコトハの元へ向かう。そんな彼の背中をレノは眩しそうに見つめていた。

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