目が覚めると、見たこともない景色が広がっていた。
どこかの映画で見たことのあるかのような豪華な天蓋付きのベッド。その外にある、明らかに質の高い調度品が揃った広い部屋。
ドッキリにしては、あまりにも金がかかりすぎている。そもそも、俺は単なる一般人だ。ドッキリを仕掛けられる理由はない。それなら、いったいなぜ。あちらこちらを見回していると、ノックの音が届いた。
「ローレンツ様、いらっしゃいますか? お父上が参られましたよ」
よく分からないが、俺はローレンツとやらが居るべき部屋に居るのだろうか。それなら、この状況はまずいのではないだろうか。不審者として、捕まったりしないだろうか。そんな不安があった。震えそうになる腕を、抑えるほどに。
黙り続けていると、扉が開く。そこから、黒髪の太った男が入ってきた。年の頃は、3、40くらいだろうか。状況から察するに、ローレンツの父親なのだろう。思わず、うつむいて瞳を伏せてしまう。相手の顔を、見ていられなかった。罪悪感なのか、状況への恐れなのかは、分からなかったが。
「ローレンツ。どうした、黙り込んで。余が会いに来たのだから、笑顔で出迎えなさい」
俺を見ながら、ローレンツと呼んでいる。つまりは、本物と同じ顔をしているのだろう。俺がたまたま同じ顔だったのか、あるいは俺の顔が変わってしまったのか。鏡を見れないから、判断できない。
だが、余なんて言っているあたり、偉い立場なのだろう。なら、返答を間違えれば危険だ。そう考え、当たり障りのない言葉を探していく。努めて笑顔を浮かべながら。
「すみません。寝起きでボーッとしていて。会いに来てくれて、嬉しいです」
「いつも余が来たら、父上と言いながら胸に飛び込んでくれたではないか。もしかして、体調が悪いのか?」
良い情報をくれた。俺は父上と呼べば良いんだな。相手の呼び方で間違える心配はなくなった。さて、どこまで相手から情報を引き出せるだろうか。しっかりと言葉を選ばないとな。深呼吸をして、父を見る。
「いえ、大丈夫です。いま起きたばかりだったので、頭が働いていなかったんです。心配かけて、ごめんなさい」
「良いのだ。可愛い息子のことだからな。余はもう行くが、元気でな」
そのまま、父らしき人は去っていく。部屋から出るのを確認して、ゆっくりと壁に耳を当てた。
「ランベール様、ローレンツ様の様子はいかがでしたか?」
「今の様子だと、問題ないだろう。さて、余は忙しいからな。次へ行くぞ」
ランベール、そしてローレンツの親子。どこかで聞いたことがある気がするな。さて、どこだったか。思い出せたのなら、何か情報があるのかもしれないが。
とりあえず、まずは自分の状況を確認したい。ということで、鏡を探す。すると、すぐに見つかった。それを覗くと、自分の姿が映っていた。
黒髪黒目の、可愛らしい感じの男。年の頃は、中学生くらいだろうか。無表情なのが、玉にキズだが。状況を考えると、偉い人の息子あたりか? 父の言っていた次という言葉の意味次第だが、兄弟がいる可能性もあるな。無論、次の仕事というだけの可能性もある。
あまり出歩いても、ボロをさらすだけだろう。そうなると、どうするのが正解だろうか。あごに指を当てて考えていると、またノックが響いた。
「ローレンツ王子、ユフィアです。いらっしゃいますか?」
ユフィア。その名前を聞いて、現在の状況が分かった気がした。とあるゲームの悪役が、そんな名前だった。ランベールが王で、ローレンツが王子なら間違いないはず。戦記物のゲームで、天下統一を目指すものだったよな。いわゆる、剣と魔法のファンタジーだ。
俺が今いる国、デルフィ王国は、汚職や腐敗にまみれた末期国家。普通に進めば、滅ぶ運命だ。
いま来たのは、確かユフィア・エインフェリアだったはず。王や王子を傀儡にして、私腹を肥やしていた大悪人。自らの欲のために、何を犠牲にするのもためらわない人だ。
それよりも大事なことがある。俺の置かれた状況が正しければ、この国は滅ぶ。そして、俺は死ぬ。乱世に飲み込まれてしまうんだ。だったら、今のうちに行動しなければマズいかもしれない。そんな焦りを抱きながら、ユフィアに返事を返す。ローレンツの口調を、思い出しながら。
「ああ、居るよ。よく来てくれた。歓迎する」
