これから説得に向かう相手は、騎士団長。ミリア・アルストナという。俺の知っている限りでは、あまりいい性格とは言えない。人を見下し、自分こそが至高だという言動を繰り返す存在。
だが、デルフィ王国のというか、王都の戦力を一手に担う相手だからな。どうしても、説得するしか無い。
ユフィアとは敵対しているから、俺が向かうしかない。この王都は、宰相派閥、つまりユフィアの派閥と、騎士団長派閥、つまりミリアの派閥に分かれている。俺はこれから、敵対陣営の主に会いに行くわけだ。
気が重くてため息が出そうだが、それを我慢しながらミリアの下へと向かう。
王宮の大きな一室を丸々占拠しているので、それだけでもミリアの性格が伝わる人には伝わるだろう。まあ、権力を持った人が贅沢をするのは必要なことではあるのだが。ただ、俺は普通の部屋だという事実を考えると、大きく見え方が変わるはずだ。
その部屋に入ると、いかにも豪華な衣装を着飾った赤い髪の女が居た。やや悪い目つきで、椅子に座ったままこちらを見てくる。
「おやおや、どうした? ローレンツ殿下ともあろうものが、何をしに来たんだ?」
挑発的な声色で、語りかけてくる。視線を見る感じでも、明らかに見下されているな。まあ、俺は実質的には何の権力も持っていない。その事実を知る人間なら、軽く見ても当然だよな。
だが、そんな相手を説得しないといけない。できるだけ穏やかな声と顔を意識して、話を進めていく。
「ミリア、頼みがある。これから先、民衆が蜂起する兆候をつかんだんだ。だから、俺に協力してくれないか?」
ミリアは鼻で笑い、椅子にもたれかかる。まあ、相手にされていないのは明らかだ。ここまでは、予定通りと言って良い。
今から、俺にはいくつかの選択肢がある。ユフィアを味方にしたと告げること。土下座でも何でもして、関心を引くこと。そして、ミリアの魔法を明かして、脅しなり何なりに使うこと。いま思いつくのは、このあたりだ。
ユフィアの威を借りるのは、俺という存在を軽視される代わりに、相手に危機感を持たせられる。土下座するのは、ミリアの自尊心のようなものを満たせるだろう。ただ、簡単に頭を下げると思われたら、今後は使えなくなる。魔法を明かすのは、間違いなく敵意を持たれる。対価に、俺の能力を示せるだろう。
とはいえ、どれも有効打とは思えないんだよな。さて、どうしたものか。そんなことを考えていると、ミリアの方から言葉をかけられる。
「民衆が蜂起したところで、大きな問題にはならないだろうさ。それでも、お前が誠意を見せるのならば、考えても良い」
考えても良いと言っているだけだ。そうと分かっていながら、俺はすぐさま土下座の姿勢に入った。頭を下げるだけで協力してもらえるのなら、安いものだ。そんな思考からだ。
床に頭をくっつけると、確かな冷たさを感じる。俺の立場は、あまりにも弱い。それを実感できる感覚だった。
「この段階で反乱を防げるかどうかが、王家の、ひいては俺やミリアの未来も変えるんだ。だから、頼む」
しばらく頭を下げ続けたまま、ミリアの動きを待つ。すると、こちらに足音が響いてきた。そして、頭を軽く踏まれる。痛みはないあたり、単に屈辱を与えようとしているのだろう。だが、その程度で折れるものかよ。俺の命に比べれば、あまりにも安い。
痛みも何も無い恥程度で、俺を止められると思わないでもらいたいな。ミリアは知らないかもしれないが、俺は命をかけているんだ。
当然、俺は何も言わずに耐え続ける。そうしたら、足を離された。そのまま、半笑いの声で話しかけてくる。
「ずいぶんと軽い頭だな、王子よ。お主には、誇りというものが無いのか? ならいっそ、妾の靴でも舐めるのなら、話を聞いてやっても良いぞ?」
その言葉と共に、ミリアは足を突き出してくる。俺は、迷わず靴に唇を近づけていった。ただ泥にまみれるくらいなら、どうということはない。いっそ、犬の鳴き真似でもしてやろうか? 面白い見世物になるだろうさ。
そんな事を考えながら舌を靴に向けた段階で、ミリアは足を引っ込めた。
