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第9話 声

彼の声が好きだった。


透明感があって、胸の奥が温かくなるような、そんな綺麗な声。

だから、彼からプロポーズされたときは、嬉しかった。

私には断る理由はなかった


「コーヒー、淹れてくれ」

「うん、わかった。……あれ? ねえ、コーヒーカップ、どこ? ここに置いてって言ったよね?」

「……あ? あー、はいはい。コーヒーカップ、ここ」

「ねえ、お願い。こういうことは守ってって……」

「うるせーな! わかったって! 本当、お前、めんどくせえよ!」

「……だって。仕方ないじゃない」

「もういいよ! 自分で淹れるから!」


結婚してから数年後。

私たちの仲はすれ違いばかりで、冷え切ってしまった。


彼の声も、今では怖いと感じるようになった。

また怒鳴られるのだろうか。

そう考えると、口ごたえをしない方がいいのかなって思うけど……。

でも、私が生活できなくなるので、それはできない。


私はいつしか、彼が帰ってくるのが怖いと感じるようになった。


そんなある日のこと。

彼が風邪を引いた。

喉を痛めて、しゃべるのも辛そうだ。


「……もう、寝る」

「熱はあるの? 測ってみて」

「……」

「どう?」

「38度」

「凄く高いじゃない。……ねえ、食欲ある? おかゆ、作ろうか?」

「いいよ。危ないし」

「何言ってるの。いつも料理してるじゃない」


彼はしばらく寝込んだ。

病院には頑なに行こうとしなかったから、家で安静にしてても治るのに1週間かかった。


――そして。


「あーあー……」

「声……治らないね」

「……ごめん」

「なんで、あなたが謝るのよ」


確かに、彼の声が好きだった。

その声が変わってしまったことは、ちょっとだけ寂しい。


でも……。


「はい、コーヒー」

「ありがとう」

「うふふ」

「なに?」

「コーヒーカップ、言ったところにしまってくれたのね。ありがとう」

「え? 普通のことじゃないの?」


風邪になってから、彼は変わった。

ウィルスと一緒に、毒が消えたみたい。


口数が減って、声は低く枯れたような感じになっちゃったけど、私は今の彼の声の方が好き。


今は、彼の声だけじゃなくて、彼自身が好きって胸を張って言える。


ふふっ。今はとっても幸せよ。


終わり。











■解説

語り部は盲目の女性。


コーヒーカップの場所にこだわっているのも、見えないから、定位置にないと探すのが大変だから。

そして、風邪を引く前と風邪を引いた後の男は『別人』。


目が見えないので、入れ替わっていることに気付かなかった。

熱を測ったときに、語り部の女性は自分で見ないで、相手に聞いたところや、「おかゆを作る」と言ったときに、男が「危ない」と言ったのも、語り部が盲目であることから。

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