大人気乙女ゲーム「Magic Love」。通称マジラブ。
中世ヨーロッパ風の異世界を舞台にした、言ってしまえばよくある乙女ゲームだ。
ヒロインのフローラを中心に、三人の攻略キャラとの恋愛を成熟させよう!
そんなキャッチフレーズでリリースされた、ゲームとしては何の変哲もない乙女ゲーム。
しかし、登場キャラのビジュアル、そして何よりシナリオがとにかく良いと高評価を受けており、コアなファンの多い人気タイトルとなった。
私、黒瀬小百合もそんなマジラブをやり込んだプレーヤーの一人。
生まれた時から病弱で、いつも家や病院で過ごすことの多かった私にとって、このマジラブだけが救いだった。
普通の女の子として、普通の恋愛ができない私でも、このゲームを通じて恋愛というものを知ることができたから。
もしかしたら、本当の恋愛とは全然違うのかもしれないし、そもそもこれは現実ではなくゲーム。
それでも私にとっては、このマジラブの世界こそがすべてだった。
何度もプレーして全てのキャラを攻略し、それからも好きなシーンを繰り返し攻略し続けた。
メインキャラのクロードや、他の二人の攻略キャラもそれぞれ魅力があり、この三人のうち誰か一人を選ぶなんて私にはできなかった。
けれど、何度も何度もやり込んでいるうちに、私はとあるキャラクターに対して特別な感情を抱くようになった――。
それは、攻略キャラの一人のシナリオに少しだけ登場する、所謂モブキャラクター。
クラスメイトからいじめを受けているところを、一人の攻略キャラに助けてもらい、そのことがキッカケで強くなることを誓う小柄な男の子。
ゲームでは少ししか出てこないのだけれど、その子の容姿や頑張る姿がとにかく愛おしくて、気付けば私にとってマジラブで一番の推しキャラクターになっていた。
――そして今、私も同じマジラブに出てくるサブキャラクターなんだよね。
クロード様からのビンタで、蘇った前世の記憶――。
ここはマジラブの世界そのもので、今の私はヒロインのフローラの邪魔をする悪役令嬢メアリー。
そう、私はこのマジラブの世界において、まさかの悪役令嬢へと転生してしまっていたのである――。
メアリーだけは、マジラブの世界の中で唯一苦手な存在だった。
メアリーを見たくないから、クロードの攻略だけはあまりやらなかった程に……。
でも、メアリーからしてみればクロードが婚約相手であり、フローラこそが邪魔者。
立場が変われば見え方がまるで異なることに、メアリー本人になって初めて気が付くなんてね。
そして私は、これから待つ自分の運命を思い出し絶望する。
マジラブでクロードルートを選択した場合、メアリーに待っている運命。
それは、婚約解消からの断罪――。
ざっくりとした話だが、そもそもモブキャラクターのメアリーに関する情報なんてこのぐらいしかなかったのだ。
でもゲームをプレーしていた頃の私は、それで十分だった。
ヒロインのフローラに対して嫌がらせをする悪役令嬢メアリーが、婚約破棄からの断罪されてざまぁ! ぐらいにしか思っていなかった。
まさか自分が、そのメアリーになってしまうなんて思うはずもなく……。
振り返りはそんなところにして、そろそろ現実に戻りましょう……。
私は今、クロード様からビンタをされたところ。
これはゲームだと、クロードルートを選択して丁度中盤に差し掛かったところで発生するシーンだ。
つまりは、このままだと私はクロード様から婚約破棄を言い渡され、その後何かしらの出来事で断罪される未来が待っている……。
よくある異世界転生モノの小説でも、こうして悪役令嬢に転生する物語を読んだことがある。
けれど、悪役令嬢に転生するにしても、記憶にある限りは幼少期に記憶を取り戻す作品が多かったはず……。
だというのに、私の場合は物語も中盤に差し掛かったところで、ようやく前世の記憶を取り戻してしまったのである……。
――もっと子供の頃に、盛大にズッコケでもしておけば良かったのかしら!?
そう思ったところで、時すでに遅し――。
時を戻す魔法なんて存在しないし、私は今クロード様にビンタをされたのだ。
しかし、なんで私はマジラブの世界に……?
そもそも実際に転生するなんて、意味が分からないし困惑は拭えない。
それでも、もしこの世界が本当にマジラブの中の世界だとするならば、これからの私の人生に待っているのは確実な破滅。
だから私は、覚悟を決めてゆっくりと目を開ける。
見上げれば、そこには変わらず私のことを見下すクロード様の姿。
どうやら気絶はしていなかったようで、今はビンタされた直後のようだ。
――さて、まずはこの絶望的な場面をどうしようかしら……。
ゲームでは、このままメアリーはヒステリックを起こしながら退場するところ。
前世の記憶を取り戻しても、この世界の私はメアリー。
婚約相手であるはずのクロード様が、私ではなくただの平民の方を庇い、私の方をビンタした現実がただただ悔しくて胸が苦しい――。
このまま感情に任せて、逃げ出したくなる気持ちも凄く分かる。
もしここで前世の記憶が蘇っていなければ、絶対に私はゲームのメアリーと同じように感情に任せて逃げ出していたと思う。
……でも私は、知っているんだ。
何故クロード様が、私に対して怒っているのかを。
そして、この世界のヒロインは私ではなく、クロード様の後ろで今も困惑しているフローラであることを――。
だから私は、ここから逃げ出したりしない。
湧き上がる感情を押し殺し、今はメアリーではなく前世の私として自分と向き合いながら。
「……ごめんなさい」
立ち上がった私は、一言謝罪する。
メアリーとして生まれ、これまで数えるほどしか口にしたことのない謝罪の言葉。
そんな私に対して、クロード様の表情に少しだけ困惑の色が浮かび上がる。
しかし、こんな謝罪程度では全然足りないだろう。
私はクロード様と改めて向き合い、それから深々と頭を下げる。
「さきほどのいちげk……いえ、お叱りで目が覚めましたわ。わたくしが間違っておりました。申し訳ございません」
「……そうか。分かればいい」
「はい……」
クロード様へ反省の意を示すべく、私は頭を深く下げたままここから動かない。
ここでクロード様からの許しを得ない限り、私に待っているのは確実な破滅なのだ。
だからこそ、まずはここで許しを得て、それから私がすべきこと。
それは、クロード様との婚約解消――。
だって、この世界のヒロインはフローラなのだから。
勝ち目のない恋愛バトルなんて、さっさと降りてしまうのがいい。
私は頭を下げながら、そう決心するのであった――。