手を切った成人を運んでいたら警察に呼び止められた。
当たり前……なのかもしれない。
スラーナが冷静に対処し、ジョン教授に事情を説明してもらうことになるからと、そのまま病院まで運ぶことになった。
病院に着けばすぐにジョン教授がやってきて、彼の説明で警察は俺を解放してくれた。
「いいんですか?」
「そんなことよりこっちの方が重要だ。あっちは後でも片付けられる」
ということらしい。
それでいいならいいかと、後に付いていく。
こちらはこちらで警察官が立っている病室があり、ジョン教授はそこに入っていく。
俺たちもその後に続く。
中には奥さんらしい婦人と、私服っぽい男性、そして複数の白衣の男性……医師がいた。
私服の男性は捜査官という。
警察官の仲間なのだそうだ。
ベッドには理事長が眠っていた。
「では、頼めるかい」
「はい」
促されてベッドに進む。
集中する視線。
期待と願い、好奇心に疑惑。
正と負の混ざった視線を全身に受けているけれど、俺がすることはただ一つ。
ミコト様に処置を施された右手を、管に繋がれて眠ったままの理事長の上にかざすだけだ。
ミコト様、お願いします。
そう願った瞬間、右手の甲から消えていた印が現れた。
墨を付けた筆を走らせてできた印。
意味はわからない。
文字のようにも見えるし、記号にも見えるし、絵のようにも見える。
そんな抽象的な存在が現れて、光を放った。
「おっ、繋がったかの?」
放たれた光の中にミコト様が現れた。
「ミコト様」
「うむ」
こちらのことが見えている。
その証拠に、ミコト様は俺の後ろにいる人々をじろりと視線で薙いだ。
わずかにざわめいていた人々が、それで息を呑む。
「で? どれじゃ?」
「この人です」
「むっ、下か」
「どういう風にしてくれるかは説明してもらってませんもん」
「気が利かん弟子じゃのう」
「ええ」
「まっ、よいか。なんじゃ、こんな毒の解析もまだできておらんのか。ダンジョン
ミコト様が指を立ててくるりと回すと、「あがっ」という声とともに理事長の口が開き、そこから透明の液体が引きずり出された。
量としてはそれほど多くない。
「誰ぞ、器を持ってまいれ」
その光景を見入っていた後ろの人たちが騒ぎ、声を聞きつけた看護師さんが金属製の容器を持ってきた。
「これが体内に残っていた毒だ。吸収されたものは全て出したぞ。壊れた部分は治してやった。後は栄養を絶やさねば、自然と目を覚ますだろう」
「ミコト様、ありがとうございます」
「よいよい。我の言葉は覚えておろうな?」
「はい」
「ならば、ダンジョンの日々を楽しむがよい」
ミコト様はまた視線を動かし、今度は一人に目を向けた。
顔の向いている角度でジョン教授だとわかった。
「お前だな、タケルを誘ったのは」
「そうです。お初にお目にかかります。私はこの近くの学園で教鞭を……」
「そなたの経歴も立場も我にはどうでもよい。だが、引き込んだ者の責任として聞くがよい」
「……はい」
「そなたらがなにを望もうと、なにをどう願おうと、その目と心が地上に向いている限り、この者はいずれ悩み苦しむことになるだろう。それがいかような結果になろうとも、いかような結末を迎えることになろうとも、貴様だけは目をそらすことは許さぬ。よいな?」
「わかり、ました」
苦しそうなジョン教授の声に、俺はミコト様がなにかしたのではないかと心配になった。
「余計な心配じゃ」
「痛っ!」
「ただ、我の願力に呑まれておるだけじゃ。弱いのう。大丈夫か、これ。そこの娘が一番度胸があるではないか」
と、スラーナを指した。
「あ、あの、私は……」
「ああ、自己紹介なぞいらん」
「え? あの……」
「どうせ、我にとってそなたらは永遠に交わらぬ存在よ。この距離がせいぜいだ」
「ミコト様。痛っ」
言い方があまりにあまりだと思ったので抗議しようとしたが、また叩かれた。
今度は足で。
「さて、我の出番はここまでじゃ。それではな」
「あっ、ミコト様」
止めようとしたけれど、ダメだった。
光が消える。
右手の甲にあった文字も消えてしまい、もうなんの反応もなかった。
村で別れた時より、寂しい気がした。
「ぐうっ」
「あなたっ!」
誰かがミコト様のことについて話し出すよりも前に、理事長が声を上げた。
夫人が歓喜の声を上げ、続いて医師たちが騒ぎ出し、俺たちはその場から押し出されてしまった。
それから事態は動いていく。
理事長の証言で警察が動いて、副理事長が逮捕された。
俺を襲って捕まったヤルナーフやローナ、ダイスたちがなにか喋ったのか、一斉摘発とかいうものが行われたとニュースになっていた。
理事長選挙は中止になり、退院したらいまの理事長が続投すると発表された。
なにもかもがうまくいっているように見える。
だけど、なにか変だ。
まだ、なにか空気がおかしいと感じる。
それはなんだろう?
なんだかヒリヒリすると思う俺を、スラーナや他のクラスメートは気のせいだと言う。
だけど、やっぱりなにかおかしい。
そう考えていた時、誰かが言った。
「あれ? そういえばキヨアキはどうなったんだ?」
そう。
彼だ。
父親の副理事長である花頭キヨヒラが捕まったというのに、息子の彼はいまだに姿を見せていない。
「ダンジョンに行ったままらしいよ?」
「もしかして、ダンジョンでやられたとか?」
「え? E級からだろ?」
「E級なら行ったけど、あれで負けることはないでしょ」
「いや、あいつら油断するからわかんねぇ」
「なにより、あいつらってけっこうトラブルメイカーだからさ、自分で問題作って酷い目にあったんじゃないか?」
「ありえそう」
そんな会話が教室で囁かれる。
キヨアキが気になる理由なんだろうか?
みんなはそんなことはないと言うけれど、違うかもしれない。
いや、違う。
悪い予感が一つの形へと辿る経緯は、そのままその悪意の距離を示すのかもしれない。
なぜなら、俺がそう確信したその日、ダンジョンポータルから邪悪な全身鎧が現れた。