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第14話 変化

 俺の人生を一言で言うなら、退屈だ。

 王家の長男として生まれ、何不自由ない生活。

 父上の決めた婚約相手もでき、あとは将来この国のまつりごとを引き継ぐための知識と人格を身に着けることが、俺の人生に課された唯一にして最大の課題だった。


 そのせいもあり、俺は幼少の頃から王家の人間としての全てを叩きこまれており、自由というものとは縁遠い状況にあった。


 そんな俺にも、一人の弟がいる。

 弟の存在だけは、そんな俺にとって唯一の安らぎだった。


 だからこそ、可愛い弟には自由になって欲しい。

 そんな思いで、俺は弟が自由に暮らしていけるよう、この国の政に関することは全てを背負ってきたつもりだった。


 しかし、物事はそう上手くはいかない。

 弟のためだと思っていたけれど、気付けばその弟とも疎遠になってしまっていたのだ。


 原因は分からない。

 でもきっと、俺が何かを間違えたせいなのだろう。

 原因が分からなければ謝罪することもできず、俺も忙しさから弟とのことに向き合うことはなかった。


 俺には責任がある。

 それは弟だけではなく、この国に暮らす民のためにも、俺は必ず父上を超える王にならなければならないのだ。

 そんな強い信念とともに、俺は王となるためずっと努めてきた。


 しかし、そんな俺の人生において一つの誤算があった。

 それは、幼少の頃より決められた婚約相手の存在だ。


 この国で、王家の次に高い権力を持つスヴァルト公爵家。

 そこの一人娘であるメアリー・スヴァルトは、一言で言えば嫌な存在だった。


 何より貴族の地位を重要視しており、周囲に対して高飛車で厳しく当たる性格。

 しかし、目上である自分のような存在には、逆に媚びをへつらってくるところが分かりやすく嫌な女。

 まるで貴族の嫌な部分を凝縮したような彼女の性格に、俺は次第にうんざりするようになっていた。


 しかしそれでも、メアリーと結婚をすることが自分の役目。

 元より女性に対して興味もない俺は、相手なんて誰でもいいと考えていた。

 ここ、魔法学園へ入学するまでは――。


 学園へ入学して間もない頃、俺は不思議な少女と出会う。

 彼女の名前は、フローラ・ヘイリー。

 貴族でなく平民の出である彼女の振る舞いは、どの貴族とも違っていて全てが自然体に見えた。

 婚約相手であるメアリーとは真逆とも言える性格で、一緒にいるだけで不思議と落ち着くような変わった女の子。


 そんなフローラのことが、俺は次第に気になるようになっていた。

 これまで一切興味のなかった異性というものに、俺はフローラを通して意識していることに気付かされもした。


 そして、意識すればするほど、フローラのことが気になってしまっている自分がいた。


 もっと、フローラのことを知ってみたい――。

 そう考えるようになったある日、事件は起きる。


 それは、ある日授業が終わり帰宅する際のこと。

 先生に呼ばれた帰り道、いつもと違う人気の少ない場所を一人歩いていると、何やら校舎脇で揉めている集団を発見した。


 その中心にいたのは、自分の婚約相手であるメアリーだった。

 彼女はその取り巻きと一緒に、一人の女生徒を取り囲んでいた。


 いったい何をやっているのだと近づいてみると、取り囲まれている女生徒がフローラであることに気が付く。


 その光景を見た瞬間、俺は込み上げてくる感情に駆られるままその場へと向かっていた。

 こんなにも感情に駆られるのは、自分でも多分初めてな気がする。

 許せない――そんな怒りの感情に、自分でも不思議なほど支配される。


 そして俺は、フローラのことを庇うように間に割って入っていた。

 俺を見つめるメアリーの瞳には、困惑と怒りのような色が滲み出ている。

 それもそのはず、将来メアリーと結婚する約束をしている相手が、自分ではなくフローラの方を庇っているのだ。

 メアリーがそんな顔をしてしまうのも無理はなかった。


 しかし、そんなものは最早どうでも良かった。

 貴族複数名で、平民のフローラ一人を取り囲んでいるのだ。

 そんなもの、誰の目にも一方的であることは明らか。


 俺は怒りの感情に任せるまま、詭弁を並べるメアリーの頬をビンタしていた――。


 自分でも、その行動に驚かされる。

 女性へ手を上げてしまったこと、そしてその相手が、自分の婚約相手であること。


 これまでの自分であれば、絶対にこんなことをしなかったはずなのに……。

 少し冷静になると、自分が怖くなってくる。

 まだフローラへ抱いている感情の正体は分からない。

 けれど、自分の中で生まれた感情に突き動かされるまま、俺はメアリーの頬を叩いてしまったのだ……。


 ――違う、これは……。


 地面へ蹲るメアリーの姿に、言い訳をしようとする自分がいた。

