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第12話 ミリアの渇望

 妾は、ローレンツに命を救われた。おそらくは、ユフィアの刺客から。だからこそ、妾はローレンツに協力すると決めた。命をかけてまで妾を救ってくれたものを、軽く扱いたくはなかったから。


 だが、ユフィアの行動は許しがたい。そう考えて、ユフィアの下へと乗り込んでいった。無論、刃を向けるつもりなどなかった。ユフィアを殺しても、本気で敵に回しても、妾は死ぬ。その未来は見えていたからな。


 笑うユフィアを前にして、悔しさに唇の端を噛みそうではあった。だが、それで理性を失う訳にはいかない。そう考えていた時に、ローレンツが駆け足でやってきたのだ。


 妾が選択肢を提示したら、ローレンツはユフィアを責めた。その様子に満足感を覚えて頷くと、ユフィアはローレンツを誘惑し始めたのだ。体に触れ、言葉で好意を示し、ローレンツの感情を揺さぶっていく。


 その時のローレンツのとろけた顔を見て、妾はこれまでの人生に思いを馳せていくことになった。なぜかは分からぬ。あるいは、現実逃避だったのかもしれぬが。


 妾は、商人の娘として生まれた。そのまま、紹介の仕事をするのが妾の人生。そう考えていたこともあった。


「どうして、多くのものを売る時には、割引をするの?」


 そんな事を父に聞いたりしたこともあった。いま思えば、ずいぶんと無思慮だったものだ。全てを定価で売れば、それで良いのだと考えていたのだからな。


「そりゃあおめえ、何人にも運んで売るより、割引をして売った方が得だからよ」


 その言葉は、今の妾にとっても重要な考えだ。どうやって最大の利益を得るか。それも、目先の数字にとらわれずに。そんな考えが身についていたからこそ、今日の妾がある。それは間違いない。


 実際、商人としては順調に生きることができていた。姉に手伝ってもらいながら、様々な取引を実行することで。


「私も、父さんみたいな商人になるよ。だから、姉さんにも手伝ってほしい」

「もちろんよ。私達は、もっと大きい存在になって良いのよ」


 当時の妾は、まだ純粋に未来を夢見ていた。姉の言葉が、同じ未来を夢見ていないことにすら気付かないほど。


 転機が訪れたのは、姉が国王に見初められた時。妾は、これまで通りの日々が続くのだと考えていただけだった。姉も、それを望んでいるのだと。


 だが、違った。姉は商会を捨てて、国王の妾になることを望んだ。その時の言葉は、おそらく一生忘れないのだろうな。


「私は、商人なんかで収まる存在じゃない。それを、絶対に証明してみせる」


 そんな言葉を聞いてから、妾の日々は色あせて思えた。信じていた姉に、商人なんかと言われる仕事。そうとしか思えなかったのだ。


 妾は、道を見失っていた。それからの日々では、どれほど客の笑顔を見ようとも、満たされることなどなかった。貼り付けた笑顔に、空虚な心を隠すだけの日々だった。


 そしていつしか、姉と同じように、あるいはそれ以上に権力を追い求めていた。そのために何でもした。賄賂を配り、姉のツテを利用し、高官の弱みを握り、あらゆる手を使って、王宮に入っていった。


「商人ごときが調子に乗りおって……。いつか、目にものを見せてくれる……」


 そんな事を言われたことが、何度あったことか。そのたびに、妾は敵を破滅させ続けた。時には悪事を敵対派閥に送り、時には人質を取り、時には冤罪を着せることで。


 妾は、いつしか心からの笑顔を忘れていた。ずっと笑みを貼り付けたまま、自分の本当の感情がどこにあるのかすら分からなくなっていた。本心を語れる相手など、どこにも居はしなかった。


 そしてようやく騎士団長になった頃には、妾はただの傲慢な女に成り果てていた。自分でも分かっていた。こんなものは、妾が望んでいたものではないと。だが、立場が引き返すことを許さなかった。弱みを見せてしまえば、破滅するだけ。そんな環境に、身も心も浸かりきっていた。


「妾の命を果たせなければ、分かっているな?」

「はい……。ミリア様に忠誠を誓います……」


 ほとんどの人間が、妾に頭を垂れていた。その姿を見ても、心は満たされない。分かっていたからだ。妾に従う全ての者が、単に騎士団長という立場に従っているだけと。


「ミリア様、わたくしは、あなた様の味方。何があったとしても、裏切りませんわ」


 そんな事を言うスコラは、ユフィアに対しても同じことを言っているのだろう。金の動きを見れば、簡単に分かった。明らかに、ユフィアから支援を受けていたから。ユフィアに資金を流していたから。


