「もうやだ、おうち帰る!」
「私だって帰りたい!」
誰かの叫びにジョンは怒鳴り声で返した。
だが、このままでは帰ることはできない。
「帰りたければ倒せ!」
「うえぇぇん!」
泣いても喚いても戦闘という現実は変更されない。
護衛部隊と切り離された我々の手にあるのはサブマシンガンと拳銃のみ。
圧縮魔力型弾倉ならば交換なしで千発は撃てるが、専門職ではない我々の攻撃を受けたところで、このモンスターにはびくともしない。
戦闘講習は受けている。
ダンジョンの深層に未だ残っているモンスターを相手にしたことはある。
人間以下程度のサイズならば、マガジンを一つ消費するまでに倒すことができるだろう。
だが、専門職でもない、武器を持っただけの一般人にできるのはその程度だ。
しかも、千発撃ち尽くした後は、その振動で手が痺れて、しばらくなにもできなくなる。
そんなことになるような者に、こんな巨大なモンスターを相手にすることはできない。
目の前にいるのは巨大な蛇の胴体だ。
赤色の鱗には毒々しい模様が描かれている。
だが、頭部に該当する部分にあるのはそれではなく、なんと人の上半身。
しかも、美しい女性のそれだ。
赤い蛇体に反するかのような青く長い髪が衣服の代わりの女性の際どい部分を視線から守っている。
長い髪の隙間から覗く鋭い眼光が、ジョンたちを射抜き、離れない。
ラミアというモンスターのはずだ。
しかし、ラミアがこんなに巨体であったという記録はない。
地上での生活で、ここまで大きく育ったということか?
護衛隊はあの壁のように立ちはだかる蛇体の向こうにあり、戦闘音も聞こえてくる。
だが、誰もこちらにはやってこない。
ラミアの視線はこちらに向いており、護衛隊には尻尾の先端が向けられているだけのはずだが、それでも十人いる戦闘の専門家たちが動けなくなっている。
彼らは、一般人であるジョンが手を痺れさせるまで引き金を弾き続けて倒したモンスターを片手で捻り潰し、千発の銃弾を軽々と避けた李、手にした武器で打ち払ったりができるというのに。
だというのに、ラミアの尻尾による攻撃で足止めされてしまっているのだ。
「とんでもないものに出会ってしまった」
「まだ早かったんですよう!」
「だがっ! これこそが我らの使命だ!」
「使命も大事ですけど、命も大事です!」
「それはそう!」
助手のもっともな叫びに同意はするが、かといって現実が変わるわけでもない。
「婚約者もいないのに死ぬのは嫌ぁぁぁぁぁっ!」
と、助手が叫んだからというわけではないだろう。
「ストーップ! ストーップ!」
と、いきなり知らぬ声が頭上からした。
「ええと、俺の言ってることはわかりますか?」
話しかけてくる。
「武器を収めてくれれば、こいつもなにもしません。いいですか、武器を収めてください」
声に引かれて視線を上に向けると、ラミアの女体の左肩に影がある。
逆光のせいで姿がよく見えないが、人間のように見える。
「あなたたちは彼女の巣の近くにいます。彼女はいま子育て中でとても気が立っている。武器を収めてすぐに立ち去ってください。それで戦いは終わります」
「……戦わなくて、いいの?」
「はい」
助手が聞くと影は即座に肯定した。
そういえば、我々の声は保護マスク越しでくぐもっているというのに、その声ははっきりと澄んで耳に届く。
補助なしで呼吸できている?
地上で?
では、人語を喋るモンスターということか?
いや、しかし……。
分厚い雲が流れてきて、太陽光が遮られた。
眩しさで見上げるのが辛かったのが軽減され、ラミアの方にいる人物の姿もはっきりとした。
黒髪黒目の少年にしか見えなかった。
私の名前はジョン・タイタン。
地上観測隊に参加した研究者だ。
地上を観測する、それはとても危険な任務だ。
我々人類が地上で生きられなくなってもう幾年か。
西暦の最後の世紀、突如として現れたダンジョンという存在は、地上にこれまでとは違う異様な繁栄をもたらした。
幻想の世紀とさえ呼ばれたその時代の最後は、ダンジョンから溢れ出したモンスターたちによる大侵攻によって告げられた。
人々は幻想世紀によって鍛えられた新たな武力によって対抗したが、力及ばず。
地球の大地、海、空はモンスターたちによって改変された。
そこに人類の居場所はなかった。
では、人類はどこに行ったか?
ダンジョンである。
人類はモンスターが移動して不在となったダンジョンに逃げ込み、そこに新たな社会を構築することとなった。
「はぁ、そうだったんですか」
人類のことを語っている間、彼はとても感心した様子で聞き入っていた。
彼は自分を山梁タケルと名乗った。
日本人名だ。
彼は、この地上で集落を作って生活しているのだという。
だが、人間は彼一人なのだという。
では、先ほどは同類だから守ってくれたのかというと、そういうわけではなく、あのラミアが顔見知りなのだと言う。
「母親だし、あのままだと怪我しちゃって子育てが難しくなるから」
「殺されそうだったの、私たちの方なんですけど?」
助手がタケルの意見に恨めしげな異論を唱えた。
「でも、他人の縄張りに勝手に入ってきたのなら、入ってきた方が悪いのが普通じゃないですか?」
「それは……」
「彼のおかげでどちらも怪我がなくたすかった。それが重要じゃないかな?」
護衛部隊にも不満はありそうだと感じたため、ジョンは彼らに向けて言った。
「それに、彼の村に案内してくれるんだろう? とても興味深い」
彼は、この辺りは息が辛くないからそのマスクはいらないと言ってくれたが、誰も保護マスクを外そうとはしなかった。
私も外せなかった。
計器による大気汚染度は確かに以前に計測した時よりは低くなっているが、それでもまだ健康被害を懸念せねばならない数値となっている。
彼はいまのところ健康かもしれないが、短命となるかもしれない。
そんなことをジョンは感じながら、山道を進んだ先で開けた景色を見た。
そこには確かに村があった。
ダンジョンではもう見られない、わずかに持ち込むことのできた記録映像の中にだけ存在するノスタルジーを刺激するが、実感はなに一つとしてない奇妙な心境に戸惑っていると、誰かが近づいてきた。
「おう、若。おかえり」
「ただいま大爺」
ぬっと現れたのは額に一本の角がある老人だった。
見た目は老人だが、大きい。
身長は三メートルはありそうだ。
そして、老人と呼ぶにはあまりにも筋肉が発達している。
肩に担いでいるのは、たしか鍬とかいう農具のはずだ。
顔だけが老人のように皺深く、頭髪がない。
ギョロリとした目がジョンたちを見た。
「人間か」
「うん、父さんたちの遺品と同じ格好の人たちでしょ」
「そうだな。おい、あんたら」
「は、はい!」
人語を喋るモンスター。
その事実に驚いていると、話しかけてきた。
「こっちが珍しいのはわかるが、大人しくしておけよ。ここの連中は若のことは好きだが、別に人間が好きなわけじゃない」
「はいっ!」
「もう、大爺は脅しすぎだよ」
「なにごともな、心配しすぎなぐらいがいいんだよ。じゃあな」
「うん、畑仕事、よろしくね」
「おう」
角のあるモンスターはジョンたちを一瞥して、畑へと向かっていく。
「じゃあ、とりあえず俺の家に行きましょう!」
そう言って案内される。
地上を支配するモンスター。
彼らがどのように生活しているのか?
ずっと謎だった秘密の一端に触れることができるのだと思うと、研究者としての部分が興奮しているのがわかった。