「……行こうか」
頭を下げ続ける私に向かって、クロード様はそう言葉を残してフローラを連れていく。
――ふぅ、なんとかやり過ごせましたわね。
これで何とか、ゲームと同じ展開は回避できた。
前世で読んだ異世界転生モノの小説では、こうして未来を塗り替えていくことで幸せになる物語が主流だったけれど、いざ当事者になってみると全然安心はできない……。
だって破滅するのは、物語上の他人ではなく私自身。
例えば自分にストーカーがいて、警察から「もうこないように釘をさしておいたので大丈夫ですよ」とか言われても、全然不安は拭えないでしょう?
そういうことです。なんか少し違う気もするけど……。
「メアリー様! 大丈夫ですか!?」
クロード様が見えなくなるのを確認してから、取り巻きの子達がこちらへ駆け寄ってくる。
みな私のことを心配してくれるのは有難いけれど、クロード様の前ではこの場を何とか逃れようとしていたことに私は気づいていますけどね。
「ええ、大丈夫」
「でもどうして、婚約相手であるメアリー様より、あんな女の方を守ったのかしら?」
「そうですよ! 納得いきませんわよね!」
私の代わりに、怒ってくれる取り巻きの子達。
私と同じ、貴族至上主義の思想が強い皆さんです。
私が平民に出し抜かれたことが、個人的にも貴族的にも気に食わないのでしょう。
「いいの、クロード様が出てきては仕方がありませんわ。後ほどクロード様とはちゃんと話し合うから、心配なさらないで」
だから私は、一旦この場を丸く収める。
これは私とクロード様の問題だし、それに私の中ではもう結論が出ているから。
今の私の中には、二つの記憶が存在している。
今日までメアリーとして育った記憶と、前世の黒瀬小百合だった頃の記憶。
高貴な貴族である私と、日本の一般的な家庭で育った私。
なんでも思い通りになる今の私と、何をするにも不自由だらけだった私。
そして、何よりも階級社会を尊ぶ今の私と、そんなもので人を推し測ってはいけないと思う前世の私――。
その真逆とも言える二つの記憶と価値観が、私の中では混在している。
私自身、まだ今の自分とどう向き合ったら良いのかよく分かっていない。
けれど、これだけははっきりしている。
前世の記憶が蘇ったことだけは、周囲に悟られてはならないと。
だってこの世界では、私は公爵家の人間なのですもの。
ここで前世の価値観を押し出し、平民側の肩を持ったところで意味がないのだ。
この貴族至上主義の根付いた世界では、前世の一般的な日本人の感覚で貴族として生きていくのは恐らく不可能。
それに私自身、メアリーとしてこれまで培ってきた考えや価値観だって本物なのだ。
だから間違っていると思う自分よりも、私はメアリー・スヴァルトだという感覚の方が強い。
この世界では、貴族に逆らえばそれ相応の扱いが待っている。
たとえ私一人がそうじゃなくなったとしても、世界は何も変わらないのだ。
であれば、私が甘い顔をしたせいで相手に要らぬ勘違いをさせるだけ。
――現実って、色々考えないといけないし、決して簡単ではないんだなぁ。
ここはマジラブの世界だけれど、現実に落とし込むと色々と複雑だ。
まぁ今日のところは真っすぐ帰って、しっかりとこれからの方針を立てるとしよう。
取り急ぎ、まずはクロード様にお時間をいただいて婚約解消を申し出ないと……。
そして許されるなら、前世の『推し』とも――。
そんなこれからのことを考えつつ、まだ少し痛む頬をさすりながら今日は帰宅するのであった。
◇
次の日、私は早速クロード様を呼び出した。
昨日よりも人気のない場所で、今回は二人きり。
そして私は、これからクロード様へ婚約解消を申し出る。
まだお父様にも告げていないけれど、まずは当事者同士の感情が大切だと思うから。
本来であれば、公爵家に生まれた私は王家に嫁ぐのが正解なのでしょう。
