あらゆる生物の部品を宿したヘドロ色の悪意。
ジャシンというものを一文で表現するならそういうことになる。
全ての生物がそれを見た瞬間に言いようのない嫌悪感を抱き、敵対する。
敵対するしかない。
彼らは何者とも共存を望んでいない。
それがわかるからこそ、敵対するしかない。
わかるように、全ての生物がそうできているとしか思えない。
「「「ひえええええっ!」」」
それを見て、男女の分け隔てなく悲鳴が出るのは仕方がないというもの。
しかもみんな、初めて見るからね。
「なになになになになになになんなのあれ⁉︎」
「走りながらそれだけ喋る元気があるなら大丈夫だ」
大混乱のスラーナが面白い。
「だから!」
「説明は 逃げ切れてからで」
「ああもうっ!」
縄張りからやってきたジャシンの数は一体ではない。
はぐれだけなら勝算もあるけど、いまは無理して戦う必要もない。
ヤンたちもいるし、味方も腹が座っているとは言えない状況だ。
逃げる先の案内も俺がしないといけないし。
迂闊なところに移動して、触っちゃいけない集団と顔合わせとかされてもたまらない。
でも、このままだとヤンたちもこっちに逃げて来てるよな?
振り返って確認すると、やっぱりヤンたちも同じ方向に逃げて来ている。
フーレインの視線がひどい。
逃げながらこっちを襲って来そうな雰囲気だ。
ただ、解毒の歯を噛んだとはいえ体に負った痛手が治ったわけではない。
俺たちとは違って、一晩苦しんでいる。
体内に浸透した分が癒やされるのは時間がかかるだろう。
あの状況では、回復役がいたとしても属性を使えるとは思えないし。
このまま走っていれば、いずれ奴らの方が先に息切れする……か?
「おい、道が分かれてるぞ!」
先頭を走っていたキヨアキが叫んだ。
道というには荒れ果てている場所を進んでいたのだけど、キヨアキの先には確かに大木を間に置いて分かれ道になっている。
左はこれまでと同じ道。
右は深い森に続く道。
「左だ!」
「ええっ!」
不満の声が上がった。
「森に隠れた方がいいって」
「そうだ。そうしよう」
「森はダメだ!」
「うるさい!」
「こんなところにいた奴の言葉なんて信じられるか!」
「チッ!」
そんな不満の声に連なって、ほとんどが森の中に走っていった。
キヨアキもだ。
「タケル、どうするの?」
「森はダメなんだ!」
「それなら、このまま走ろう」
「そうですね」
「そうね」
スラーナ、シズク、プライマが頷く。
「運命は別れた。後に残るは自己責任だよ、タケル」
「そうですね。案内人の言葉を聞かないのが悪い」
「タケル、行きましょう」
「ああ」
そうして、俺たちはこのまま左の道を進んでいく。
ヤンたちは俺たちが二手に別れたことに戸惑いを見せて、結局、森の中へと入っていった。
さらに十分ほど走り続けた結果、ジャシンたちは追いかけるのを諦めて戻っていった。
「……それで、あれはなんなの?」
「ジャシンだよ」
「ジャシンね。名前はわかった。それで?」
俺はジャシンについて説明した。
毒霧を撒くことによって他の生物の侵入を許さない領域を作る厄介生物。
地上で文化的に暮らす者たち全てにとっての敵だ。
安全に暮らそうと思ったら、まずは近隣にジャシンがいない、近寄らせないを徹底しないといけなくなる。
「あんなのと隣り合わせか、地上も大変だね」
呼吸を整え終えたシズクが立ち上がる。
「それで、これからどうする?」
「まだディアナを取り返せてない」
「そうだね。あれを持った連中も森の中か」
あれからけっこう走ったので、キヨアキたちの入っていった森は遠くになった。
それでも姿は見える。
いくつかの山を取り込んだ木々の密集地帯だ。
「キヨアキの奴。少しはまともになったかと思ったけど、あっちに行ったわね」
スラーナが腹立たしげに言う。
こんな窮地で仲間がまとまらなかったことに苛立っているのだろうけれど、それも仕方ないかなと思いはする。
突然の事態の変化だし、彼らは仕方なく俺を案内人した。
選択肢のない状況で、状況そのものに不満がある。
混乱の中で、俺への気に入らない部分が爆発して、あんな行動に出たのだとしても責められない。
面倒ではあるけど。
それに、キヨアキは……なんか違う気がする。
キヨアキは先頭を走っていて、どちらに進むか聞いた上で、他の連中の後を追いかけるように走った。
しかも舌打ちしてから。
あれはなにか、『そうするしかないからそうした』みたいな雰囲気を感じた。
「あっちの連中が心配だったのかもしれないよ」
「そんなわけない」
俺の感想は、スラーナに一蹴されてしまった。
「入ったらダメと言っていましたが、なにがあるんです?」
プライマが首を傾げる。
「ちょっと危ない連中が住んでる……はず」
あの森そのものには入ったことがないけれど、分かれ道に生えていた木にその印はあった。
幹に巻かれた蔓に通されていた動物の頭骨。
「アブサトラどもの縄張りだ」
「危ないのならたすけに行く?」
「装備が足りない。無茶していくところじゃない」
「それなら、どうする?」
スラーナの質問を頭の中に置き、周囲を確認する。
地形は間違えていないはず。
遠くに見える覚えのある山。
「少し遠いか」
里に戻って装備を整えるにはニ、三日歩かなければならない。
それも何事もなければの話だ。
「ディアナがまだ連中の手にあるから、どっちにしても奴らを追って森には挑まないといけないんだけど」
すぐ近くで助力をしてくれるような顔見知りのいる村や町に覚えはない。
ないんだけど。
「おい、お前ら動くな」
その声は空から降ってきた。
「っ!」
身構えた時には声の主たちは地上に落ちて来て、武器を向けてきた。
二足歩行の爬虫類たち。
竜人。
その背中には翼がある。
彼らは竜人の中でも上位種たちだ。
「あっ? お前、タケルか?」
交渉しようと声を上げるよりも先に、向こうから名前を言われた。
「ルオガン?」
「おう」
朱鞘に収まった大太刀で肩を叩きながら、竜まんじゅう屋台の知り合いはニヤリと笑った。