 俺はメアリーのことが、ずっと苦手だった。

 それでも、メアリーが俺に対して何かしたわけではないのだ。

 ずっと俺の婚約者として、恥のない生き方をしてくれていたことは分かっていたはずなのに……。


 自分でも、自分が分からなくなる――。

 さっき感じた怒りの感情は、本当にフローラのことだけなのだろうか――。


 しかしこの時、ある変化が起きる。

 すっと立ち上がったメアリーが、潔く俺へ謝罪してきたのである――。


 やり過ぎたのは自分。けれども、俺達は王家と公爵家の身分差。

 ここでメアリーが謝罪するのは、貴族として当たり前の振る舞いと言えるだろう。


 しかし俺は、その時メアリーの中に何かの変化を感じ取っていた。

 これまでの高飛車な雰囲気はどこかへ消え去り、メアリーの中に生まれていた困惑までもどこかへ消え去っているように感じられたのだ。


 その姿に俺は、今よりずっと昔――そう、俺がメアリーと婚約して間もない頃のことを思い出す。


 あの頃のメアリーは、今よりもっと素直で明るい少女だった。

 庭で弟と一緒に遊んだこともあったし、その僅かな時間が俺は愛おしいと思っていた。

 そんな、時の経過とともに忘れていたあの頃のメアリーの姿が、今のメアリーと何故だかシンクロして見える。


――そうか、そういうことだったのか。


 俺は多分、フローラへ惹かれている。それはきっと、間違いではないだろう。

 しかしそれ以上に、俺は悲しかったのだ。

 もうあの頃のメアリーはいないということが、俺は心の奥底でずっと悲しいと感じていたのだ――。


 しかし、今更そのことに気付いてももう遅い。

 俺はメアリーではなく、フローラを選んでしまったのだから。


 こうして俺は、後日メアリーから婚約解消を申し込まれることとなる。

 そんな彼女の決断を、その時の俺はただその言葉を聞き入れることしかできないのであった――。



「よう、クロード」

「キースか」


 学園の廊下を歩いていると、気さくに声をかけられる。

 こんな風に俺と接してくるのは、顔を見なくてもキースだと分かる。

 キースは幼い頃から兄のような存在で、俺としても数少ない気を許せる存在。


 しかし、そんなキースにも最近は一つの変化が起きている。

 何か大きな変化があったわけではないが、ただ最近キースがメアリーと会話している場面を何度か目にすることがあるのだ。


 以前のキースであれば、メアリーとの接点などほとんどなかったはず。

 それがどうして急に、二人が仲を深めるようになったのか。


 キースは昔からキッパリとした性格をしており、認めた相手以外は良い顔をしつつも適当にあしらう奴だ。

 それがメアリーとは普通に接しているのだから、絶対に二人の間で何かあったと見て間違いないだろう。


 しかし、俺にはもう関係のない話。

 キースに何があったのか理由を聞くこともなく、今日に至る。


「なんだ? 次は実習か?」

「ああ」

「そうか、まぁ頑張れよ!」


 俺の肩を叩き、キースは去っていく。

 まぁ顔を合わせれば、このぐらいのスキンシップはする仲だ。

 だから決して見世物ではないのだが、それだけで周囲がキャーキャーと騒ぎ出すことにももう慣れている俺は、無視して歩き出す。


 しかし、そんな何の変哲もないただの日常も、次の瞬間乱されることになる――。


「よぉ、メアリー嬢」

「……気安く話しかけないでくださいまし」

「なんだよ、挨拶ぐらい別に構わないだろ?」

「はい、ではごきげんよう」


 背後から聞こえてくる、キースとメアリーの何やら親しげなやり取り。

 キースの方は相変わらずなのだが、メアリーもキースに対して随分と砕けた話し方をしている。


 ――俺の前では、あんな話し方をしたことなんてなかったな。


 立場上、それはあり得ないこと。

 だというのに、どうしてそんなことが気になってしまうのだろうか……。


 メアリーからは、婚約解消の申し出を受けている。

 俺自身、彼女に対して好意的な感情を抱いていなかったから、以前の俺ならばどうでもいいと思っていただろう。

 彼女から婚約を解消したいと言うなら、俺にそれを拒む理由などなかった。


 ……けれど俺は、聞き入れはしたが受け入れもしなかった。

  自分でも、あの時は何故そうしたのかは分からない。

  ただ、あの時――俺が勢いに任せてビンタをしてしまったあの時から、メアリーが変わったように思えたのだ。


 その変化は、婚約解消だけではない。

 以前、廊下で絡まれているフローラのことを助けていたり、朝に一人で謎の歩き方をしていたり……。

 だから彼女の中で、何か変化が生まれているのはたしか。


 しかし、俺にとってメアリーが重荷であったように、きっとメアリーにとっても俺という存在が重荷になっていたのだと思う。

 だからメアリーも、俺から解放されることで変わっている。

 そう考えると、全てに納得がいった。


 ――じゃあ、どうしてなんだ?


