「お嬢ちゃんも今日は先に休むかい?」
完全に扉が閉まった後、レノはコトハに声をかける。イーサンの淹れてくれた紅茶に舌鼓を打っていた彼女は、カップをソーサーの上に置いた。
「よろしいのですか?」
「ああ。基本あたしら神子は自由だからね。教会にも既に顔を出しているから、問題ないさ。今日は疲れただろう、ゆっくり休むと良い」
レノの気遣いが心に染みる。彼女の対面にいるイーサンもうんうん、と頷いていた。
「……ではお言葉に甘えて、今日は休ませていただきます。あ、あのその前にイーサン様、ひとつお聞きしてもよろしいですか?」
イーサンはまさか自分が名指しされるとは思わなかったのか、口を半開きにして驚く。彼の頬は赤く染まっているような気がする。
「私に? 勿論、何でも聞いて欲しい」
「ありがとうございます。あの、どうして私が番だと分かったのでしょうか? 番は儀式をしないと判明しないのかと思っていたのですが……」
もしかして他に番だと判断する方法があるのかもしれない、そう考えたコトハだったが、皆目見当もつかない。首を傾げていると、イーサンはちらりとレノを一瞥する。「そう言えば、教えてなかったねぇ」とのんびり話す彼女を見てから、イーサンはコトハへと顔を向けた。
「私がコトハ嬢を番だと判断したのは、貴女と目が合ったからだ。竜人族や獣人族は番である者と目が合うと、相手を番だと認識できるのだ」
「目が合う……ですか?」
「ああ。先程コトハ嬢と視線が交わった際に、貴女を番だと認識した。最初は私の勘違いかと思ったんだがな……」
そう頭を掻きながら嬉しそうに告げるイーサン。まだ彼の番である、と言う実感は湧かない。それより不思議だったのは、何故目が合うだけで番と判断できるのか、と言う点だ。レノにそう質問を投げると、彼女は真面目な面持ちで答え始めた。
「目が合っただけでどうして番の判断ができるのかについては、残念ながら判明していないのさ。だから詳しい事は言えなくて申し訳ないねぇ……ただ、目が合うって言っても意外と難しいものさ。お嬢ちゃんはすれ違う人全員と視線が合ったりするかい?」
「合いませんね」
「そうさ。すれ違う人全員と視線を合わせるわけにもいかないからねぇ。もっと分かりやすくなってくれれば、神子の出番は無くなるんだろうさね」
場所が変われば常識も変わる、という話なのかもしれない。ここは故郷から近いのか、遠いのかは分からないが、穢れが無い時点で故郷とは常識が違うのだろう。
「ありがとうございます。また番について教えていただけると嬉しいです」
「まあ、あたしでも良いけどさ。イーサン様に頼ってあげて欲しいねぇ。番は相手に頼られると嬉しいからね」
「……そういうものなのですね」
婚約者、という言葉を思い出し、少々コトハは身構える。どうしてもまだその言葉に警戒が解けない。その事に気付いたのかは分からないが、イーサンはコトハに視線を向けてから話し始めた。
「先程私の部下が婚約などと話をしていたが……番が判明してすぐに婚約を結ぶのは、お互いが番だと理解できる者同士だけだ」
「そうなのですか?」
「ああ。特に獣人族や竜人族の番が人族だった場合、相手が番と認識しているかどうかなど分からないからな。祖先に竜人族や獣人族の者が居たとしても、なかなか実感が湧かない人族の者も多いそうだ。そういった者たちは交流を重ねてから、婚約する事が多い。それに私は貴女に無理強いするような事はしたくない……のだが、私個人としてはコトハ嬢と交流を重ねていけたら嬉しいと思う。番云々は捨て置いてくれて構わない。まずは貴女を知る事から始めても良いだろうか?」
彼はきっとコトハが番としてイーサンと関わる事に抵抗がある、と考えているのだろう。その表情には少し切なさが滲んでいる。レノ曰く、イーサンの評価は「普段は冷戦沈着で、感情を表に出さない男」だと聞いていた。だが、目の前にいる男性はそんな風に見えなかった。きっとこれはコトハが番であるからなのかもしれない。
彼女は信頼していた人にまた裏切られるのが怖い。それが婚約者や番なら尚更だ。だから今は特別な相手を作る事に抵抗を感じている。ただ、物悲しそうな相手を完全に拒否できるか、と言えば……そんな事をできる自信はない。
だから、彼の提案はコトハにとって渡りに船でもあった。
「分かりました。私も貴方を知る事から始めたいと思います」
「……良かった」
イーサンはほっと胸を撫で下ろす。番を受け入れられるかどうか……コトハにはまだ分からない。どうしても婚約者、という言葉を聞くとズオウの顔が浮かんでしまうから。
……ただ、もし、彼との交流で、過去を思い出す事がなくなった時。その時は彼を受け入れられるのかもしれない、そうコトハは思った。