気づけば光は収まり、先程まで彼女を罵っていた声も聞こえなくなっていた。
恐る恐る目を開くと、あれだけいた野次馬が一人もいない。周囲を見渡して様子を確認すると村の外れにある遺跡……のように見えるが、よく見るとあの場所と異なる遺跡内のようだ。
手をついていた地面を見ると、薄らと村の外れの遺跡と同じような転移陣が描かれている。だが、先刻のように転移前のように光を帯びてはいない。コトハは何となく宝玉の力によって転移陣が稼働し、転移が成功したのだろうなと思った。
――身体が重い。
コトハはそう感じて両手を再度地面に置いた。しばらくするとその手の甲に水が当たる。天井から水滴でも落ちたのだろうか、と周囲を見回したが、自分自身の涙である事に気づくのに、時間がかからなかった。
先刻まで気丈に振る舞っていた彼女の精神に限界が来たのだ。アカネの訃報とズオウの罵倒。信頼していた者が亡くなり、将来を誓い合った者に罵られる……これが彼女の心を疲弊させていた。
感情のままに……ただ声を押し殺し涙をこぼす。
自分の居場所を周囲に悟らせないように……こんな時でも自分は生きたいと思っている、そんな自分の欲があけすけに見えしまい自己嫌悪に陥りそうだ。
そんな時耳に入ってきたのは、地面を踏み締めるような音。足音だろうか。
身を守るためにコトハは袖で涙を拭い、危険があれば逃げられるようにと警戒しながら立ち上がった。
ややあってから薄暗い洞窟の奥から光がだんだんとこちらへと向かってくる。最初は光に慣れていなかったからか眩しさを感じていたコトハだったが、光を持った人が足を止めるまでに目が慣れたらしく、こちらに来る人たちを把握する事ができた。
明かりを持っているのは男性。そして隣に女性が一人。
男性は眉間に皺を寄せ、不審者を見るかのようにコトハを睨みつけている。一方で隣の女性はこちらを心配そうに窺っている。暫しの間、コトハと二人は見つめ合っていたが、警戒を解かないコトハに声をかけたのは女性の方だった。
「貴女、大丈夫?」
そう話しながら彼女の手が差し出される。
目の前の女性もコトハと同じ黒髪だ。光の加減で黒く見えたように見えていたのだが、彼女も本当に黒髪だったらしい。コトハは腰まである長い髪で、相手は肩上で切り揃えられているという違いはあるが。
コトハは彼女に親近感を覚えたがやはり警戒心を解く事ができず、手を取っても良いのだろうか、と狼狽える。女性は微笑んでいるが、なかなか動かないコトハに男性が痺れを切らしたらしい。女性の隣に立ち、目を細めてコトハを見下ろした。
「俺はヘイデリクという者だ。手は出さない。お前を保護するだけだ」
彼の目が一層細くなる。正直ヘイデリクの表情と言葉が全く合っていないため、本当に彼の言葉を信用して良いのかが分からない――そう思った時。スパーン、と洞窟内に小気味良い音が響いた。叩いたのはもちろん、隣にいた女性である。
「デリク! そんな表情で見たら、彼女が怖がるでしょうがっ!」
彼の頭を思い切り叩いたようだ。実際、叩かれた彼は予想外に痛かったのか、頭を抱えて痛がっていた。
「なにすんだ! マリ!」
「『なにすんだ!』じゃないわよ! あんたは元々顔が怖いんだから、彼女を怖がらせるだけじゃないの! ちょっとあっち行っててよ!」
手で「しっしっ」と追い払われて、彼は渋々とコトハから遠ざかる。その光景を間近で見ていたコトハは、いきなり始まった夫婦喧嘩のような出来事に開いた口が塞がらない。
ガタイの良い男性が小柄の女性に追っ払われている……その姿を見て、二人のうちどちらが上なのかを察するコトハ。その姿を見ていると、先ほどの彼の言葉があながち嘘ではないのだろうと思う。
マリと呼ばれた女性はヘイデリクが下がった事を確認すると、改めてコトハに笑いかけた。
「驚かせてごめんね、彼、顔は怖いけど……これでも……優しいのよ、多分」
後ろで「多分かよ!」とヘイデリクが反論しているが、マリはその言葉を無視してコトハに話しかける。
「私はマリ。ここの近くに住んでいるんだけど……近くに私たちの住む小屋があるから、まずはそこへ一緒に来てもらえない? ……流石に洞窟の中で話すのは暗いし不気味だもの。詳しいことはそこで話せたらと思うのだけど」
微笑む彼女が悪人には見えないが……コトハは少々躊躇った。だが、確かに彼女の言う通りでもある。コトハだっていつまでもここにいるわけにはいかない。
彼女は姿勢を正し、お辞儀をした。
「ありがとうございます。ご迷惑でなければ、お邪魔してもよろしいでしょうか?」
「勿論! 貴女を保護する事が私たちの仕事でもあるから、是非来てほしいわ!」
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
表情は硬いけれど何とか微笑んだコトハを見て、マリは大輪の花が咲いたような笑みを見せてから、後ろへと振り向いた。
そのままヘイデリク、マリ、コトハの順に洞窟の入り口へと向かう。地面を踏み締めるように歩くコトハ。ここから先は弱みを見せたら付け込まれてしまうのだ。守れるのは自分自身だけだ、と言い聞かせて。
後一歩で洞窟を出る場所でコトハは立ち止まった。ゆっくりと転移陣の方へと振り向き、故郷に感じている哀愁の心を奥底にしまい込む。
心の整理がついたところで、一歩踏み出した。
木々の間から降り注ぐ光にコトハは眩しさから目を細める。温かい日差しはまるでコトハを優しく包んでいるようだ。まるでこの光はアカネのよう――と思った彼女は、最後に心の中でアカネの無事を祈ったのだった。