 結局のところ、妾の味方など、この世に存在しないのだろう。そんな諦めが、心をよぎる日々だった。それでも、誰かの前ではため息を付くことすらできない。ひとりの時間ですら、涙をこらえていた。万が一にも跡など残ってしまえば、それが自分を追い詰めると分かっていたからだ。


 そんな中、ローレンツは妾の協力を求めに来た。頭を下げるローレンツに、妾はいつものように接する。にもかかわらず、ローレンツの目には敵意は見えない。あまつさえ、靴を舐めさせようとした妾に、真摯に向き合っていた。妾の要望を、真剣に叶えようとしていた。


 妾は、そんな姿にわずかな希望を抱いていたのかもしれない。今となっては、分からないが。ただ、いつもなら突っぱねる提案を受けたのは、確かな事実だったのだ。


 結局、最後には妾はローレンツの提案を拒絶することになったが。ユフィアの影を見た際に、感情が抑えきれなくなってしまったのだ。おそらくは、希望を抱いてしまったからなのだろうな。


 いつもの妾なら、利益を考えて受けていたはずの提案だ。ユフィアとスコラが危険視しているのなら、その見立ては正しい。冷静な部分では、理解できていたのだ。きっと、ローレンツを信じようとしていた心が、反転したのだろうな。


 そんな妾を、暗殺者が襲ってきた。ローレンツは、妾の盾になろうとした。その姿を見て、ローレンツの頭にナイフが突き立てられようとする姿を見て、気がつけば妾は魔法を使っていた。


 おそらくは、ローレンツという希望を失いたくなかったのだろう。妾を命がけで救おうとする姿に、消え去っていた心の火が灯ったのだろう。


 妾には、本当の意味での味方など、どこにも居なかった。いま妾に従っているものは、妾が劣勢になれば見捨てるような存在ばかり。むしろ、喜んで裏切る者とて多いだろう。


 そんな妾を、誰が命がけで助けるというのだ。それが理解できていたからこそ、妾の前に身を差し出すローレンツが輝いて見えたのだろう。妾のために、命をかけてくれる存在が。同じ状況になって妾を助ける人間など、誰一人として思い描けなかったのだから。


 結局のところ、妾はずっと一人だった。そんな孤独を埋めてくれる存在が、初めて現れたと思えたのだ。


 だからこそ、必死で魔法を使ったのだろう。妾が一人でなくなる可能性だけは、絶対に捨てたくなかったから。


 結果として、妾とローレンツは助かることになった。スコラの手によって、ローレンツが治療を施されて。表には出せなかったが、心が軽くなったのを理解できた。


 にもかかわらず、いま目の前のローレンツは、ユフィアの誘惑に負けようとしている。その姿を、見ていられなかった。だから、逃げるように去っていった。それが妾の真実だった。


 その後、ひとり自室でうずくまっていた。唯一の希望であるローレンツを、失ってしまうのかと。そんな時、口から言葉がこぼれた。


「ローレンツだけは、奪われてたまるものか……」


 思わず、自分の口を抑えた。信じられない気持ちもあった。妾にも、人間らしい感情があるのかと。まだ残っていたのかと。


 妾のために命をかけてくれる人間が、他にいるとは思えない。だからこそ、絶対に失いたくないのだ。そう理解できた。


 そこまで考えて、妾の心の火が、再び燃え上がった。体に力が入り、立ち上がって拳を握る。そして、誰に聞かせることもなく宣言した。


「ローレンツ、お主は、妾に屈服させてみせる。本当の意味で、忠誠を誓わせてやる」


 ローレンツだけが、特別なのだ。妾に心から忠誠を誓える、ただ一人の人間なのだ。面従腹背ではない、本物の忠誠を。ならば、絶対に支配しなくては。ユフィアに奪われなくて済むように。


 妾の前でひざまずくローレンツを想像して、思わず笑顔がこぼれた。妾の足を舐めるローレンツを想像して、思わず震えた。ローレンツが妾に従うのなら、妾は初めて満たされるのかもしれん。


 その想像を現実にするために、妾は力を尽くす。そうだな。まずは、ローレンツを全力で支援してやろう。それが失えなくなった瞬間に、選択を迫ってやろう。妾に忠誠を尽くすか否かを。


 楽しみにしていることだ、ローレンツ。

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