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第9話 自分が何者なのかをすっかり忘れていた

「うぇっ……あぁ……」



 キッチンに置かれた桶が赤く滲む。アデルバートは口から赤い液体を吐き出しながら嗚咽して、手にした吸血種用の献血袋をゴミ箱に叩き付けた。



「……これも、ダメか」



 眉間に皺を寄せながら口を拭うとアデルバートは口を濯いだ。


(人工血液も吸血種用献血も受け付けなくなっている……)


 アデルバートは問題を抱えていた。シオンと出会ってから数日、いつもなら飲めていた人工血液も、ヴァンパイア用の献血も口に受け付けなくなっていた。これも彼女の血を吸ってからである。


 最初は無理にでも飲んでいたけれど、今ではそれすら出来ないほどに身体が拒絶していた。ヴァンパイアが血を摂取しなければ身体に影響が出てしまう。魔法も上手く使えることができなくなるためアデルバートはどうしたものかと悩む。


 シオンの血はアデルバートと相性がよかったようだ。相性の良い血と巡り合うとヴァンパイアはその血を欲する。


 身体がそれを要求し、その欲が落ち着くまでは他の血を口に出来ないと言われている。今までそんなことはただの迷信だと思っていたアデルバートだが、これはそのせいなのだろう。



「…………」



 再び彼女を頼るのは忍びないけれど、この身体の受け付けなさは尋常ではなかった。アデルバートは覚悟を決めたようにコートを羽織ると部屋を出た。


   ***


 いつものように教会でシオンは修道服の裾を風に靡かせながら掃き掃除をしていた。外は少しばかり曇っていたけれど雨は降りそうではない。


 晴れていないというのは気分が上がらないものだなと思いながら掃除をしていると、「シオンちゃーん」と声をかけられる。


 顔を上げればいつものようにサンゴとカルビィンが駆けてきた。相変わらず元気だなとシオンが口にすれば、サンゴはもちろんと笑みを見せる。



「元気が一番だからね!」「元気すぎるのもどうかと僕は思う……」


「カルビィンはもう少し足早くなろうな」



 シオンの言葉にカルビィンは眉を下げた、これ以上はどうしたって無理だと言うように。そんな彼にサンゴは「頑張って!」と声をかけている。



「シオンちゃんは今日も孤児院のお手伝いよね?」


「そうだよー。まだ時間あるけどね」

「朝からじゃないんだね」


「院長がいつも朝からだからたまには遅くていいよって」



 シオンはいつも朝から孤児院に手伝いをしに行っているのだが、院長がたまにはゆっくりきなさいと気を使ってくれたのだという。


 そこまで気にする必要はなかったのになとシオンは思っていたのだが、サンゴは「確かに朝早くから行ってたもんね」と院長の気遣いに納得している様子だ。



「教会に居ても暇だし」


「でも、たまにはゆっくりするのも大事よ?」


「そうだねぇ。休むって大事」


「それはそうかもしれないけど……」



 別に毎日のように行っているわけではない。ちゃんと休みをもらっているのだが、それでもシオンの朝早くから手伝うことを続けているというのは心配になるらしい。


 人間界だと当たり前だけどなとシオンは魔界のほうが保証が充実しているのではと考えてしまった。



「じゃあ、孤児院に行く時間までワタシとカルビィンでおでかけしない?」

「えー、またお店回るんでしょー」


「何よ! ショッピングは楽しいじゃない!」


「それにしてはサンゴは回り過ぎなんだよなぁ」


「カルビィンまで!」



 むーっと頬を膨らませるサンゴにシオンが「分かったって」と諦めたように返事をする。カルビィンもこれは大変だなぁといった表情をしていた。


 何処を巡ろうかと話ているとワンワンと犬の鳴き声がした。それは教会で番犬として飼っている犬だったので、誰か来たのだろうかとシオンが顔を覗かせて目を瞬かせる。


 そこにいたのはアデルバートで彼は周囲を見渡しながら教会の敷地内を歩いている。シオンを見つけてか、足早にやってきたので「アデルさん、どうした?」と声をかけた。



「あ、あのウサギのことでなんかあった?」


「いや、ウサギの件は片付いたから問題はない」


「なら、何かあった? てか、顔色悪いよ」



 アデルバートの顔色がこの前会った時より酷くなっていることにシオンは気づく。それでも綺麗な顔立ちなのだが、それはいいとしてと心配そうにシオンが彼を見詰めていると、サンゴとカルビィンが彼を凝視していた。



「え、ヴァンパイア?」



 どうやらサンゴとカルビィンはアデルバートの正体に気づいたようだ。少しだけ警戒している様子にシオンはあっと言葉を零す。そうだ、二人には説明していなかった。



「シオンちゃん、どういうこと?」


「え? いや、その……知り合いで」


「私、シオンちゃんにヴァンパイアの知り合いがいるなんて聞いたことないけど?」


「僕も聞いたことないなぁ」



 ワタシたちが知らないとかあるのかしらとサンゴはがじとりとシオンを見遣る。その視線にシオンは言葉に詰まった、此処に来てから殆どの時間を二人と過ごしていたことが仇となる。


