クロードを討ち取ってからは、イデア教はあっけなく倒れていった。良くも悪くも、クロードが中心の組織だったのだろうな。
それから、王都に凱旋した俺達は、民衆に諸手を上げて迎え入れられた。
「ローレンツ様、万歳! デルフィ王国、万歳!」
そんな言葉が聞こえてきて、確かな達成感を覚えたものだ。民衆に手を振りながら、何度も頷いたくらいには。
俺がこれまで活動してきた成果は、確かに出ている。それを実感できた。
そして、王宮へと帰り着いた俺は、ユフィアと会議をしていた。今回の戦いを、完全に終わらせるために。
何をするのかと言えば、論功行賞の準備だ。誰にどんな褒美を与えるのかを、しっかりと決める。それが、俺達の未来を決める。そう確信していた。
ユフィアを前にして、笑顔の仮面を被りながらも、心が弾むのを感じていた。帰ってきたと実感できたからなのか、大きな課題を乗り越えられたからなのか、あるいはユフィアと会えたからなのか。自分では分からなかった。
顔が見られて嬉しいのだとすると、注意が必要だよな。ユフィアは、俺のことを単なる道具としてしか見ていない。それは間違いないはずなのだから。
きっと、平然と裏切られる未来が待っている。だからこそ、気を引き締めなければならない。そう考えて、深呼吸していた。
落ち着いた笑顔のユフィアは、どこか楽しそうな声で話し始める。
「さて、ローレンツさん。こちらでも、あなたの勇姿は伝えておきましたよ。民衆の評価も、上がっていますね。そこでなんですけど、提案があります」
笑顔を崩さないまま、じっと見つめられる。そのきれいな瞳に吸い込まれそうな心地を覚えていると、笑みを深めたユフィアは、こちらの頬に手を添えてきた。
柔らかさと暖かさを感じながら、俺は平常心を意識して聞いていく。
「ねえ、ローレンツさん。王を目指してみませんか? その先で、私を手に入れてみてはどうです? 王冠として、ね?」
吐息を感じるほど近くで、そう告げられる。甘い香りが漂ってきて、どこか頭がボーっとするような感覚があった。
王の座を目指すのは、とても大切なことだ。王か王家の人間かで、できることの幅は大きく変わる。
だが、ユフィアを手に入れるとはどういう意味だ。まさか、素直に俺に従う女でもあるまいに。返答に悩んでいると、ユフィアは俺の胸に耳を当てだした。そのまま、嬉しそうな声で話を続ける。
「ねえ、想像してみてくださいよ。ローレンツさんと私の子どもは、とても可愛いでしょうね。よく言うことを聞いてくれると思いますよ。あなたそっくりだと思います」
俺と結ばれることを、想像しているのだろうか。ユフィアは、俺と結婚する意思を持っているのだろうか。否定しようとして、とある言葉を思い出してしまう。
愛しています。ユフィアは以前、そう言った。それは本当だったのだろうか。思わず、ユフィアの顔をじっと見てしまう。するとユフィアは、頬を染めながら、恥ずかしそうに目を逸らしていた。
「ねえ、ローレンツさん。あなたと触れ合って、こんなにドキドキしているんですよ。確かめてみますか?」
そんな言葉を、俺の手に手を重ねながら語る。潤んだ瞳で、俺を見つめながら。思わず、つばを飲み込んでしまった。
「どうやって確かめるんだよ……。まさか、直接触れとでも言うのか?」
「ローレンツさんは、触りたいと思いますか? あなたにとって、私は魅力的ですか?」
上目遣いで、こちらの胸に手を触れながら言う。それに対して、俺はどう思ったのだろうか。気がつくと、ユフィアに手を抑えられていた。そこを見ると、ユフィアに向けて手を伸ばした形跡があった。
ユフィアははにかみながら、優しい声で言葉を続ける。
「待て、ですよ。ねえ、ローレンツさん。今のあなたには、まだ早いです。でも、私の期待に答えてくれたなら、ね?」
そうすれば、ユフィアに触れられるのだろうか。ユフィアが手に入るのだろうか。そんな考えを、俺は止めることができなかった。
おそらくは、何かを企んでいる。そのはずなのに、どんな策なのかも思いつかない。それどころか、ユフィアと子どもを育てている自分すら想像してしまっている俺が居た。
首を振って考えを振り払おうとすると、そっと耳に手を添えられる。そして、頬に触れそうなくらいに、彼女の唇が近づいた。そのまま軽く息を吹きかけられ、ユフィアの口は耳元へと動く。そして、ささやくように語りかけてきた。
「ね、もうすぐ触れそうだったでしょう? これくらいなら、きっとすぐですよ。ね、ローレンツさん」
頬にキスをしても良いと思うくらいに、好かれているのだろうか。あるいは、本当に愛されているのだろうか。そんな考えが浮かび上がってきてしまう。
もうすぐというのは、論功行賞が終わればという意味なのだろうか。ユフィアの言うことを聞けばという意味なのだろうか。
そこまで考えて、ようやく自分が何を考えているのかに気づいた。完全に、ユフィアの手のひらで遊ばれていた。それを理解できてしまう。ユフィアと結ばれるために、ユフィアの人形になる。そんな未来が目の前にあったことを理解できてしまった。
一度膝を全力で殴り、ユフィアに向き合う。そして、ハッキリと告げた。
「ユフィア。論功行賞の話じゃなかったのか? それを詰めよう」
「残念です。後ちょっとだったんですけどね。でも、ローレンツさん。私は、あなたが大好きなんですよ?」
いたずらっぽく笑いながら、そう告げられる。大好きというのは、道具としてだろうか。あるいは、本当に男としてなのだろうか。
そんな事を考える時点で、俺は感情を振り払うことができていない。何度も首を横に振って、気を取り直す。そして、話を続けていく。
「約束通り、ミリアには大公位を与える。そして、スコラはベンニーア家当主として任じる。他に、何かあるか?」
「私なら、バーバラさん、義勇軍のルイズさん、ベンニーア家配下のサレンさんを特に優遇しますね。他は、程々でいいと思います」
その言葉は、俺も同感だった。活躍という面で見れば、その三人を優先するのは当然だ。ユフィアに近い思考ができているという事実に、確かな喜びを感じた。つい、ガッツポーズをしてしまったくらいだ。
「俺も同じ意見だ。なら、具体的な話を決めようか」
「といっても、領地か金銭、あるいは役職でしょうね。ローレンツさんは、どう思いますか?」
「俺としては、役職につけたい。王都に信用できる味方がいれば、ありがたいからな」
「なるほど、そうですか……。それなら、宮中伯を与えるのはどうでしょう。ちょうど、三席が空位ですよ」
なるほど。あまり上下差をつけるほどの活躍の差はない。そうなると、ちょうど良いところが空いていたな。高位でありながら、俺達のちょうど下と言っていい。関わりを持つのに、ピッタリの役職だろう。
やはり、ユフィアは優秀だ。だからこそ、ずっと味方で居てほしいものだ。疑わずに済むのなら、どれほど良いことか。ユフィアに視線を向けると、笑顔で返される。そのまま、俺は返事を返した。
「助かるよ。なら、その方向性でいこう。後の細かい部分は、お前に任せて良いか?」
あまり細かいことは、俺には分からないからな。そこは、専門家に任せた方が良いだろう。そう告げると、笑顔で頷かれた。そしてユフィアは去っていく。
そこで気がついた。ユフィアの誘惑に乗らなかった今でも、もはやユフィアから離れることはできないのではないだろうか。そんな疑問が、湧き出してきたのだった。