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15 裂け目より



 裂け目の中から、それは地鳴りとともに姿を見せた。


「嘘でしょ」


 スラーナが呆然と呟く。

 その横顔を見たい気がしたけれど、俺もそれから視線を外すことができなかった。

 それは巨大な胴体を備えた蟲だった。

 手のひらサイズとかそんなかわいいものではない。

 複眼、その下にある妙に艶めいた光を放つ顎。

 長い触覚。

 その下に続く長大な胴体と節ごとに生えた足。

 ムカデだ。

 形としてはムカデ。

 だけどその大きさは複眼の直径だけで人の二倍か三倍、節一つで俺の村の納屋ぐらいはありそうだ。

 それが数え切れないぐらいに続いていて、いまだ全てが地上に出てこない。


「カイザーセンチピード⁉︎ 」

「スラーナ、知っているのか?」

「ええ。現在、調査済みのエリアで見つかっている、討伐不可能種の一体よ。そんなものが出てくるなんて」


 スラーナの声は震えている。

 討伐不可能種と呼ばれているということは、誰にも倒されたことがないということか。

 たしかに、あんなに巨大だとなかなか死にそうには思えない。

 それに、虫ってしぶといし。

 俺たちはポータルへの間を、裂け目と、そこから出てきたカイザーセンチピードによって塞がれた形になっている。

 他でも悲鳴が聞こえてくるけれど、裂け目の幅はそこまでじゃない。

 奴の視線は、たぶんだけと俺に向いている。


「スラーナ」

「なに?」

「俺が囮になるから、その間に逃げて」

「っ!」


 震えていた彼女が俺を見た気がした。

 頬に視線が突き刺さる。


「なにを言っているの?」

「さすがに倒せないし、暴れ出したら周りのことは気にしてられないからね」

「いや、だから……」

「なるべく引き離すようにするつもりだけど、どうなるかわからないから」

「タケル!」

「頼むから」

「……死なないでよ」

「当然」


 その時になって俺はスラーナを見て笑った。


「じゃっ!」


 間を置かず、剣を抜いてカイザーセンチピードに向かっていく。

 巨大蟲は裂け目からゆっくりと上がってきている。

 距離を詰めて、奴の顔の前に出る。


 【居合術・跳ね鴉】


 低く近付き、剣を走らせる。

 神速に達する抜き打ち速度で、剣先で衝撃波が生まれた。

 術理力による身体能力の強化で、ようやく実現化した。

 飛び散る衝撃波が鴉みたいだとか言っていたけれど、それはよくわからない。

 ともあれ、片方の複眼に傷を入れることができた。


 カイザーセンチピードは吠えない。

 おそらく声帯のようなものがないのだろう。

 だが、大顎の内側にある小さな牙の列が、気色の悪い歯軋り音を鳴らした。

 ムカデなら毒を持っていることを警戒して、即座に離れる。

 予想通り、外側の大顎の周辺が濃い紫色の霧に包まれた。

 なんの毒かわからないが、触れたら終わりだと考えておく。


「さあ、こっちに来い」


 蟲の考えなんてわからないはずだけれど、いまは奴からの強い殺意を感じとった。

 身体中の皮膚がビリビリに痺れるような威圧感。

 奴が俺に向かってやってくる。

 足だけで支え切れない胴体が、地面を削っていく。

 それでもかなりの速度だ。

 あっという間に距離を詰められる。

 俺はさらにポータルとは逆に走っていく。

 ゴブリンは残っているけれど、カイザーセンチピードの姿を見ると、慌てて逃げ出していった。

 協力するという考え方はないようだ。


 他に気を散らさせないよう、時折、こちらから距離を詰める。

 毒を纏う大顎の前には出られない。

 寸前で方向を変え、奴の側面に回り込むと足を切る。


【流水斬り】


 流れるように足の間を抜けていく。

 ゴブリン相手に使っていた技だ。

 柱のような足たちに衝撃波が走る。

 切ることはできたが、断つまでには至らない。

 それでも黄色い体液を吹き出させることはできた。

 すぐに頭側に戻って俺の姿を見せ、さらに走る。

 よし、追ってくる。

 ポータルから離れるほど、地震の被害はなくなっていく。

 あれは地震ではなくて、カイザーセンチピードが地面に上がるために身をくねらせた結果だったのだろうか?

 なんてタイミングが悪いんだろうと嘆きつつ、さっきと同じ足を切ろうと方向転換しようとして、やめた。

 頭の中で警鐘が鳴った。

 本能の訴えに従ってその場から飛び離れると、今まで自分がいた場所を紫色の奔流が駆け抜けていった。

 毒水を吐いたみたいだ。

 即座に気化する毒水が霧となってその場に漂っている。

 俺はそれから離れる方向にさらに走り続ける。

 幸い、毒水を吐き出すのは連続でできることではなかったようだ。


「もう、十分に離れたかな?」


 体感的にだけれど、かなり離れたように思う。

 周囲にはゴブリンがまばらに見えるだけで、生徒の姿はない。

 全員無事に逃げたのだろうか?

 いや、とりあえず重要なのは、いまなら他に見ている人はいないってことだ。


「いまなら、できるか?」


 俺は足を止め、カイザーセンチピードと相対した。

 ミコト様と修行をして、いろいろな剣技を身につけた。

 その中で、まだ使いこなせていないものがたくさんある。

 斬撃を飛ばすとか、衝撃波を自在に操るとか、正直よくわからないものも多くて、理屈を理解することすら難しいのも多かったけれど、術理力によって上昇した身体能力を持ってすれば、可能になるものもあるはずだ。

 まさしくいま、この時のためにあるようなものも……。


「やって、みるか」


 やる必要があるのかどうかもわからないけれど、この追いかけっこを無限に続けることもできない。

 どこかで割り切るしかないのならば、それはいまだ。

 カイザーセンチピードが毒水を吐き出す。

 大顎の向こうにある巨大な空洞が見えた瞬間に、動いていた。

 吐き出された毒水の下を、伏せるように、地面を舐めるほど低く進む。

 毒水をやり過ごし、大顎が閉じられたその下にさらに潜り込む。


【伏滅】


 上にはカイザーセンチピードの顎の下が見える。

 そこに切先を向け、さらに先へと進む。

 速度は緩めない。

 切先は自然と巨大蟲の腹に埋まり、進行するままに深く深く沈んでいく。

 肉の抵抗力が強くなったところで、剣にかけていた力を抜き、切先の向きを変えると、進行方向を斜めにずらして外に飛び出した。

 どこまで切れた?

 振り返って確認する。

 切れたのは、大顎の下から五メートルほどか。

 カイザーセンチピードは上体を天に反らせて痛みを訴えている。


「倒せないか」


 何度かやれば倒せるかもしれないが、手にした剣の刃を見て不可能を悟った。

 かなりの刃こぼれが起きている。

 これ以上は無理だ。

 それなら後は、逃げるだけだ。

 カイザーセンチピードが悶えている間に、全力でポータルに向かって走った。


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