どこの世界にも、きっと神様は存在する。
そしてこの世界の神様は、この高飛車で悪役令嬢な私を破滅へと導こうとしている――。
被害妄想といえばそれまで。
しかし、親の顔より見たメアリーの破滅エンドは、私を疑心暗鬼にさせるのに十分だった。
――早く、フローラへ謝罪せねば。
破滅する未来だけは、何としても避けなければならない。
早くこの不安要素から解放されたい、それだけが今の私の唯一の願い。
少し前までは、私の人生の目標はクロード様との結婚だった。
だというのに、我ながら随分と状況が変わってしまったものだなと笑えてくる。
何はともあれ、しっかりとフローラへ謝罪して早く自由になろう。
そんな思いで、私はフローラと接触できる機会を常に伺っているのだけれど、中々その機会が訪れない。
ビンタの時のように、またフローラを呼び出そうかとも考えもしたが、その案はすぐに却下した。
だって、今の私は不本意にもフローラアンチの筆頭格。
フローラを呼び出したことが周囲に伝われば、また私がフローラへお灸を据えるため呼び出したと絶対に勘違いされるに違いない。
それに、もしその勘違いがクロード様にも伝わろうものなら、私の破滅エンドは待ったなし。
だから、私からのアプローチはできない。
あくまで偶然、たまたまバッタリとフローラと出くわす必要があるのだけれど、それが中々に難しい……。
まず、私の周りには常に取り巻きの子達がいる。
そのせいで、学園にいる間は私が一人になれることがまず難しい……。
そのうえ、フローラとはクラスが異なるし、学園で姿を見かけること自体が稀。
となれば、チャンスは授業が終わって帰宅するまでの僅かな時間ぐらいしかない。
どこか、フローラがよく立ち寄る場所など情報があればいいのだけれど、彼女へ興味を持つ人が身近にいないため情報も流れてこない……。
そんな悩みを抱いて、何日経過しただろうか……。
どうしたものかと悩みながら、今日も収穫なしだったことに一人肩を落とし歩いていると、校舎の物陰でしゃがんでいるフローラを発見する。
――なんであんなところに、フローラが!?
そこは、本当に何の変哲もない通路沿い。
何故そんなところでしゃがみ込んでいるのか意味が分からないが、これは絶好のチャンスなのでは!?
幸い、あそこなら目立たないだろうし、幸い周囲に人影もない。
つまりこれは、千載一遇のチャンス!
私は意を決し、フローラへ声をかけることにした。
「……そこで、何をなさっているの?」
いきなり謝罪は不自然だろうし、まずは世間話から。
もし何かお取込み中なら、それはそれで配慮すべきだろうし。
「はい? あっ! メ、メメメ、メアリー様!? 申し訳ございませんっ!!」
振り向いたフローラは、相手が私だと気づくと立ち上がり慌てて謝罪する。
どうやらもう、完全に私はフローラのトラウマになってしまっているようだ……。
「良いの、謝る必要は無くてよ? そこで何をしていたのか、ただ少し気になっただけよ」
「す、すみません! え、えっと、雑草で遊んでいました……」
……え、雑草?
その予想の斜め上をいく回答に、不覚にも私は困惑してしまう。
何か変わった雑草でも生えているのだろうかと思い、フローラが見ていた辺りに目を向けてみる。
しかし私の目には、残念ながらただの雑草が生えているだけにしか見えない。
――これはアレかしら? 前世で言うところの……不思議ちゃん?
もしくは、この世界における平民と貴族の慣習の違いとか? ……いやいや、どんな慣習だよ。
本当に彼女は今、こんな人気のない場所で一人きりで雑草で遊んでいたのだ。
もしこの行動に、何か他の意図があると言われた方がむしろ恐ろしいってもんだ……。
「……え~っと? そこの雑草に、何か変わったものでもあるのかしら?」
「は、はい……これ、ペチペチ草っていうんですけど、このぷっくりとした葉っぱの部分を指で潰すと、ペチペチって音がするんです」
そう言ってフローラは、まるで言い訳するようにそのペチペチ草を手にして実際に潰して見せてくれる。
ペチペチ、ペチペチ。
あ、本当だ。ペチペチ音がする。
プチでもパチでもなく、ペチだ。
無言の中、ペチペチ草の潰れるペチペチとした音だけがこの場に響き渡る。
「小さい頃は、こうしてよく遊んでいたんです。潰している間だけは、無心でいられるといいますか……。久々に見つけたら、何だか懐かしくなってしまいまして……」
「……そう。わたくしにも、一つ取ってくれるかしら?」
「え? は、はい。どうぞ……」
恐る恐る差し出すフローラから、私はそのペチペチ草を受け取る。
そして、試しに指で葉っぱを潰してみる。
ペチペチ、ペチペチ。
……あ、これやばいかも。たしかに癖になるのは分かる。
例えるなら、包装によく使われているあのビニールのプチプチを潰しているような感覚に近い。
私も前世では、病室でただ無心にプチプチを潰していたことがあったから、さっきのフローラの話は正直よく分かる。
