スコラは自領に帰っていった。つまり、ここからが本番だ。ミリアやユフィアに今から反発されると、すべての計画が崩壊してしまう。とはいえ、そこまでする理由はふたりには無いだろうが。
クロード率いるイデア教は、確かにデルフィ王国に傷跡を残している。のさばらせ続けて良いと思うようなら、その程度の人間でしかない。ミリアとユフィアは、違うだろうな。
そもそも、王都でも民衆の間に不安は広がっている。俺が接している中で、確かに感じることだ。
「このまま、イデア教は俺達にまで攻撃してくるんだろうか。それくらいなら、いっそ……」
「そうしたところで、安定した生活は手に入りませんよ。だって、彼らは食料を奪うだけ。何も生み出していないんですから。いずれ奪い尽くせば、みんなが飢えるだけです」
「なるほど、確かに……。なら、イデア教の味方をしても、意味はないか……」
そんな風に返されたこともあったが、いざとなればイデア教の味方になる人間は居る。そう実感させられる出来事でもあった。
良くも悪くも、民衆にはどこか諦めがある。今からデルフィ王国が良くなるなんて信じている人は、ほとんどいない。肌感覚としては、未来に不安を覚える人々の奥底にあるのは、自分の努力が未来に繋がらないという諦観なのだろうな。
結局のところ、上にいる人間の機嫌次第で、すべてが台無しになってしまう。そんな思想を抱いている人が多いように思えた。
まあ、大きく間違ってはいないだろうな。ユフィアやミリアが暴走すれば、民衆の努力なんて一瞬で無に帰す。そうでなくても、イデア教の反乱でも、今後の諸侯の動き次第でも、民衆は翻弄され続けるだけだろうな。
だからこそ、俺は今回の計画を成功させなければならない。俺自身が生き延びるために。デルフィ王国の未来を繋げるために。
自室で一度深呼吸をして、ミリアのもとに向かう覚悟を決めた。イデア教を、確実に終わらせるために、その先で、諸侯が暴走しないように。まずは、スコラにすべてを賭ける。そこからだ。
作戦司令室でのミリアは、誰かしらと話している様子だった。音を立てないように部屋に入り、その様子を隅っこでうかがっていく。
「イデア教の存在は、絶対に許してはならん。騎士団長として、妾が命じる。必ずや、滅ぼし去るのだ!」
威風堂々と、前にいる大勢の諸侯らしき存在に伝えている。彼らは、ミリアの前に跪いている様子だ。とりあえず、ミリアは俺の意図を汲んでくれているようだ。
対する諸侯は、号令を挙げるものが多かった。だが、そうではないものも居る様子だな。
「私はすでに賊を討伐した! その報奨も出さぬまま、次へ動けというのか!」
「よく言うものね。あたしは、あなたの10倍じゃ済まないくらいは討伐しているけれど。そのあたしは、従っている。よく考えてから発言することね」
冷静に反論している人は、見覚えがあるな。確か、原作でも重要人物だった。なら、口にする成果も納得ではある。今回はミリアの味方で居てくれるようだな。ありがたい。
対して、反論を受けた者は、うつむきながら歯を食いしばっているように見える。反論の言葉が、思い浮かばなかったのだろうな。
それだけでなく、発言しようとしていた何人かが、口をつぐんでいる。おそらくは、同じようなことを言おうとしていたのだ。
本当に、困ったものだ。イデア教が討伐できなければ、この国は終わりだ。だというのに、些細なことで手柄だと言い張ったり、報奨を要求したりするのだから。
10倍と言った人ですら、現状ではそこまで大きくイデア教を叩けていないはずだ。確か、王都の北東、ベンニーア領から大きく東に向かったところに本居を構えていたはずだからな。
それなら、西の方で大きく活動しているイデア教を本格的に潰せはしないだろう。にも関わらず、その10分の1の成果で、大げさに騒ぐやつが居る。
もう、王国はすでにバラバラなんだ。まだ、表面化していないだけで。ただ、表面化していない事実が重要なんだ。それを諸侯に知られる訳にはいかない。そうなってしまえば、群雄割拠の世界が待っているだけなのだから。
そして、群雄割拠になったなら、俺の存在には価値が無くなる。単に力を示すだけで良くなるのだから。掲げる神輿など、必要なくなる。そうならないためにも、ここで食い止めるべきなんだ。軽く歯を食いしばって、気合いを入れる。
「よくぞ言った、バーバラよ。そなたは、よく妾の期待に答えておる。そして、ローレンツ殿下の期待にも。今後には、期待していて良いぞ」
ミリアの言葉に、原作キャラであるバーバラは当然といった表情で頷く。まっすぐに伸ばした黒髪も相まって、風格を感じるな。実際、原作でも相当活躍していた。能力も、相応のものだと思っていいだろうな。
そして、ミリアはちらりとこちらに目線を向けてくる。おそらくは、合図だろう。今の流れに合わせて、バーバラを褒め、反発した貴族をけなす。そんな要求をされているはずだ。
バーバラに報奨を渡すことなんて、話した記憶はない。だが、必要なことだと理解できるからな。なら、答えは決まっている。俺は隅っこから表に出て、背筋と声を張って話していく。
「その通りだ。イデア教の問題は、国難と言って良い。それを軽んじる相手を、評価することなどできない。だからこそ、バーバラには特に期待している」
バーバラは、こちらを軽く見た後、冷たい目を向けてきた。俺に対する信頼は、無いのだろうな。まあ、当然のことだ。俺はまだ、バーバラの前で見える成果は出していないのだから。
だからこそ、今回の報奨をしっかり払うことから始めていくべきだろうな。急ぎすぎても、結果はついてこないのだから。
対して、諸侯はひとまず平伏している。内心はどうあれ、従うという姿勢を見せている。なら、それを成果で示してもらうだけだ。何もせずに自分が得をしようとするなど、許しておく訳にはいかない。
それは、単なる正義感の話ではない。世の中が荒れると決まった以上、これまでと同じだと思われては困る。賄賂やコネだけで立場が決まるままだと思われては。
だからこそ、ここが第一歩なんだ。しっかりと成果を評価すると示し、実力のあるものを俺の味方にするための。この国を変えていくための。そのためにも、俺は自信満々といった顔で頷いていく。
「ミリア、大枠はお前に任せる。お前が最善と思う形で、イデア教の討伐を実現してみせろ」
「分かっている。殿下は安心して見ていると良い。妾の真価を、ここで確認させてやろう。さあ、お前達! イデア教に生きる世界など無いと、我々の手で示すのだ!」
諸侯はそれぞれに声を上げ、去っていく。今回だけは収まったが、課題は山積みだ。そもそも、諸侯が一つにまとまっていないのだから。
おそらくは、勝つだけなら今の状況でも可能なのだろうな。原作では、イデア教など所詮はザコとして扱われていたのだから。
それでも、対応を間違えれば民衆に被害が出る。諸侯にも、余計な出血を強いることになるだろう。その結果として、デルフィ王国の崩壊が早まる。
俺の敵は、イデア教だけじゃない。信頼できない諸侯、王国に不満を抱く民衆、デルフィ王国の隙を狙うエルフや獣人。それらの問題を乗り越えるためにも、大きな一手が必要なはずだ。
そう考えて、俺の頭にある案が浮かんだ。少し検証していくと、複数の問題が解決できるように思えた。そうと決まれば、ユフィアに相談しよう。
策を抱えて部屋から出る俺の足は、わずかに弾んでいた。