イーサンの発言で、一気に周囲が静まった。その沈黙を破ったのはレノだ。
「イーサン様、番というのはどういう事……! お嬢ちゃんはちょいと待ちな。イーサン様、こちらに来ていただけますかね」
左側の執務机に自分の宝玉を置いた彼女は、儀式を行う。本当にコトハがイーサンの番であるか確認するためだ。名前と祝詞を告げた後、宝玉がレノの力に反応して光り出した。
コトハの感覚からすれば、そろそろ彼女の頭の中に情報が浮かび上がってきている時だ。そう思いレノを見ると、彼女の目が段々と大きく開かれていく。
宝玉が光り終えた後、彼女の瞳からは涙が一筋垂れていた。
「ああ、ああ……イーサン様……本当に……貴方に番が……」
レノは顔を両手で覆う。
「本当に、十年もの間……番を見つけられず……申し訳なかったねぇ……」
「……今まで負担をかけて済まなかったな」
そうしみじみと今までの苦労を思い出しているであろうレノとイーサン。二人に困惑の声をかけたのは、ロジーネだった。
「え、ちょっと待って下さい? 今日はイーサン様が新たな神子様から儀式を受ける予定でしたよね? で、お二人は既にイーサン様の番が見つかったと仰っている……という事は!」
「コトハ様がイーサン様の番って事だろう?」
「あ! ズウェン先輩! なんで先に言っちゃうんですかぁ〜! でもそういう事になりますねぇ。おめでとうございます!」
イーサンの部下三人も満面の笑みだ。竜人族の皆が喜んでいる中、ただ一人だけその場の空気についていけない者がいた。コトハである。呆然と立ちすくんでいる彼女に気付いたのは、イーサンだった。
「コトハ嬢、君が私の番のようだ」
「私も儀式をしたけど、お嬢ちゃんとイーサン様は番だよ」
そう言われても実感が湧かない彼女は「そうなのですね……」と呟く。番とはどのようなものか少しずつ理解してきてはいるのだが、実際彼から「番」が自分と言われて、実感できるかどうかはまた別だった。
そうとは知らない部下三人組の一人、ロジーネは嬉しそうに声を出す。
「でしたら、イーサン様とコトハ様は婚約者になるんですよね? 美男美女で羨ましいです〜!」
婚約者という言葉にコトハの心臓は激しく動き出す。元婚約者のズオウのようにまた捨てられるのではないか、その恐怖を彼女は心の中に隠していただけで、克服できていたわけではなかったのだ。
全身から汗が吹き出し始め、着ている服がしっとりと濡れ始めている。少々息遣いも荒くなり始めた頃、それに気付いたイーサンがコトハの目の前に座り、顔を覗き込む。
「大丈夫だろうか? 先程から顔色が悪そうだ」
イーサンの手が頬に近づく。相手が心配してくれているのは理解しているのだが、以前ズオウに頬を叩かれていた事をどうしても連想してしまい、耐えきれずにぎゅっと目を瞑った。
すると近づいていた手が遠ざかっていくような気がする。恐る恐る目を開けると、微笑んでいる彼と視線が合った。コトハは一歩だけ下がり、頭を下げる。
「ご心配お掛けしました。もう大丈夫です」
「そうか、それなら良かった。だか、顔色はまだ悪い。そちらに座ると良い」
指を差した先にはコトハが座る予定であった執務机の椅子。お礼を告げてコトハは椅子に座り一息ついていると、目の前に出てきたのはティーセットだった。
「お茶を飲んでゆっくりすると良い」
目の前でイーサンがコトハのためにお茶を淹れていた。紅茶が綺麗にティーカップへと入っていくところをじっと眺めていると、彼女の心は段々と落ち着いてくる。だが、彼女は自分の事で精一杯だから気づかない。後ろの部下三人があんぐりと口を開けて、レノが面白そうにイーサンを見ている事に。
「ねえ、イーサン様……別人じゃない?」
「紅茶を
「やっぱりコトハ様が番だからでしょうか」
「確かに、あんなに気を遣うイーサン様は初めてだねぇ」
小声だったためコトハの耳には届かなかったが、イーサンの耳にはちゃんと届いていたらしい。彼は眉間に皺を寄せてぎろり、と喋っている三人組を睨んでから告げた。
「お前たちは先に戻れ」
「えっ! ですが、儀式はどうするんですか? 私たち、そのために呼ばれたのでは……?」
ロジーネがそう声を上げると、イーサンは彼女に顔を向ける。その時に「ヒッ」と小さく叫び声が聞こえた気がしたが、きっと気のせいだろう。コトハもこの後力を確認するために儀式を行うのだと思っていたため、首を傾げた。
「コトハ嬢の顔色が悪い状態で、儀式なんぞさせられない。レノ様、また明日改めても良いだろうか?」
「そうだねぇ、そうしようか。お嬢ちゃんも良いかい?」
「え、ですが……」
今は先程に比べて気分も落ち着いているし、儀式も問題なく執り行えるだろうと話そうとしたところで、コトハの後ろに立ったレノが、彼女の肩に手を置いて告げた。
「今日はイーサン様の言う通り、休むといいさ。お嬢ちゃんも後で疲れが出るだろうからねぇ。儀式まではまだ時間もあるし、あたしが力量を把握したいだけだから、練習はいつでも問題ないさね」
「……分かりました」
確かに色々あったな、と思い直しコトハは頷く。その様子にほっと胸を撫で下ろしたレノは、イーサンの部下たちへと顔を向けた。既にズヴェンがまだ喋りたりなさそうなロジーネを扉の前まで連れて行っている。
「じゃあ、また改めて明日来ておくれ。三人も済まないねぇ」
「はい、そうします。イーサン様はどうされますか?」
「私は少々レノ様と話す。そのように他の者には伝えておいてくれ」
「承知いたしました」
そしてにっこり微笑んだ部下の一人が扉を閉めて去っていく。扉が閉まるのを見届けたイーサンは、レノの前の椅子へと腰掛けた。