この国では珍しい、艶やかな黒髪のロングヘアー。
白く健康的な肌は一切の穢れを知らず、彼女が何者か知らずとも周囲の目を自然と惹きつけてしまうことだろう。
彼女の名前は、メアリー・スヴァルト。
ここバーワルド王国における公爵家が一つ、スヴァルト公爵家のご令嬢だ。
公爵家に生まれ育った彼女は、幼少期より貴族としての知識、誇り、そして在り方についてしっかりと教えられてきた。
その結果、彼女は常に厳格で、時に人に対して厳しく接することも少なくなかった。
一部の人達からは、高飛車な女だと裏で囁かれてしまうほどに……。
しかしメアリーは、貴族として当たり前の振る舞いをしているだけ。
だから相手が同じ貴族であろうと、常に厳しい目を持って接しているだけなのだ。
それこそが、公爵家に生まれた者の役目だからと。
貴族とは、その高い権力とともに大きな責任を担う特別な存在。
だからこそ、どんな相手にも一切の隙を見せることなく、常に毅然と振る舞っていなければならないのだ。
故にメアリーは、常に人々から尊敬と畏怖の念を向けられてきた。
特徴的な黒髪に、少し赤みを帯びた黒の瞳は珍しく、そんな特徴的な容姿もまたメアリーが特別な存在である印象を強めていた。
同じ貴族ですら、会話をするだけでも畏れ多いと避けてしまうほどに。
そんなメアリーも、今年で十六歳となり、多くの貴族が通う魔法学園へと入学することとなった。
この国において、魔法の才と知識は身分の次に重要なこと。
魔法は人々の生活をより豊かにし、有事の際には国のため戦うためにも必要なスキル。
故にこの魔法学園には、貴族以外にも魔法の才が認められた平民も通うことが許されており、学内では生徒を身分で判断せず、ここで学ぶ者すべてが平等であるというルールが存在している。
しかし実態は、そんなルールなどあくまで建前。
平民が貴族相手に気楽な物言いなどできるはずもなく、身分差による格差が暗黙的に存在している。
もちろん、メアリーもそんな学園のルールになど従うつもりはなかった。
上級貴族は上級貴族として、他の平民や貴族の模範であるよう常に毅然と振る舞うこと。
それこそが、メアリーにとって真の平等なのである。
そのせいで、周囲から高飛車だと思われようとも関係ない。
貴族としての在り方を重んじることこそが、何よりも重要なことなのだと。
そんなメアリーだが、実は幼少期から婚約者が存在する。
お相手は、ここバーワルド王国の第一王子であるクロード・バーワルドだ。
婚約の理由は、よくある親同士の決めた政略的婚約。
表向きには、幼少の頃から美しいメアリーこそが、クロードに相応しいとされてはいるが……。
もちろんメアリーは、この婚約が政略的なものであることは理解しているし、そのうえで拒むつもりもなかった。
家のため、そして貴族としての誇りのため、メアリーは決められた運命を受け入れているから。
だからこそ、王家へ嫁ぐのに相応しい人物であれるよう自己研鑽を続けてきた。
そして、この魔法学園を卒業すれば、メアリーには晴れてクロードとの結婚が待っている。
未だ恋愛というものがよく分からないメアリーにとって、クロードと結婚することが人生における一つの大きな目標。
この学園ならば、以前よりクロードと顔を合わせる機会も格段と増えるだろうし、すべきことが沢山ある。
……しかし、物事はそう簡単には進まない。
魔法学園へ入学して暫く経った頃。
これまで順調だと思われたメアリーの人生に、一つの大きな変化が生まれるのであった――。
◇
「それではメアリー様、行ってらっしゃいませ」
「ええ、行ってくるわ」
送迎の馬車を降り、今日も魔法学園の校門をくぐる。
この魔法学園に入学して暫く経った今、新しい生活にも少しずつ慣れてきた。
毎朝早くに起床しなければならないというのは、いつまで経ってもなれることはなさそうだけれど……。
人にバレないよう、小さく欠伸をかみ殺す私の前を歩いているのは、特徴的なピンク色の癖毛を揺らす一人の少女。
彼女の名前は、フローラ・ヘイリー。
今年から共に魔法学園で学ぶ、平民の出の女の子だ。
小柄で控え目な性格をしており、言ってしまえば平民らしい存在。