「本当に、そこまですると……。いったい、何がお主にそこまでさせるのだ?」
「簡単なことだ。俺は今回の交渉に全てをかけている。今度は、裸踊りでもしてやろうか?」
「テコでも引っ込まんのだろうな、お主は……。だが、安いな」
ミリアはこちらを見下すような顔をしている。まあ、ただ頭を下げているだけだからな。だが、ミリアにも弱みはある。それは、ミリアの立場は、彼女の姉が国王の妾であることによるものだからだ。なら、それを利用するか。
こちらにも武器があるのだと思わせるのは、必要なことかもな。何の策もなければ、相手に振り回されるだけだ。
「それなら、父さんに良い女でも紹介しようか。お前の姉より、夢中になれるような」
「くっ、お主……。頭を下げるだけかと思えば……。仕方ない。ならば、妾が納得する証拠を持って来い。そうすれば、王子のために、妾の出せる戦力を出してやろう」
悔しそうな顔をしたあと、再びミリアは椅子に座り、足を組んでいく。薄く笑ったまま、こちらをまっすぐに見ていた。とりあえず、一歩は前進できた。逆に、たった一歩でしかないが。それでも、大きな一歩だと思いたいものだ。
ということで、できるだけ平静を装いながら、話を続けていく。さらなる譲歩が得られれば、御の字だよな。まあ、期待薄だが。
「結局、証拠は必要なんだな。まあ、話を聞いてくれる気になっただけでも、ありがたいよ」
「偽報で兵を動かしたとなれば、妾の立場も危うい。そこまで、お主に賭けられんよ」
しみじみと言っている様子だし、本音なのだろう。まあ、仕方のないことだ。誰だって、自分の立場は大事だよな。それに、民衆が蜂起するなんて、簡単には信じられないことも分かる。今のところは、まだ平和だからな。少なくとも、王都は。
田舎ともなれば、エルフや獣人に襲われていたり、盗賊に襲われて村が全滅したりするらしい。だが、遠くで誰かが死んでいても、危機感なんて抱いたりしないのが普通だ。俺だって、前世ではそうだった。
なら、理解を示しておくのが正着か。ここで欲張っても、下手したら後退するだけだ。少しでも好感度を稼ぐべきだろう。今後の動きを楽にするためにも。
「それでも譲歩してくれて、ありがとう。必ず、納得できる成果を出してみせるよ」
ミリアは楽しげに笑い、こちらに視線を向けてくる。肘をついた拳に、あごを乗せながら。偉そうなものだ。だが、俺とミリアの立場の差を考えれば、妥当なのだろうな。
「ところでお主。妾の情夫になってみぬか? 王族を侍らせるのも、悪くない」
さて、どうしたものか。問題は、ユフィアなんだよな。ここでミリアに傾倒してしまえば、共犯者としての関係が壊れてしまう。ふたりが争った場合、勝つのはユフィアだろう。
ミリアは権力を持ってこそいるものの、現状を見る限りでは溺れている。対してユフィアは権力を道具として扱いつつ、手段を選ばない怖さもある。ふたりを比べたら、ユフィアを選ぶ方が生き残る可能性は高い。
なら、適当な理由をつけて断るのが良いか。だが、機嫌を損ねないように気をつけないとな。
「それは魅力的だが、遠慮しておくよ。お前に溺れてしまえば、俺は正しい判断をできなくなる」
その言葉に対して、ミリアはニンマリと笑う。女らしさを強調するかのように、足を組み直して前かがみになりながら。
「そうかそうか。なら、せいぜい耐えるが良い。お主の今後を、楽しみにしておるぞ」
よし、悪くない印象を持たせられただろう。そうなると考えるべきは、ミリアを説得するための情報。ユフィアからの言葉なら、信用されないだろう。ふたりは敵対しているのだからな。
思考を巡らせた結果、ある人物の顔が思い浮かんだ。公爵令嬢だ。優れた血筋を持っていて、広い領地を治めている。そして何より、顔が広い。ミリアとも、悪くない関係だったはずだ。
なら、次は公爵令嬢の説得に向かわないとな。彼女は彼女で、厄介な性質を持っていた記憶がある。頭を抱えたくなる気持ちを抑えながら、覚悟を決めた。