キースと違って、どうやらクロード様はお父様に用事があるわけでもないそうだ。
つまり、本当にただ私の様子を見に来ただけということだろうか……?
いやいやいや、ありえない。
だってクロード様には、フローラというヒロインがいるのだから。
私はあの時、クロード様からビンタをされた。
それは乙女ゲーム『マジラブ』におけるターニングポイントで、ビンタをキッカケにクロード様はフローラとの距離を縮め、そして私は破滅の道を辿ることになるのだ。
だからこそ、私は何故ここにクロード様がいるのか理解が追い付かない。
「……というかですね、今日はお暇なのでしょう? こんなところにいて良いのですか?」
「なんだ? まるで他に行くべき所があるかのような口ぶりだな」
「それは、まぁ……例えば、フローラとはお会いになられて?」
「フローラ? 何故ここで、彼女の名前が出てくるのだ?」
本当に訳が分からないといった感じで、クロード様が聞き返してくる。
秘密にしているとか誤魔化しているとかそんな感じではなく、本当に訳が分からないといったご様子……。
キースの時もそうだったが、二人とも本当にフローラのことを異性として意識していないように思えてくる……。
しかし、私は現にクロード様からあの時ビンタをされたのだ。
それが論より証拠であり、この世界は今クロード様攻略ルートで時が流れているはず……。
けれど、ここはゲームの中ではなく現実世界。
そもそもこの世界が、マジラブと同じ世界だという保証はどこにもなかったのである。
だから私がビンタをされても、それがこの世界で起きる出来事が、ゲームのシナリオに沿ったものだとは限らないのである。
それは他でもない、私自身が一番否定したいことであり、破滅を免れるために抗い続けていることなのだ。
運命に抗うため、私はゲームのメアリーと違い、自分からクロード様に婚約解消を申し出た。
それにフローラとは友人関係になることだって出来たし、キースに代わってトーマスの問題の仲裁に入ったりもした。
その結果、ゲームでは無関係に等しかったキースとの距離が縮まってしまうことになったし、あのゲールともロマンス小説仲間になることができた。
そして何より、ビンタの件の後だというのに、今ここにはクロード様がいるのだ……。
つまりもう、ここはマジラブとは異なる世界線。
だから私も、今から完全に考えを改めることにした。
ここから先は、私も知らない未来が待っているのだと――。
そう確信した私は、さっそく未来へ向けた一歩を踏み出してみる。
「えっと、クロード様は、フローラと仲がよろしいのではなくて?」
「仲? ……まぁそうだな、彼女は少し変わっているから、気にはかけていたし仲は良いと言えるだろう。だが、それだけだ」
「なるほど……。では、異性として興味はないので……?」
「何故そうなる? この頃は、特に会話もしていないぞ」
「え? それなのに、婚約相手であるわたくしのことをビンタなさったの?」
「それは……いや、あの時はすまなかった」
純粋に疑問に思って聞いただけなのに、バツが悪そうに謝罪の言葉を口にするクロード様。
まさかあのクロード様が、私に謝罪する日がくるなんて……!
って、今はそこじゃない。
私の言いたかったことが伝わっていないから、慌てて補足する。
「ち、違いますっ! そういうお話をしたかったのではなくて、わたくしはただクロード様がフローラのことをお気にかけていらっしゃるのかな? と思いまして」
「それはない!」
改めて真意を伝えると、何故かクロード様から即座に否定されてしまう。
勘違いを解消したはずなのに、どうしてそんな風に取り乱してしまうのでしょう?
その理由が分からなくて、こちらも同返事をすべきか困惑してしまう。
「いいか? あの時の俺は、客観的に善悪で判断しただけだ!」
「は、はいっ!」
「だから別に、お前のことを嫌っているとか、そういう意味ではない!」
「分かりました!」
「よしっ! 分かればいい!」
話はこれで終わりだと、そっぽ向いてしまうクロード様。
その頬は、少しだけ赤く染まっているような……?
もしかして今、照れていらっしゃる……?
え? あのいつも完璧で、普段全く感情を表に出さないクロード様が?
でも今見せている表情を、私は良く知っている。
何故なら、これまで私には向けたことがなかったけれど、マジラブでは何度も見てきた表情そのものだから――。
何故、今の会話の流れで恥ずかしがっているのか理由が気になる。
けれど、この会話はもうこれでおしまいだと言われてしまったため、これ以上聞くことはできない……。
でも何だか、外でお会いする時と違って、今日はいつもより素直に思えるクロード様。
二人きりだからだろうか?
ちょっとだけ、ほんのちょこっとだけそれが嬉しいと感じている自分がいた。
「それで? お前の方はどうなのだ?」
「どう、と申しますと?」
「お前は、その……俺がやっぱり嫌いか?」
「やっぱり……? いえ、嫌ってなどおりませんよ?」
「立場とかはいい! 純粋に婚約相手として、俺では不満か?」
……え、何? どうしていきなりそんな話になっているの?
否定する私に対して、クロード様は立場に関係なく本音を言えと言っているのだろう。
本音で言っても、私は別にクロード様のことが嫌いではない。
でも、好きかと言われると分からないし、私の中でクロード様に抱いている感情は恐怖だ。
しかし、そんなことをご本人に正直に言えるはずもない。
だってこれは、私の前世の知識からくる感情だから。
そんな話をされたところで、何の根拠にもならないし信じてもらえるはずもない。
だから私は、これまでの私――メアリー・スヴァルトとして、ずっと抱いてきた思いを伝える。
「そんなことはございません。わたくしは、これまでクロード様のお相手に相応しい人間となるため、これまでずっと努力を続けてきたのですもの」
そう、私はずっと、クロード様の婚約相手として相応しい存在になれるよう努力を続けてきた。
だからクロード様に何と思われようと、私から嫌いになることなどあり得ない。
だってそれを否定したら、これまでの私を否定することになるから。
そう自信を持って言える私は、クロード様の問いかけにはっきりとお答えをした。
「……じゃあ、どうして」
私の答えに対して、クロード様は小さく言葉を漏らす。
しかし、すぐに感情を打ち消すように小さく首を振る。
「……いや、いい。それだけ確認できれば十分だ」
「十分、ですか……?」
「ああ。俺の婚約相手は、やはりお前だけなのだと分かったからな」
……はい?
だから、なんでそんなお話になるの!?
二人きりで会話をしているはずなのに、何だかずっと話に置いてけぼりになっている気がする。
会話をすればするほど、聞きたいことが山積みになっていく矛盾。
けれど、クロード様は満足するように立ち上がる。
「も、もうお帰りで?」
「いや、今日は一日空いているのだ」
「そ、そうですか……」
「だから今日は、お前と一緒に街へ出ようと考えてここへきた」
「……へ?」
「どうせ午後の用事とやらも嘘なのだろう? 分かったら、早く支度をしろ」
それだけ言うと、部屋から出て行ってしまうクロード様。
「ちょ、ちょっとぉ!?」
当事者のはずなのに、やっぱり置いてけぼりな私の呼びかけも、クロード様の背中には届かないのであった。