アパートメントの門を警備員に軽く挨拶をして通り抜けて、アデルバートの住居へと向かうのもだいぶ慣れてきた。
いつきても掃除の行き届いたシンプルな室内のソファにシオンは座ると、アデルバートが採血キットを持ってきたので左腕を出した。
アデルバートが採血の準備をしているのを観察する。すらっとした指で管を持ち、針を腕に刺すのも手慣れたもので、何回もやっているのだから上手くもなる。
(綺麗な手だなぁ)
シオンはアデルバートの手を眺める。手荒れもなく、色白の手は女性のシオンから見ても羨ましく思えた。爪も切り揃えられているので手入れがされているようだ。
血の抜かれる違和感を我慢しながらその手を見つめていれば、アデルバートに「どうした?」と問われてしまう。手を見ていたとは何とも言いがないので、「なんでもないよ」と返す。
「爪ってやっぱり鋭いの?」
「割と傷つけたりするからきちんと切っている」
なんとなく気になったことを聞いてみると、どうやらヴァンパイアの爪は鋭いらしい。伸びすぎると傷つけかねないのでこまめに切り揃えるのだと教えてくれた。
(カルビィンも爪には注意するって言ってたなぁ)
カルビィンは虎の獣人なので爪が獣ように鋭い。毎日、爪の長さを見てはやすりで削ったり、切ったりしているのだと言っていたことを思い出した。魔族の爪は傷つけやすいということのようだ。
「手入れ、大変そう」
「まぁ、人間よりは神経を使うかもしれないな」
アデルバートはそう言って針を抜いた。もう三本、採血が終わったらしく、早いなと腕を擦りながらシオンはキッチンへと向かう彼を目で追う。
氷魔法で冷されている保冷庫から輸血袋を取り出して、採血した血を混ぜると口に含んだ。舌で確認して飲みすすめていく姿というのは何とも様になっている。
(顔が良いというのは何をするのも様になる)
ちょっと格好いいと思ってしまう自分に気づいてシオンは視線を逸らした。
「シオン。何か飲むか?」
「え? あー、飲もうかな」
採血した後は少しばかり咽喉が乾くのでシオンが返事を返せば、アデルバートは果実水を手に取ってグラスに注いだ。
飲み干した輸血袋をゴミ箱に捨ててからグラスを持ってシオンの隣に座る。渡されたグラスを受け取ってシオンは一口、飲んで目を瞬かせた。
「美味しい」
普段、飲んでいた果実水よりも果実の味が濃くてのど越しが良い。舌にへばりつく甘さもなくて飲みやすかった。驚いているシオンにアデルバートは「実家から届いた品だ」と話す。
「母がこの種類の果実水しか飲まないんだ。それをよく送ってくる」
「そうなんだ」
厳選された果実を使っているらしいとアデルバートに教えられて、高級品ということかとその味にシオンは納得した、それは美味しいはずだ。
「これ飲んだら他の果実水を普通に飲めなさそう」
「それは……まぁ、あるかもしれない」
アデルバート自身もあまり外の果実水を飲まないと言う、味が好みではないらしい。これを幼い頃から飲んでいたらそれはそうなるよなとシオンは思った。
果実水を飲みながらアデルバートのほうを見れば、彼がじっと見つめていることに気づいた。なんだろうかと「何?」と聞くと、「いや」と言いにくそうに返す。
「シオンは魔界での生活を受け入れているようだが……不安はないのか?」
「不安? そりゃあ、あったけど」
不安がなかったわけがなくて恐怖だってあったけれど、リベルトやサンゴ、カルヴィンたちが傍に居て、いろいろと教えてくれたから幾分か楽になっていた。まだ不安がないわけではないが恐怖心はだいぶ落ち着いてきている。
悪い魔族が居れば、善い魔族もいるというのをシオンはその身で体感しているので、彼ら自身を偏見な目では見ていなかった。
人間にだって善悪はあるのだから、魔族だからって理由で差別的に見てはいけないのだ。だから、シオンは「それを割り切って生活してる」と答えた。
「なんというか……そう割り切れる人間は早々いないと思う」
「そうかな? だって、人間界
ぐだぐだと悩んでいても解決するわけではないのだから、割り切ってこの世界で生きていくしかない。そのほうが精神衛生上、良いのだから。考えすぎて病むよりは健康的な判断だというのがシオンの考えだ。
それには賛成なようでアデルバートも「そのほうが此処は過ごしやすいだろう」と話す。この魔界で生きる以上は乗り切る力というのが重要だ。人間界よりは魔界のほうが物騒な世界であるので、怖がるばかりでは生きてはいけない。