しかし、どうやら魔法の才には恵まれているらしく、国の将来を期待され特待生として通っているのだそうだ。
ここ魔法学園に通う生徒の割合は、貴族八割に対して平民は二割程度。
平民とは言っても、そのほとんどは家柄も良く、貴族に対する振る舞いもみな心得ている。
しかし、一般的な平民の過程に生まれたフローラは、貴族社会の振る舞いについての知識もなく、ここでは完全な世間知らず。
故に彼女は、入学してから何度も他の貴族から注意を受けているのだという。
そのせいもあり、フローラは悪い意味で貴族以上に学園でも目立つ存在として知られているのであった。
それはメアリーとしても、少し気に食わない話だった。
ただの平民が、貴族に対して無礼を働くなどあってはならないからだ。
わざわざ自分が出向くまでもないが、貴族に対する正しい振る舞いについては誰かがしっかりと教え込む必要があるだろう。
つい先日までは、その程度だった――。
しかし、ある日私は目撃してしまったのだ。
婚約相手であるクロード様が、フローラと何やら楽し気に会話をしているところを――。
あの日以来、フローラは私にとって明確な邪魔者となった。
王族と貴族、そして平民。
それは、もはや比べるまでもなく、決して超えられない垣根。
しかし、貴族における面子は大切。
自分の婚約者が、他の女性と親しくしているところを誰かに目撃され、要らぬ噂を立てられるなど絶対にあってはならないこと。
しかもその相手が、平民とあっては論外だ。
それは私以上に、私を慕う取り巻きの子達が絶対に許さなかった。
誰もが憧れる、この国の王子様。
そのお相手には、メアリー様こそが相応しいのだと。
だからこそ、取り巻きの子達の怒りが爆発するのに、時間は要さないのであった――。
◇
「それで? 貴女、どういうおつもり?」
一日の授業が終わり、校舎脇の人気の少ない場所。
私は今、目の前で震えるフローラを問いただしている。
周囲には取り巻きの子達が、フローラを取り囲むように一緒に睨みを利かせている。
何故こんなことになっているのかと言えば、それは昼食中に一人の子の提案から始まったこと。
最近の話題の多くが、フローラに対する不満だった。
そんな日々が続いたところで、ついに一人がフローラを呼び出すと言い出したのだ。
それはもちろん、私のため。
そして私も、フローラのことが気に食わない。
だからこれもいい機会だと、少々面倒ではあるけれどこうして直接私が教えて差し上げることにしたのだ。
何も知らず、親切なクロード様と談笑していただけ。
フローラからすれば、きっとその程度のことなのだろう。
けれど、相手はこの国の第一王子であり、公爵令嬢であるこの私の婚約相手。
そんな二人の間に、ただの平民が踏み込んでしまうなど言語道断。
たとえ無知でも許されないことがあるのだと、今ここでしっかりと教え込まなければならない。
これはある意味、彼女がこれからこの学園で生活するうえでも必要な知識なのだ。
だからここで、私が厳しく貴族社会のルールを教え込む。
目の前で怯えて震えているフローラが、もうこれ以上怯えなくても済むように――。
「――わたくしが聞いているのです、早くお答えなさい」
「わ、わた、しは……」
目じりに涙を溜めながら、必死に声を絞り出そうとするフローラ。
今彼女の目に、私はどう映っているのだろう――。
でも今は、そんなことどうでもいい。
ただ一言、クロード様には今後近づかないとここで誓うだけで、彼女は解放されるのだから。
そんな簡単なことすら分からないフローラに対して、呆れてため息が漏れてしまう。
「……答えられないのね。なら、代わりにわたしから告げましょう。貴女は――」
「そこで何をやっている?」
フローラが答えられないから、仕方なく私から告げてやろうとしたその時だった。
少し離れた場所から、こちらへ向かって声がかけられる。
聞きなれたその声に振り向くと、そこにいたのはやはりクロード様だった。
こちらへ歩み寄ってきたクロード様は、そのままフローラを庇うように私の前に立ちはばかる。
――どうして、フローラの方を庇うの?
