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 スラーナの風が首輪を切り裂いた。

 首に痛みはない。

 薄皮一枚も切れていない完璧な制御に俺と彼女は視線を合わせ、思わずニヤリと笑ってしまった。

 抑えられていた術理力が溢れる。

 少し前までそんなものは使っていなかったのに、いまはこれがあることが普通のように感じる。


 違う。

 前からこの力は存在していた。

 だが、いまほど上手く感じることも、使いこなすこともできていなかっただけだ。


「てぇぇめぇぇっ‼︎」


 ダイスが吠え、大剣から術理力が溢れる。

 俺の手に武器はない。

 だが、視界には勝利のための線が無数に存在する。

 あらゆる可能性を強弱を付けて表現し、俺を導く。

 ダイスの大剣の動き。

 発せられる衝撃波の動き。

 体の流れ。

 次にどう動くのか。

 そして、周囲はどうするのか。

 一度見えなくなったからか、線への理解が一気に深まった気がする。


「術理力が使えたって、武器がないんじゃなぁ!」


 大剣が鉄の塊をした殺気の嵐となって押し寄せる。

 しかし、それは俺にとって脅威ではなかった。

 右へ一歩。

 屈んで前へ二歩。

 宰相の行動でダイスの懐に入り込み。

 指を立てて脇腹に突き立てる。

 ここに来る前に尖らせた爪は、術理力によって鍛えられた肉体を易々と貫く。

 肋骨を抜けた指は肺に穴を開けた。


「がっ、はっ!」


 術理力の発生は呼吸の動きと連動する。

 片肺だけとはいえ、不全となればそれだけ力が劣る。

 ダイスの術理力は強いが、見た感じ力に振り回されている雰囲気がある。

 強力だからこそごまかせているが、繊細さに目を向けなかったのがダイスの行き詰まりの原因だ。


「お、ま、え……」


 術理力の減退で大剣へかけられる筋力が減った。

 動きの鈍ったダイスの顎に拳を当てて気絶させる。

 足から崩れ落ちていく彼から大剣を奪い、そしてそのままスラーナたちを押さえ付けようと動いていた取り巻きたちに向けて投じた。


 大剣の先が壁に突き刺さる音が、そのまま連中の動きを止める。


「もう無駄だ」


 ダイスが倒れたことに気づいた取り巻きたちの中に適性者の数は少ない。


「くっ!」


 状況を理解した彼らは一斉に逃げ出した。

 追いかけている余裕はない。


「そっちは大丈夫?」

「ええ、ありがとう」

「いや、なんか、たぶん俺のせいだと思うし」


 言いながらダイスが逃げないように四肢の関節を外していく。

 縛るものがないんだから仕方がない。


「やっぱり、ダンジョンでのあの件?」

「そうなんじゃないかな」


 それっぽいことを言っていたし。


「どういう、ことなの?」


 尋ねてきたのはユウコだ。

 他の二人も問いたげな顔をしている。


「……ごめんなさい」


 スラーナが友人たちに頭を下げた。

 警察というのが来たのは、それからすぐだった。

 術理力の発生で俺たちの場所を見つけたのだそうだ。


「ええと、そのドレス、綺麗だよ」


 警察に保護されて去っていく三人を見送り、彼女たちと一緒に行こうとしないスラーナにそう言ってみると、腕を殴られた。

 軽くだけど。


「タイミングが悪い」

「でも、演奏もよかった」

「知ってる。四人で頑張ったもの」

「なら、大丈夫だよ。元に戻れる」

「簡単に言うわね」

「まずは、自分が信じないと」

「……そうね」


 スラーナの寂しそうな顔が腫れることはなかったけれど、その目はさっきよりも遠くを見ているような気がした。





† † キヨヒラ† †



 ダイスが失敗した。

 その報告を聞いたキヨヒラは頭の中が沸騰するかと思った。

 役立たずどもめ!

 ダンジョンだけでなく、街の中でも失敗するのか。

 たかが、なりたての適性者を相手に、どこまでも下手を打つ。


「くそっ!」


 そんなだから表の世界で生きられないのだ!

 役立たずめ!

 能無どもめ!

 ああくそっ!

 所詮はその程度の連中なのか。

 そんなものに手を出してしまったのは、とんだ失敗だというのか。


「……落ち着け。他の連中がなにを喋ろうと証拠はないはずだ」


 問題はダイスだ。

 奴とは直接顔合わせをしている。

 なにか余計なことを喋りでもしたら……。

 どうにかして警察内部に。

 いや、上層部に接触する方法はないか。

 証拠を隠滅する方法は?

 そうだ。

 あの薬。

 あれを、奴に飲ませることができれば。


「花頭君、入るよ」


 机の引き出しからそれを取り出した時、ノックとともに理事長が入ってきた。

 キヨヒラは咄嗟にそれを掴み、スーツのポケットに放り込んだ。


「理事長、どうしました?」

「先ほど連絡があってね。学園の生徒が外でならず者たちに攫われたと」

「な、なんですと?」

「いや、すでにその件は解決した」

「そうなのですか? それは……よかったですね」

「まったくよくはない。今回も、あの山梁タケル君だ」

「また、彼ですか?」


 キヨヒラはわざとらしく表情を歪めた。


「特異な環境に育ったことでこちらの常識がないのでしょう。トラブルの元になるのであれば、生まれた場所に戻らせてはどうですか? 大した収穫などないでしょう」

「いいや、彼は適性者として十分以上の成果を示している。その力の根源が彼の才能なのか、それとも環境に由来するのか、教育者としてそれを見定めるのはとても重要なことだ。そう思わないのかね? 花頭君?」

「は、はい」

「……花頭君」

「はい」

「君に野心があることは知っている。それが悪いことだとは思わない。上昇志向は人が生きる上での大切な要素の一つだ」

「……」

「だが、何事も過ぎれば毒となる。毒は他者だけでなく、自らも滅ぼす。そのことをよく考えなさい」

「……はい」


 知られている。

 理事長はキヨヒラがやらせたのだということを知っている。

 このままでは……終わってしまう。

 花頭キヨヒラという人間の生涯が。

 こんなところで、こんな形で。

 そんなわけにはいかない。

 次の理事長選挙を勝ち取り、その次は都市長選挙に躍り出る。

 最終的にはダンジョン人類圏会議の議員となり、議長へと。

 まだ、踏み上がる階段はこんなにもたくさんあるというのに。

 こんなところで。


「こんな、ところでぇぇ」

「花頭君」

「っ!」


 ポケットに手を突っ込み、あの薬を握りしめると、それを理事長の口に強引に押し込んだ。




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