 どうして俺は、それを受け入れようとしていないんだ……?


「まぁまぁ、ちょっと待てって。例の件はどうなった?」

「いや、だからその件は無理ですって申し上げましたよね? そもそも、どうして私なんですか」

「それは、俺じゃなくて彼自身が希望したことだからなぁ」


 キースとメアリーの間には、俺の知らない何かがある。

 ずっと婚約相手だったはずの俺ではなく、どうしてキースと……。


 その疑問に突き動かされるように、気が付くと俺は歩き出していた。

 実習先ではなく、キース達のいる方へと――。


「そこで何をしているんだ?」


 そして俺は、湧き上がってくる感情に流されるまま、らしくない行動をとっていた。

 こんなもの、無視すればいいだけのはずなのに――。


「何って、世間話だよ。なぁ?」

「へっ? ええ、まぁ……」

「なんだ? 俺に知られると不味いことなのか?」

「い、いいい、いえ! そんなことはないですわ!」


 さっきまでキースと自然体で話していたメアリー。

 しかし、俺を前にした途端態度を急変させている。

 そのことが、気に食わないと感じている自分がいた。

 あれだけ離れたかった相手だったはずなのに……どうして……。


「まぁまぁ、本当にただの世間話だよ。それよりも、次は実習なんだろ? 時間、大丈夫か?」

「……そうだな」


 キースの言葉に、冷静さを取り戻す。

 それと同時に、自分の立場を思い出す――。


 ――そうだ。俺は婚約の解消を申し込まれた、足枷だったんだ。


 だからもう、考えるのはやめよう。

 今のはただの気の迷いだ。早くこの場を立ち去るとしよう――。


「あ、あのっ!」


 しかし、立ち去ろうとする俺のことを、まさかのメアリーの方から呼び止めてくる。

 その予想外の展開に、俺もつい足を止めてしまう。


「……なんだ?」

「ク、クロード様は、す、すすす……」

「すす?」

「すすす、好きな方、出来ましたかぁ!?」

「……は?」


 ……こいつは一体、何を考えているんだ?

 婚約解消した俺の、新たな恋を心配でもしているというのか……?


 プルプルと震えながら、何故か必死に確認してくるメアリー。

 この状況も、そしてその反応も、全ての意味が分からなかった。


「あ、い、いえ! 申し訳ございませんっ! 今のは忘れてください!」

「……ぷっ」

「ぷ?」

「ぷははは! いや待て、何なんだお前は」


 退屈な俺の人生において、全く予測不能な存在。

 それだけで、俺の興味を引く理由としては十分だった――。

 込み上げてくる笑いを堪え切れず、俺は柄にもなく吹き出してしまう。


「お前は、婚約解消を申し出た相手の次の恋愛を心配しているというのか?」

「い、いえ! そういうわけでは……いえ、そうなりますかね?」

「どっちなのだ」


 こんなに笑うのは、何時ぶりだろうか。

 以前笑ったのも、思い返せばメアリーだった。

 朝から変な歩き方をして、あの時も意味が分からず笑ってしまったことを思い出す。

 本当に、何なのだこの女は……。


「はぁ……よし、決めた」

「き、決めた?」

「ああ、お前との婚約解消は保留だ」

「う、うぇえええ!? ほ、保留ううう?」

「俺は一度も、解消するとは言っていないからな?」


 だからこんな面白い存在、そう安々とは離してやらない。

 もう少し、近くで観察することにしよう。


 相当ショックなのか、分かりやすく青ざめているメアリー。

 だが俺は、残念ながらこの国の第一王子。

 悪いがここは、権力だって使わせてもらう。


「か、考え直してみるとかは……?」

「考え直して、決めたんだが?」

「な、なるほどぉ……」


 プルプルと震えるメアリーが可笑しくて、また笑いが込み上げてくる。

 こうして俺は、婚約相手と本当の意味で向き合ってみることを決めたのであった。


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