裂け目の中から、それは地鳴りとともに姿を見せた。
「嘘でしょ」
スラーナが呆然と呟く。
その横顔を見たい気がしたけれど、俺もそれから視線を外すことができなかった。
それは巨大な胴体を備えた蟲だった。
手のひらサイズとかそんなかわいいものではない。
複眼、その下にある妙に艶めいた光を放つ顎。
長い触覚。
その下に続く長大な胴体と節ごとに生えた足。
ムカデだ。
形としてはムカデ。
だけどその大きさは複眼の直径だけで人の二倍か三倍、節一つで俺の村の納屋ぐらいはありそうだ。
それが数え切れないぐらいに続いていて、いまだ全てが地上に出てこない。
「カイザーセンチピード⁉︎ 」
「スラーナ、知っているのか?」
「ええ。現在、調査済みのエリアで見つかっている、討伐不可能種の一体よ。そんなものが出てくるなんて」
スラーナの声は震えている。
討伐不可能種と呼ばれているということは、誰にも倒されたことがないということか。
たしかに、あんなに巨大だとなかなか死にそうには思えない。
それに、虫ってしぶといし。
俺たちはポータルへの間を、裂け目と、そこから出てきたカイザーセンチピードによって塞がれた形になっている。
他でも悲鳴が聞こえてくるけれど、裂け目の幅はそこまでじゃない。
奴の視線は、たぶんだけと俺に向いている。
「スラーナ」
「なに?」
「俺が囮になるから、その間に逃げて」
「っ!」
震えていた彼女が俺を見た気がした。
頬に視線が突き刺さる。
「なにを言っているの?」
「さすがに倒せないし、暴れ出したら周りのことは気にしてられないからね」
「いや、だから……」
「なるべく引き離すようにするつもりだけど、どうなるかわからないから」
「タケル!」
「頼むから」
「……死なないでよ」
「当然」
その時になって俺はスラーナを見て笑った。
「じゃっ!」
間を置かず、剣を抜いてカイザーセンチピードに向かっていく。
巨大蟲は裂け目からゆっくりと上がってきている。
距離を詰めて、奴の顔の前に出る。
【居合術・跳ね鴉】
低く近付き、剣を走らせる。
神速に達する抜き打ち速度で、剣先で衝撃波が生まれた。
術理力による身体能力の強化で、ようやく実現化した。
飛び散る衝撃波が鴉みたいだとか言っていたけれど、それはよくわからない。
ともあれ、片方の複眼に傷を入れることができた。
カイザーセンチピードは吠えない。
おそらく声帯のようなものがないのだろう。
だが、大顎の内側にある小さな牙の列が、気色の悪い歯軋り音を鳴らした。
ムカデなら毒を持っていることを警戒して、即座に離れる。
予想通り、外側の大顎の周辺が濃い紫色の霧に包まれた。
なんの毒かわからないが、触れたら終わりだと考えておく。
「さあ、こっちに来い」
蟲の考えなんてわからないはずだけれど、いまは奴からの強い殺意を感じとった。
身体中の皮膚がビリビリに痺れるような威圧感。
奴が俺に向かってやってくる。
足だけで支え切れない胴体が、地面を削っていく。
それでもかなりの速度だ。
あっという間に距離を詰められる。
俺はさらにポータルとは逆に走っていく。
ゴブリンは残っているけれど、カイザーセンチピードの姿を見ると、慌てて逃げ出していった。
協力するという考え方はないようだ。
他に気を散らさせないよう、時折、こちらから距離を詰める。
毒を纏う大顎の前には出られない。
寸前で方向を変え、奴の側面に回り込むと足を切る。
【流水斬り】
流れるように足の間を抜けていく。
ゴブリン相手に使っていた技だ。
柱のような足たちに衝撃波が走る。
切ることはできたが、断つまでには至らない。
それでも黄色い体液を吹き出させることはできた。
すぐに頭側に戻って俺の姿を見せ、さらに走る。
よし、追ってくる。
ポータルから離れるほど、地震の被害はなくなっていく。
あれは地震ではなくて、カイザーセンチピードが地面に上がるために身をくねらせた結果だったのだろうか?
なんてタイミングが悪いんだろうと嘆きつつ、さっきと同じ足を切ろうと方向転換しようとして、やめた。
頭の中で警鐘が鳴った。
本能の訴えに従ってその場から飛び離れると、今まで自分がいた場所を紫色の奔流が駆け抜けていった。
毒水を吐いたみたいだ。
即座に気化する毒水が霧となってその場に漂っている。
俺はそれから離れる方向にさらに走り続ける。
幸い、毒水を吐き出すのは連続でできることではなかったようだ。
「もう、十分に離れたかな?」
体感的にだけれど、かなり離れたように思う。
周囲にはゴブリンがまばらに見えるだけで、生徒の姿はない。
全員無事に逃げたのだろうか?
いや、とりあえず重要なのは、いまなら他に見ている人はいないってことだ。
「いまなら、できるか?」
俺は足を止め、カイザーセンチピードと相対した。
ミコト様と修行をして、いろいろな剣技を身につけた。
その中で、まだ使いこなせていないものがたくさんある。
斬撃を飛ばすとか、衝撃波を自在に操るとか、正直よくわからないものも多くて、理屈を理解することすら難しいのも多かったけれど、術理力によって上昇した身体能力を持ってすれば、可能になるものもあるはずだ。
まさしくいま、この時のためにあるようなものも……。
「やって、みるか」
やる必要があるのかどうかもわからないけれど、この追いかけっこを無限に続けることもできない。
どこかで割り切るしかないのならば、それはいまだ。
カイザーセンチピードが毒水を吐き出す。
大顎の向こうにある巨大な空洞が見えた瞬間に、動いていた。
吐き出された毒水の下を、伏せるように、地面を舐めるほど低く進む。
毒水をやり過ごし、大顎が閉じられたその下にさらに潜り込む。
【伏滅】
上にはカイザーセンチピードの顎の下が見える。
そこに切先を向け、さらに先へと進む。
速度は緩めない。
切先は自然と巨大蟲の腹に埋まり、進行するままに深く深く沈んでいく。
肉の抵抗力が強くなったところで、剣にかけていた力を抜き、切先の向きを変えると、進行方向を斜めにずらして外に飛び出した。
どこまで切れた?
振り返って確認する。
切れたのは、大顎の下から五メートルほどか。
カイザーセンチピードは上体を天に反らせて痛みを訴えている。
「倒せないか」
何度かやれば倒せるかもしれないが、手にした剣の刃を見て不可能を悟った。
かなりの刃こぼれが起きている。
これ以上は無理だ。
それなら後は、逃げるだけだ。
カイザーセンチピードが悶えている間に、全力でポータルに向かって走った。