 サンゴに「もしかして、またお人好しなことをしたんじゃないでしょうね」と言われて、シオンの肩は跳ねた。


「シオンちゃん!」


「いや、その、ね!」


「あのね、シオンちゃん!」


「……すまないのだが」



 サンゴがシオンに説教を始めようとするのを遮るようにアデルバートが口を挟む。



「シオンに急用があるんだ」


「急用って!」



 急用と言われたシオンはそれならさっさとしないととアデルバートの腕を引いた。それを止めるようにサンゴがシオンの手を掴むと彼に厳しい眼を向ける。



「貴方はシオンちゃんとどういう関係かは知りませんがね! きっとシオンちゃんの余計なお節介で知り合ったんでしょうけど」


「……別にシオンに危害を加えるわけではない」


 それをどう信じろというのですかとサンゴはアデルバートから視線を逸らさない。警戒心を露にしている様子に彼は「仕方ない」とコートのポケットからパスケースを取り出して二人に見せた。



「……俺はガルディアに所属する魔族だ」


「はぁっ! シオンちゃん、何かしたの!」


「違う違う! 何もしてないから、あたし!」


「シオンに血液を分けてもらっただけだ」

「なんだって!」



 カルビィンの驚きの声と、サンゴの形相にシオンは話すしかないなと「実は……」とこの前の出来事を隠すことなく話した。それを聞いたサンゴは痛む頭を押さえ、カルビィンは呆れた様子を見せた。


「シオンちゃん、自分の現状をちゃんと理解しなさい」


「えっと?」


「貴女がどういった人間なのかよ」



 そう小声で言われてシオンはあっと気づく。人間界の人間は極上の存在で、その血肉は魔族からしたら舌が蕩けるほどだということを。


 人間を食すことは禁止されているけれど、血は献血によって売り買いができるようになっている。それで生計を立てている人間もいるほどには価値があるものだ。


 アデルバートが此処にいるということはもしかしてとシオンは恐る恐る問う。



「あの、用事って……」


「シオンの血液に関することなんだ」


「あー……」



 アデルバートは話を切り出した。シオンの血液が自身と相性がいいこと、そのせいか人工血液や吸血種用の献血が受け付けなくなっているが、シオンの血を多少摂取している状態ならば飲めることを。       


 シオンは「それ、あたしのせいだわなぁ」と呟いた。アデルバートはシオンたちの様子がおかしいことに気づいてか、「何かあったか」と問う。これはどうしようかとシオンがサンゴを見遣れば、「これは言うしかないわよ」と返される。



「シオンちゃんの血液と相性が良い以上、隠していても味でいずれバレるわ」


「ですよねー」


「どういうことだろうか?」


「そのー、実は……」



 シオンは正直に自分が人間界から落ちてきた人間であることを話すと、アデルバートは何とも言い難い表情を見せる。彼女が何を言いたいのか理解したようだ、これは確かに自分のせいだと言いたくなるなと。



「……教会には知らせてあるのか?」


「そこはあたしを拾ってくれた神父のリベルトお父さんがちゃんと……」


「保護されたのが教会の人間でよかったな、本当に……」


「それは思います……」



 シオンの運の良さにアデルバートは驚いていたが、本当にその通りなので頷くしかない。アデルバートはシオンの今までの反応が人間界から落ちてきた人間ということで納得したようだ。その知識の無さはそういうことだったかというように。



「神父はいるだろうか?」


「わたしを呼んだかね?」



 アデルバートの声に反応して返事が返ってきた。振り返ればリベルトが彼を観察するように見つめている。シオンが「お父さん、あの」と黙っていたことを話すと、リベルトは眉を下げて息を吐いた。



「気を付けなさいと言ったというのに……」


「その、すっかりと頭から抜けてて……」


「だろうね。しかし、そうか……」



 リベルトは困ったように頭を掻く。ヴァンパイアは相性の良い血を持つ人間を見つけるとそれ以外の血液は混ぜなければ飲めない。そういう特性があるのは本当のことだったので、リベルトは「これは仕方ないか」と諦めたように呟く。



「これはヴァンパイアであるアデルバート殿の生活にも関わる問題だ。こればっかりは仕方ないから血を定期的に分け与えるしかない」



 リベルトの言葉にシオンは「ですよね」と頷く。



「あたしの血を少し分ければいいってことだよね?」


「そうなる。定期的に血を分けてくれないだろうか?」



 期間は欲求が治まるまでだが、それがいつまでかは分からない。すぐに治まるかもしれないし、もしかしたら長期的になるかもしれないので、アデルバートは「すまないが」と申し訳そうに頼んできた。


 血液の量もそれほど多くは採血せず、三日に一度ほどでいいと言われてシオンはまぁそれぐらいならばいいかと了承する。そもそも了承する以外の選択はない、もとはといえば自分がやった行いのせいなのだから。



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