「お前との婚約は本当に時間の無駄だったな」
そう蔑みを含んだ瞳でコトハを罵るのは、婚約者であるズオウ。そして彼の後ろには、コトハが愛した村の人々が怒りを含んだ目でこちらを見ていた。
コトハは今から追放されるのだ。浄化の巫女姫ではないという汚名を着せられて。
「浄化の巫女姫なんて嘘つきやがって!」
「嘘を吐いてまでその地位が欲しかったのかい!」
「穢れで苦しんだ人たちに、申し訳ないという気持ちはないのか?!」
彼らから投げられる罵詈雑言は、コトハの心を抉る。
彼女は幼い頃から浄化の巫女姫と呼ばれていたが、自分から名乗った事は一度もない。そのことすら彼らの記憶から抜けているようだ。
頭の上から聞こえる誹謗にコトハは耳を塞ぎたくなるが、手首を縄で縛られている彼女には到底無理な話。ズオウは怯えを見せる彼女の表情に愉悦を感じているのか、下卑た笑いを見せている。
「穢れは人の負の感情が集まってできるものだろう? 何が穢れを払うだ! 何が浄化の巫女だ! 今はお前の存在自体が穢れの原因になっている事に気づいているのか?」
「本当にその通りですわ」
ズオウと腕を組んでいた女性だけではなく、野次馬たちもズオウの言葉に首を縦に振っており、その行動が更にコトハを追い詰めていく。
「だからお前はここに連れて来られたのだ。お前という『穢れの原因』を排除するために、な。この転移陣で元凶を排除し、幸せな村に戻ろうではないか!」
そう言い切った彼の言葉の後に、見物に来ていた者たちが「わぁ……!」と声を上げた。
ズオウの言葉通り、コトハは転移陣の上にいた。
ここは村の外れにある遺跡の中だ。言い伝えによると、星彩神というこの村の神が創造した遺跡であり、最奥に円形の文様――転移陣と呼ばれており、村に代々伝わる宝玉を利用すると起動するという。
この転移陣が前回使われたのはおよそ百年以上前の話であるため、野次馬たちはこの目で神の遺跡が起動するところを見たいと、娯楽の一種として捉えている者も多いようだ。
ここでコトハが無実であると声を上げたとしても変わらない。村の長である長老の命は絶対だ。ズオウは次期長老であるため、刑の執行役を命じられているのだから。
「ズオウ様、そろそろこの者の罪状を知らしめておくべきではありません事?」
「そうだな……さて、罪人コトハよ。お前の罪状だ。心して聞くように」
ズオウは懐に仕舞ってあった巻物を取り出し、それを開いて読み始めた。
「この者は巫女姫と呼ばれながらも、浄化の力を使えない事を隠し、村人たちを騙していた」
騙していたつもりはない。本当にコトハは穢れを浄化していたのだから。
穢れとは人の負の感情が集まってできたもので、水の上に黒い靄(もや)として現れる。コトハが穢れに祈りを捧げると、離散して消えていくのだ。だが、残念ながら靄が見えるのは巫女姫である彼女のみ。だから浄化を終えた、と言っても事実を確認できる者はいない。
だからだろうか、ある時から「本当に穢れという存在があるのだろうか」と影で言われるようになっていたのだ。噂を耳にしたズオウが「訂正をする」という言葉を信じ、彼女は村人の安全のため、浄化を続けていたのだが……。
「そしてその事を公表しなかった事で、穢れによる被害にあった者が多くなってしまった」
数ヶ月前の原因不明の疫病の事だ。
コトハが追放刑を受ける理由――それは彼女が穢れを浄化できずに穢れが溜まった結果、疫病が引き起こされたのだ、と村人たちが信じているからである。
伝承によれば、体調不良を起こすほどの濃い穢れは黒い霧(きり)のようになり、そこまで成長すると巫女姫以外の者たちの目にも見えるようになるらしい。
最初コトハもその可能性を考え、全ての集落の泉を見て回った。だが、全てを浄化したところで発見したのは靄のような穢ればかり。だがその間にも徐々に患者の人数は増え始め、最終的には村人の半数ほどが原因不明の疫病に罹ってしまったのだ。