しかしそれは、もうこの世界では叶わぬこと。
ここはマジラブの世界で、私がクロード様と近づけば必ず破滅する未来が待っているのだから――。
要するにこの世界は、既に確定した結論ありき。
だから私には、もはや選択の自由すら存在しない。
「……話とは、何だ?」
私からの急な呼び出しに、困惑の色を隠せていない様子のクロード様。
それは、私に対する苦手意識なのか、昨日の一件があったからなのか……きっと、その両方なのでしょうね。
前世の記憶を取り戻した今の私は、自分のことを客観視できるようになった。
だから今では、残念ながらよく分かってしまうのだ。
クロード様は、もとより私になんて興味がなかったのだと――。
だから私も、気楽に伝えることができる。
「わざわざお越しいただき、ありがとうございます。そして改めまして、昨日はすみませんでした」
「謝る相手が違うだろう」
「それもそうですわね。また改めて、フローラさんへの謝罪はいたしますわ」
「……そうしてくれ。それで? 話はそれだけではないのだろう?」
「ええ、今日はクロード様に一つ伝えたいことがあるのです」
「伝えたいこと?」
「はい。では、単刀直入にお伝えしますね」
次の言葉で、私はこれまでずっと抱き続けてきた人生の目標を失うことになる。
けれど不思議と、後悔はなかった。
前世の記憶が蘇ったから? ……いいえ、きっと違いますね。
元の私――メアリー・スヴァルト自身も、これで良かったと思っているからだ。
私はずっと、貴族としての自分の在り方だけを考えて生きてきた。
でもそれは、全て自分の話だった。
そこにクロード様の気持ちなどは、一切含まれていなかったのです――。
今更かもしれないけれど、そのことに気づけて本当に良かったと思う。
独り善がりなまま、嫌な大人にならずに済んだのだから。
――だからもう、こんな私に縛られることなく、ご自身の意思で自由にお相手を選んでくださいね。
とは言っても、クロード様はこの国の第一王子様。
そんな簡単なお話でもないのでしょうけれど。
色々難しいなと思いつつ、私は心からの笑みとともにクロード様へ最後の言葉を伝える。
「――クロード様。わたくしとの婚約関係を、解消してください」
ついに告げてしまった、解消の言葉。
もう後には引けないし、これから家のことなどを考えると正直お腹が痛くなってくる……。
それでも、不思議とこれで良いのだという満足感の方が大きかった。
「話はそれだけか?」
「え、ええ。そうです、けど……?」
しかし、クロード様の反応はまったく予想外のものだった。
――それだけかって、結構重要なお話をしたと思うのですが……?
……いや、引く手数多のクロード様からすれば、私との婚約なんてその程度のものだったのだろう。
重く考えていたのは私だけで、考えてみればこんなものクロード様の機嫌一つでどうとでもなる話。
そう考えると、これまで意識し続けてきた自分が少し馬鹿らしくも思えてくる。
「……そうか、お前の気持ちは分かった」
興味なさげに、そう言葉を残して立ち去るクロード様。
その少し歯切れの悪い反応はちょっとだけ気になるけれど、これで私も晴れて自由の身。
今なら私の横、空いてますよー! と叫んで回りたい気持ちが湧きあがってくるけれど、こんな高飛車な悪役令嬢を欲する物好きなんて早々いないでしょうね……。
とにもかくにも、これでひと段落。
私、メアリー・スヴァルトは、乙女ゲーム『マジラブ』の舞台から引き下がることに無事成功したのだ。
――意外とすんなり終わったし、少し気持ちにも余裕が出てきたかも。
前世の記憶が蘇ったから、今の私……いいえ、これからの私がある。
だからこそ、次はゲームでは決してできなかったことを目標にでもしてみましょう。
そう、まずはマジラブの中の私の推しキャラ――。
トーマス・ワーグナーくんと、お近づきになるのですっ!