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突然の高音に不意を打たれた。
油断した。
いや、こいつ……タケルが思いの外に抵抗するものだから、意識する範囲が狭まってしまった。
結果、もう一人の存在を忘れてしまっていた。
まさか、あの女……スラーナが自分から束縛を脱するなんて。
いまだ学園にいるような未熟な適性者のくせに、術理力が使えない状態で諦めていないなんて。
……生意気な。
「ガキの分際でよう」
肝の冷えた一撃ではあった。
だが、胴体に巻いていた金属繊維の防具が、ギリギリで男を守った。
属性を切ってはならない。
幻の姿には誤魔化されないようだ。
男は、完全に姿を消した。
偽りの姿も消した。
男の属性は『幻』
以前にタケルと戦ったローナと同じだ。
だが、この男はローナ以上の使い手であり、そして剣術にも秀でている。
痛みで属性の力が継続できないということもなく、また、慢心もしていない。
しかし、苛立ちはある。
タケルに、スラーナ。
学園の生徒。
適性者。
地上を追い落とされた人類がダンジョンで生きていくためにあったのは、ダンジョンの侵略とともに現れた適性者という能力は絶対に必要だった。
ダンジョンより現れたモンスターたちは魔力によって当時の地上生物よりも強靭であり、人間の近代兵器で対抗するのはあまりにも不経済であった。
そんなものより、同じく魔力を根にする術理力を駆使する適性者たちの持つ剣や槍などの原始的な武器の方が強く、モンスターに有効だった。
当時の人間には冗談のような話にしか思えなかっただろうが、現代ではこれが普通だ。
それほどに……認識に差が出る程に時間が流れ……。
適性者は人類の中で地位を上げていった。
だからこそ。
モンスターと戦うに不向きと言われた『幻』属性の男は面白くない。
『そんな目眩しを使っている暇があったら、さっさと一撃喰らわせろ』
『小賢しい。貴様そうやって誤魔化すことしかしない』
『あんたの言葉って信じられないんだよね。それも嘘なんじゃない?』
黙れ!
そんなことを言った奴らはみんな『幻』の中に沈めてやった。
他者を侮り嘲り、自分たちだけが正しい道を進んでいるのだと思い上がっているような奴など、男のいるの泥の中にだって残させやしない。
全て、他人の記憶の中の幻になればいい。
こいつもそうだ。
迷うことなく前を見ているような顔をして。
そんな顔ができているのは、属性が適性者として……人類の望む適性者として正しいからだ。
そんな正道しか知らないような奴は、全て叩き落としてやる!
「お前は殺す。この、『虚幻』のヤルナーフ様がな!」
いまさら二つ名を隠す必要もない。
ヤルナーフは高らかに叫んだ。
† † † †
仕留められなかった。
一瞬しか見えなかった線を掴みきれず、斬撃は奴の防具を裂いただけで終わった。
目眩しだった姿さえも消し、完全に誰もいなくなった空間で、俺は身構える。
「タケル!」
「わかってる。逃げてない」
男……名乗りの通りならヤルナーフの叫びで身構えさせておいて、実は撤退という可能性もあった。
幻の使い手というのはそういうところがある。
殺す時にも逃げる時にも幻を使う。
一つ目のモグアイの中に怪光線での攻撃ではなく、幻を使うモノもいた。
ヤルナーフの幻はそれよりも遥かに熟達している。
だが、攻撃を受け続けることができたのも、モグアイとの戦闘経験があったからだということも事実。
まだ、ミコト様の言う境地に辿り着くには遠い。
だが、見えるべきものは見えた。
そこに辿り着くにはまだ遠かったとしても、そこに至るための過程の、一歩は踏み込めた。
その一歩だけで……。
「いまは勝てる」
刀を鞘に収め、居合いの構えを取る。
「テメェ……」
ヤルナーフの声はそれで消えた。
気配は一度消え……。
そして……。
「できるものか」
「そんなこと」
「お前は無様に」
「負けるんだ」
「死んで惨めに」
「死体を晒し」
「オレに笑われるために」
「ここにいるんだ」
「どうだ?」
「そんな未来のために」
「こんな危険な戦い」
「できるわけがないだろう?」
「恐怖を無視しても」
「お前に恐怖が張り付いている」
「事実は消えないぞ?」
声があちらこちらから響いて、揺さぶりをかけて来る。
だが、その言葉は届かない。
幻に対処するのに必要なのは、惑わない心。
そして、俺の剣に必要なのは、間合いへの絶対信頼。
この間合いに入ったものは全て打ち倒すという絶対自信。
だから……。
そのためなら……。
「怖いのはお前の方だろう?」
己の間合いに入らせるためなら、言葉だって刃に変える。
「幻使いは実戦では使えないとか言われたか?」
いくらだって言ってやる。
「そんな自分を見返すやり方がこんなことしか思いつかなくて、簡単に落伍したようなお前には、真っ向勝負なんて怖くてできないだろう」
ただ己の間合いに意識を満たし、待ち続ける。
「そんなやり方も、思いつきはしないんだ」
罠を張り、餌にかかる瞬間を。
……。
その瞬間、動いた。
後ろから切ってやろうか?
それとも正論を吐いてるつもりのその顔を正面から切り落としてやろうか?
煮えたぎる怒りの破片を拾いとる。
間合いに入ったのだ。
認識した後で、視界に再び線が戻った。
複数の線。
戦いの筋道。
勝利の可能性。
このわずかな差が理解を呼ぶ。
この属性は万能のように見えるけれど、見せているのは俺が積み上げてきたもののほんの少し先だけだ。
俺がなにも積み上げていなければ、俺がなにも感じていなければ、それはなにも示さない。
この線の先をより広大に、より無辺にしてみせるのは、俺自身が強くなるしかないのだ。
だから、この一閃は、絶対に外さない。
「なっ」
幻を全て剥げ落ちて、実像を晒したヤルナーフが剣を落とす。
その手は半ばから切れ、その先は剣とともに転がっていた。
「なぜ、わかった?」
「俺の師匠の方が強いから。つまり、属性関係なしに、鍛え方が違う!」
「くっ、ふざけ……」
「そして、もう遅い」
「なにを、ぐっ!」
傷口を押さえたまま距離を取ろうとしたヤルナーフだけれど、その前に顔色が変化した。
スラーナだ。
彼女の風が、ヤルナーフの口の周りから酸素を奪っている。
「幻がなければ、あなたの息を止めるなんて簡単なこと」
低く暗い声で、スラーナが告げる。
「あなたは捕まえる。それが、この社会の正しいやり方だから」
「……クソが」
そう言い返すのが精一杯だったようで、ヤルナーフはすぐに白目を剥いて倒れた。
「ああ、悔しい!」
ヤルナーフが倒れたのを確認し、二人で拘束する。
「幻を破ってやろうと思ったのにできなかった」
「だからあの高音?」
「そうよ。わからないなら、全体に嫌がらせをしてやろうと思ったの」
「あの音はひどかった」
「つまり、タケルにも有効ってことね」
「いやぁ、もう聞きたくないかなぁ」
「ふふっ、そう?」
「うん」
「でも、だめ」
「なんで⁉︎」
「次の時にあなたが少しでも早く動けるようになるために、慣れないといけないでしょ?」
「ああ……そういう考えもあるよね」
「そういう考えしかないわよ」
ヤルナーフを拘束し、傷口も縛って血の流れを最低限にして、俺が担ぐ。
「さあ、ジョン教授のところに急ごう」