そんなある日、ある者が「穢れによる体調不良なのでは……?」と呟いた。一向に収まらない疫病に人々の不満は限界寸前だったこともあり、呟いた言葉が真実であると瞬く間に噂として駆け巡る。
それは段々と村全体に広がっていき、最終的には「コトハは浄化の巫女姫ではない」と言われるまでになった。その時点で彼女は監禁状態になっていたのだ。
そんな状態でも、穢れは浄化しており他の原因があるのでは、と主張するのだが、コトハの意見は「自分の身を守るために嘘を吐いているのでは」と判断されてしまう。
このまま疫病にかかる人々が増えるか……と気を揉んでいたところに現れたのが、一人の女性だった。
「我々は偽物を崇め、本物の巫女姫の存在を蔑ろにしてしまった……だが、真の巫女姫はそれを許してくださったのだ!」
ズオウが後ろにいる女性の肩を抱く。すると彼女は控えめに手を上げて微笑んだ。そんな彼女に周囲は熱狂し、「巫女姫様!」と彼女を讃える声が響き渡った。
「静粛に! 真の巫女姫様は泉に祈りを捧げた水を飲むように指示された。そしてその通りにすると、患者の容態が回復していったのだ! 浄化された水が、体内に蝕んでいた穢れを祓ったに違いない!」
目に見えない穢れと戦うコトハ、実際に病を回復させた女性。どちらを信じるかは一目瞭然だ。悲しみから顔を伏せたコトハを見て、ズオウは嘲笑う。
そして時は来た、と言わんばかりにズオウは代々伝わる赤い宝玉を高々と掲げた。
「皆の者、これが我が一族に伝わる神の宝玉だ。今からこれを使用し、彼女を追放の刑に処す」
傍観者たちは、彼の言葉に歓喜の声を上げる。彼らがコトハに注ぐ視線は冷たく、以前彼女を見ていた時に見てとれた親愛の情は消え失せていた。中には彼女の様子を見て、嘲笑している者までいる。
悪意を一心に受けたコトハは身震いし、ズオウはそんな彼女の様子を鼻で笑いながら目の前にある窪みへと宝玉を嵌め込む。
そして侮蔑の笑みを向けながらコトハに話しかけた。
「さて、皆の者。そろそろ刑を執行しようではないか。その前に……私は優しいからな。最後の言葉を聞いてやろうではないか」
「ズオウ様、お優しいのですね。罪を犯した者に慈悲を与えるなんて素晴らしいですわ」
コトハには、ひとつだけ彼に尋ねたい事があった。
「……私の側仕えだったアカネは元気でしょうか?」
幼い頃からコトハの世話をしていたアカネ。おっちょこちょいでそそっかしいところもあるが、親友とも呼べる間柄だとコトハは思っている。
牢へと入れられた日からアカネの姿を見ていない。と言っても、自分は罪人だ。接触禁止になっているのだろうと思った。だがそれならば今日、姿を見せても良いように思うのだ。一抹の不安を感じながら、コトハは口を開く。
最初は眉間に皺を寄せていたズオウだったが、まるで良い事を思いついたとでも言うような悪い笑みを浮かべた。
「ああ、あの咎人か。あの者は偽物のお前を『巫女姫』だと主張した上、この一族の宝である宝玉を盗もうとしたのだ。その罪が明るみになり、この村から追放されたよ。今頃どこかでのたれ死んでいるだろうさ」
「そんな……そんなはずはありませ――」
否定しようと声を上げようとしたコトハだったが、ズオウはそれを良しとしなかった。
「ふん、彼女も可哀想に。お前に関わったがばかりに、命を落とすなんてな」
コトハの瞳から光が消え、両手を地面につけて首を垂れた。
その様子を見たズオウたちの嗤笑する声が耳から入るが、反対の耳へと抜けていく。そしてしばらくすると、転移陣が白く光始めたのだ。追放の刑が執行されるのだ、と気づきコトハは顔を上げる。目の前に広がるのは、ズオウや野次馬たちの醜い笑みだ。
思わず目を逸らしたコトハの耳に「くたばれ」という言葉が聞こえた。その瞬間、彼女の目前は白い明るい光に包まれる。彼女は眩しさから思わず目を瞑ったのだった。