「二人も揃うと、さすがにしんどいわね……」
女性のお花畑――もとい、お手洗いへ避難してきた私は、深い溜息をつく。
鏡に映った私は、それはもう疲れた表情を浮かべている。
別に肉体的に疲れているわけではなく、これは所謂気疲れってやつだろう。
どんだけハードスケジュールでも気疲れすることなんてなかったのに、僅か一時間程度でこんなにも疲労感に襲われているなんて……。
一人なら、まだ対処だってできるのだ。
でもあの二人が揃うと、威力も二倍。
戸惑う私を面白がるために、あれやこれやと次から次へと……ぐぬぬ……!
――まぁいい、社交界も残り僅かですわ。やり切ってみせましょう。
頬を両手で叩き喝を入れる。
私だって、公爵令嬢なのだ。やる時はやれる子なのよ!
お手洗いから出ると、気持ちを引き締めて会場へと戻る。
きっと戻ったらすぐ、またあの二人に挟まれてしまうであろうことを覚悟しながら。
「あれ? メアリー様?」
すると、突然廊下で男性に声をかけられる。
その声も雰囲気も、あの二人とは違うけれど、よく知った声だった。
振り向くとそこには、まさかのゲールの姿があった。
「まぁ! ゲールさんもいらしていたのですね!」
「ええ、今日はキースさんにお誘いいただいてね。僕もちょうど、お手洗いから戻るところで」
「そうでしたのね!」
「メアリー様、何だか嬉しそうですね」
可笑しそうに微笑みながら、ゲールが隣に並ぶ。
だって、ゲールと言えば貴重なロマンス小説仲間。
この夏休み読み込んだ新刊について、早くゲールとお話したいと思っていた私は、どうやら顔に嬉しさが滲み出てしまっていたようだ。
ゲールも理由は分かっているのだろう、会場へ向かいながら自然とロマンス小説事情を聞かせてくれる。
作品のチョイスも感想も私と本当に同じで、もう完全に私のオタク心に火がついてしまう。
「随分と、楽しそうだな」
その結果、どこか冷ややかに声をかけてくるクロード様。
もう完全に会話も心も弾んでしまっていた私は、ここが既にパーティーの会場内であることにすら気づいていなかった。
睨むようにこちらを見るクロード様に、どこか面白そうにその様子を見ているキース。
そんな二人に対して、全く意味が分からないといった様子のゲール。
つまり私は今、マジラブの公爵対象キャラの三人に囲まれている――。
「ちょ、ちょっと、その……共通の趣味がありまして……」
「ほう? 趣味か。なんの趣味だ?」
なんでそんなことまで言わないとダメなんですか……。
というか、私はヒロインではなく悪役令嬢なのに、この状況は何!?
「ど、読書です……」
「どんな本だ?」
「まぁ、色々ですぅ……」
興味のない人に、ロマンス小説と打ち明けたくはない。
こういうのは、好きな人が楽しむものであって、人に誇示するようなことではないからだ。
すると、言い淀む私にクロード様は更に眉を顰める。
「……言えないような本なのか?」
「それは、そのぉ……」
「すみません、クロード様。僕とメアリー様は、たまたま共通の本を読んでいたことが分かって、それで話が合っただけです。決して如何わしい本ではございませんので、ご心配なく」
「……そうか。まぁいい」
困惑する私に、ゲールが助け船を出してくれる。
話が私からゲールへ移ったことで、クロード様も興味を失ったのか意外とすんなりと引いてくれた。
――ふぅ、助かった……。
ほっと安堵する私へ、ゲールは作ったような笑みを向けてくる。
そして――、
「これは、貸し一つです。今度フローラさんと、お話しできる場を根回ししてくださいね」
ゲールはそれだけ耳打ちすると、笑みを浮かべながら立ち去っていく。
まだ傍にいて欲しかったけれど、ゲールとしてもこの二人と一緒にいるのは気苦労するのだろう。
そんなこんなで、やり取りを面白そうに見守っていたキースに、まだどこか不満そうなクロード様。
そして、助けてはくれたけど打算的なゲール。
彼らは三者三様、確かに攻略対象に相応しいキャラクター性を持っているのであった――。
◇
社交界を終え、今は帰りの馬車の中。
結局最後まで二人と行動を共にする羽目になった私は、ものすごい疲労感に襲われる。
「どうした? 疲れたか?」
「……はい、クタクタですわ」
「そうか、珍しいな。まぁ思った以上に、クロード皇太子と親し気にしているようで良かったよ」
そう言って、安心するように微笑むお父様。
そうだった、お父様は私が一度婚約解消を申し出たこととか何も知らないのだった……。
お父様の目には、私が婚約相手と上手くやっているように見えたのなら、まぁ不幸中の幸いといったところだろうか。
実態は、ただ私が二人に揶揄われていただけなのですけどね……。
まぁ要らないことは言わない方がいいので、真実は黙っておくことにいたしましょう。
「本当はな、安心したのだよ」
「安心、ですか」
「ああ、正直に言うとな、メアリーが学園で上手くやっていけるか心配だったのだ。でも、私の心配は杞憂に終わったようでほっとしている」
その言葉どおり、安堵するように笑みを浮かべるお父様。
学園に通う前の私は、前世の記憶を取り戻す前の私。
つまり、そのまま行けばクロード様に追放されていたかもしれない悪役令嬢。
お父様が心配されていたのも無理はない話だ。
――そうか、心配かけてたんだな。
身分や権力こそが全てで、他者には厳しく当たっていた私は、どうやら身内の目にもよくは映っていなかったようだ。
それでもお父様は、ここまでしっかりと私を育ててくれて、今も心配してくれている。
そんなお父様への感謝のためにも、今日からでも親孝行をしよう。
「お父様こそ、お疲れではないですか?」
「ん? ああ、まぁ歳には抗えないな。最近肩が凝っていてな」
「でしたら、お揉みいたしますわ」
「え? いいのか?」
「もちろん。さぁ、背を向けてください」
「そ、そうか? じゃあお願いしよう」
さっそく親孝行を実行しようとする私に、お父様は照れくさそうに背中を向けてくる。
こんなお父様を見るのは初めてかもしれない。
心なしか、その背中は以前より小さく見える。
それは私が成長したからか、それともお父様も年齢を重ねてきたからなのか……。
肩を揉みながらするお父様との会話は、いつもより温かく、そして近くに感じられるのでした。