「だから、シオンの考えはここでは生きやすくするだろう」
「だよねー。割り切るって大事。でも、魔族のことを全て知ってるわけじゃないんだよなぁ」
リベルトに一通りのことを教えてもらったけれど、魔族の特性を全て知っているわけではない。生活に支障がない程度のことしかシオンは知らなかった。人間界で伝わっていたことと、実際の魔界に住む魔族たちは違うのだ。
シオンは魔族の特性やここでの常識というのには興味があった。魔族の恋愛事情だったり、仕事だったり、生活習慣など人間界の人間からしてみれば気になるもので。
なので、シオンはアデルバートに「ちょっと聞いてもいい?」と質問する。
「魔族ってやっぱり同じ種族同士て結婚するもんなの?」
「いや、そんなことはない。異種族間での結婚は当たり前にある」
魔族は他種族とも婚姻を結べるし、子を宿すこともできる。それは人間と結婚しても同じなのだとアデルバートは説明した。異種族間での恋愛はこの世界では当たり前なのだという。
「じゃあ、ヴァンパイアが人間と結婚するとかもあるんだ」
「よくある。ヴァンパイアは人間の血を好むからな」
気に入った人間を妻として、または夫として迎え入れるというのはよくあることらしい。ヴァンパイアは人間を魔族と同じように生き長らえさせる存在にできる数少ない種族なので、寿命の概念は解消できるとアデルバートは話した。
それを聞いてシオンは驚く、そんなことができるのかと。彼女の反応に知らなかったのかといったふうの表情をアデルバートは見せた。
「え、じゃあ、ヴァンパイアに血を吸われたらヴァンパイアになるっていうのって……」
「あぁ、それは少し違うな。ヴァンパイアと婚儀を交わした人間が人でなくなるということだ」
長寿の存在というのはもはや、人間ではないので人でなくなるという言い方をする。ヴァンパイアやエルフなど一部の魔族はそれが行えるが、上級種・いわば位の高い魔族にしかできないとアデルバートは教えてくれた。
別にヴァンパイアになるわけではないのだと言われてシオンはファンタジーっぽいと思ってしまう。この魔界に落ちてきたのだから現実ではあるのだが、実際に聞くと好奇心をくすぐられてしまった。
「アデルの知り合いとかでヴァンパイアと人間の夫婦っているの?」
「いなくはないな。俺の家系は代々、ヴァンパイア同士なのであまり関りはないが」
「そうかー」
公爵家となるとヴァンパイア同士が普通なのか、シオンは少しばかり眉を寄せたアデルバートに家のことは話したくないのだろうなと察する。
なので、それ以上は触れずに「そういえば、アデルって恋人いないの?」と問う。
「……どうした」
「あ、えっと。いたら大変じゃないかなって、この状況」
恋人が血の欲求が治まるまで契約していると知ってどう思うだろうか。契約というのが一般的だとしても、男女が二人っきりで会っているというのは相手からしたら思うこともあるだろう。
シオンの言葉にアデルバートは納得したように「いないから問題はない」と答えた。
「いたら、確かに厄介だったかもしれないな」
「そうだよなぁ、やっぱり」
「嫉妬深い女性というのは多いからな」
ヴァンパイアで契約の重要性を知っていても、嫉妬や独占欲で暴走する女性というのは多いのだとアデルバートは話す。それに関する事件というのも多々あるのだと。
それは大変だなとシオンはアデルバートに恋人がいないというのは助かったと思ってしまった。
「シオンはそんな存在がいないのか」
「いないよ」
「それはこちら的にも助かったが……なんというか、その……」
アデルバートは何とも言いがいた様子でシオンを見遣る。多分だが、自分の存在がシオンの今後の恋愛に関わってくるだろうことを予測しているようだ。それに気づいてシオンは「気にしてないからいいよ」と笑う。
「まだこっちに来てから日は浅いし、恋愛とか特に考えてないからなー」
「そうなのか……」
「まー、何とかなるでしょって感じ。だからアデルさんは気にしなくていいよ」
何とも楽観的なシオンにアデルバートは驚きつつも彼女がそれでいいのならばと深く突くことはしなかった。
「気にしない、気にしないってね」
軽く、けれどおちゃらけた様子でもない明るい表情にアデルバートは暫く見つめてしまう。そんな彼に気づかず、シオンはのんびりと果実水を飲んでいた。