こうしている間は、何も考えずに没頭できるんだよね……。
それにこのペチペチとした音には、謎の快感がある。
もしかしてこの雑草は、こうして人間に快感を与えるためだけに生まれてきたのではないだろうかとすら思えてくるほどに。
「あ、あの……」
ペチペチ、ペチペチ。
「メ、メアリー様?」
ペチペチ。ペチペチペチペチ。
「え、えーっと……」
「あら、ごめんなさい」
……しまった、つい夢中になってしまった。
ペチペチ草、恐るべし……。
今度、家の庭にも生えていないかチェックするとしよう。
それはそうと、私は何事もなかったかのように平静を装う。
ペチペチ草なら、別にいつでも楽しめるのだ。
それよりも、今はフローラへ謝罪することの方が先決だった。
つい目的を見失ってしまいそうになったが、こうして自然と会話するキッカケになったペチペチ草には感謝だな。
「わたくし、貴女へ伝えたいことがあったの」
気を取り直して、私は本題を切り出す。
いつ誰が来るかも分からないし、早く用件を済ませてしまわないと。
「伝えたい、ことですか?」
「ええ。……この間、貴女に怖い思いをさせてしまったことを謝らせて欲しいの。あの時は、ごめんなさい」
その言葉とともに、私は滅多に人へ下げることのない頭を下げる。
こんな姿を誰かに見られようものなら、きっと学園中のニュースになってしまうだろう。
謝ることで驚かれるなんて、前世の私からすればあり得ないこと。
けれど今の私は、公爵家の人間で、高飛車で、自他ともに認める悪役令嬢。
だからこの私が、平民へ謝罪するなんて絶対にあり得なかったことなのだ。
ずっとそういう価値観で、私自身今日まで生きてきたのだから。
それに、この謝罪も結局は自分のため。
私はフローラへの罪悪感よりも、自分が平穏無事に過ごしたいから謝っているに過ぎなかった。
――前世の私なら、あり得ない価値観よね。
自分でも、こんな高飛車で独り善がりな考え方が嫌になる……。
「そ、そんな! 謝らないでくださいっ! 悪いのは私ですからっ!」
「でも、貴女は貴族ではないわ。それなのに、貴族の常識を押し付けようとしたのは私」
「知らない私が悪かったんです! たしかにあの時は怖かったけど、メアリー様が私に教えを与えようとしてくれていたことに後から気づいたのです! 私、皆様の常識とかそういうのに疎くて、これまで何度もご迷惑をおかけしてしまっていますから……」
自虐的な笑みを浮かべるフローラ。
その姿に、私の胸はズキリと痛む――。
これまで私は、何度人をあしらってきたか分からないし、その行いに罪悪感を抱いたこともなかった。
けれど、今こうして落ち込むフローラを前にすると、胸に痛みを覚える自分がいた。
――そうよね、貴女も苦しかったわよね。
こう思えるのは、きっと私が前世の記憶を思い出したからなのだろう。
私自身、前世では学校生活に上手く馴染むことができなかったから、今のフローラの気持ちは痛いほど分かってしまうのだ……。
「……そう。ならわたくしで良ければ、この学園で過ごすための知恵を教えて差し上げてよ?」
「え……?」
「貴女は知らないでしょうが、貴女が何か粗相を起こす度に、わたくしへ報告が上がってきてウンザリしているのよ。だからこれは、わたくしのため。貴女は一日も早く、この学園で過ごすための常識を学びなさい」
本当は、謝罪だけ済ませたら距離を置くつもりだった。
けれど、このまま放置したらきっと、フローラはこの学園に馴染むことができないだろう。
だから私は、このままフローラを見過ごすことができなかった。
ゲームの中では、フローラは常にクロード様やほかの攻略対象のキャラ達に囲まれながら幸せそうにしていた。
そして最終的には、その中の誰かとお付き合いしてハッピーエンド。
ゲームとしては、それで良かったしそれが全てだった。
けれど、実際はどうだろうか?
現実は、恋愛だけではないのだ――。
ゲーム越しに見たこの世界は、攻略キャラとのやり取りばかりだった。
でもそれ以外の時、フローラはどんな気持ちでこの学園へ通っていたのだろうか?
ゲームで遊んでいた頃の私は、そんなこと考えもしなかった。
ただキラキラとした恋愛ゲームの世界を、私は楽しんでいただけだった……。
「……私、大きな誤解をしておりました」
「誤解?」
「はい。メアリー様って、本当はとてもお優しい方なんだと分かったので」
きっと、これまでずっと色んな感情を溜め込んできたのだろう。
目じりに涙を溜め込みながら、安心するように微笑むフローラ。
その姿を前に、私はまた心を痛めるとともに、思わず見惚れてしまう。
――たしかに、こんな顔されたら放ってはおけないわね。
私では太刀打ちできるはずもない、この世界における絶対的ヒロイン。
クロード様や他の攻略キャラが、こんな彼女へ惹かれてしまうのも仕方ない。
こうして私は、無事にこの世界のヒロインと和解するとともに、ついでに彼女の教育係を引き受けることとなったのであった。