納得がいかなかった。
婚約者である私ではなく、ただの平民の方を庇っていることが。
周囲の取り巻きの子達は、突然現れたクロード様の姿に怯えて目を泳がせている。
しかし、メアリーにとっては婚約者であり、昔からよく知った顔。
苛立つ気持ちを抱きつつも、変わらず毅然とした態度でクロード様と向き合う。
「お前達、これはどういうことだ?」
「嫌ですわクロード様。わたくしはただ、貴族の常識を知らない彼女を注意しようとしただけですわ」
「この学園では、貴族も平民もみな平等なはずだが?」
「それでも、学園から一歩外に出れば貴族と平民ですわ。ここで貴族に嫌われては、彼女にとっても今後の不利益が大きいのではなくて?」
「ならば、この学園で身分を持ち出す貴族の振る舞いこそが、そもそもの問題なのではないか?」
一歩も引かないクロード様が、珍しく怒りの籠った目つきでこちらを睨みつけてくる。
しかし、ここまできた以上私だって引くわけにはいかない。
「ルールで人の感情は縛れませんわ」
「ならば、何も分からない彼女をここで泣かせてもいいと?」
「逆ですわ。今後泣かないで済むように、わたくしがここでしっかりと教え込むのですわ」
「……なるほど、それが君の答えということか」
「ええ、そうですわ」
嘘は言っていない。
ここでしっかりと互いの立場の違いを分からせることが、今後の彼女のためでもあるのだ。
多くの貴族から目をつけられた状態で、卒業までこの学園へ無事に通えるはずがない。
だからこそ、ここは私が代表して彼女をちゃんと分からせてあげることこそが、むしろ親切というものだ。
そもそもこれは、クロード様にとっても他人事ではないはず。
お互い婚約者である以上、今後は周囲に要らぬ誤解をされるような振る舞いは控えていただきたい。
するとクロード様は、ゆっくりと私の目の前に立った。
そして――、
バチンッ
破裂するような乾いた音が、周囲に木霊する。
クロード様の振り上げた右手が、そのまま私の頬を鋭く叩いたのだ――。
「ならば先に、僕が君に教え込む必要があるな」
その場に崩れる私を見下すように、クロード様から向けられる冷酷な一言――。
――ああ、痛い。
頬に伝わる、生まれてこれまで感じたことのない痛み。
ぶたれた衝撃で視界は徐々に黒く閉ざされていき、自分の意識が薄れていくのが分かる――。
微かに見える視界には、地面に倒れる私を見下すように立つクロード様の姿。
クロード様とは長いお付き合いになるけれど、こんな表情を向けられるのは初めてだった……。
――よくも……。
――よくも、叩きましたわねっ! お父様にもぶたれたことないのにぃっ!
突如、脳裏に自然と浮かんでくる恨みの言葉。
それは、普段のメアリーでは絶対にありえない言葉遣いだけれど、どこか遠い過去に聞いたことがあるような気がする……。
そう、あれはたしかテレビで――。
――テレビ?
……テレビって、何ですの?
全く聞き覚えのない言葉なのに、聞き覚えがあるような……。
そして脳裏には、この世界ではないどこかの光景が自然と思い出される。
――そうですわ、これはわたくしがいた世界。
これは私が、メアリーになるより前の記憶。
前世の私――黒瀬小百合(くろせさゆり)だった頃の記憶だ!
次第に湧き上がってくる前世の記憶。
この世界とはまるで異なる、高度な文明が発達した日本での生活。
……そして私は、ある重大なことに気づいてしまう。
この世界は、前世でやり込んでいた乙女ゲーム『Magic Love(マジックラブ)』、通称『マジラブ』の中の世界であるということに――。