そして扉が開くと、いかにも清楚な雰囲気を漂わせた若い女が出てきた。長い銀髪と、優しげな笑顔が印象的だな。だが、それはあくまで表の顔。今から、俺はその本性に触れる必要がある。
ユフィアは間違いなく悪人だ。しかし、間違いなく優秀と言える。なにせ、この国を支配する人間だ。そして、ローレンツは実質的に軟禁状態だったはずだ。その環境で味方にするならば、おそらくはユフィアが一番だ。
そこまで考えて、ユフィアとふたりで話をすることに決めた。本性を知られたと理解されたら、殺される可能性だってある。だが、それでも生きる可能性が高いのはこの道だ。だったら、それに賭けるだけだ。ゆっくりと息を吸って、吐いた。そして、ユフィアと目を合わせる。
「王子、お加減はいかがですか? 大切なお体なんですから、お大事にしてくださいね」
「問題ないよ。それより、ユフィア。人払いをお願いできないかな?」
「あら、私に告白でもされるんですか? それは光栄ですね」
はにかむような感じで、頬を染めていく。ゲームの知識がなければ、俺が好きなんだと誤解していたかもな。だが、ここからが正念場だ。気合いを入れないと。後ろに隠した拳を、強く握った。
「それは、二人きりになってから話すよ。それでいいだろ?」
「分かりました。少し待っていてくださいね」
ユフィアはいったん部屋から出ていく。それを確認して、ひとりごちる。
「負ければ、おそらくユフィアに殺される。勝てば、生き延びる道が繋がる。単純だよな」
その言葉をこぼす自分が、薄く笑みを浮かべている事に気がついた。面白くなってきたな。勝つか負けるか、チップは命だ。
そして言われた通りに待っていると、ユフィアは再び入ってきた。穏やかな笑顔を見せながら、こちらに話しかけてくる。俺も、なるべく明るい笑顔を返す。自分を鼓舞しつつ、相手に好印象を与えるために。
「それで、どんなお話ですか? ローレンツ王子の言葉でしたら、何でも嬉しいですよ」
「先に聞いておきたいんだが、ユフィアにとって都合の悪い人は、話を聞いていないよな?」
そう言うと、少し笑顔を歪めた。俺の意図している内容が、少し伝わったのかもしれない。ユフィアの本性を知っていると告げるのが、まず初めだからな。だが、俺は笑顔のままでいろ。感情を悟られるな。
「はい。ご心配いただき、ありがとうございます。問題ないですから、話を続けてください」
「結論から話そうか。ユフィアには、俺の共犯者になってほしい」
「共犯者……ですか?」
首を傾げながら、そう言う。おそらくは、今でも冷徹な計算が渦巻いているはずだ。あるいは、俺を消すことも検討しているのだろう。だが、そこを乗り越えないことには、俺に未来はない。まずは、ユフィアを味方につけるんだ。まっすぐに、目の前のユフィアを見る。
「ああ、そうだ。この国は、おそらく滅ぶ。王家という権威が、形だけとなっていることによって」
「それは……。なら、私が何をしているか、知っているんですね?」
軽く目を細めながら、問いかけられる。警戒は、されているんだろうな。慎重に、言葉を選べ。ユフィアの興味を引けるように。状況を理解してもらえるように。ゆっくりと息をしながら、できるだけ落ち着いて話していく。
「ああ。だが、それを問題視している訳じゃない。ただ事実として、いずれは王家に対する尊敬など消え去るだろう。なあ、ユフィア。お前は俺達を道具として扱っているのに、どうして俺達の価値を信じているんだ?」
「それは、確かに……。。ああ、そういうことですか。口実すら必要なくなると言いたいんですね?」
「ああ。力さえあれば、王家なんて必要ない。そう知られてしまえば、お前だって困るだろう。だからこその、共犯者だ」
ゲームでは、いずれ乱世が起きていた。そうなってしまえば、俺とユフィアは共倒れだ。そして、ユフィアは正しく理解できるはず。頼む、通じてくれ。
「ところで、どうして私を選んだんですか? もっと善人だって、居ると思いませんか?」
ユフィアは真剣な目で聞いてくる。俺の返答が、すべてを決めるだろう。説得できるようにとの願いを込めて、ユフィアの目を見ながら話す。
「単純な話だ。王家すら手駒にできる人間が、無能であるはずがない。それに、俺の価値が落ちれば、ユフィアは不利になる。ユフィアの支配が壊れれば、俺の死が近づく。だから、俺達は一蓮托生なんだよ」
「分かりました。理屈としては、納得できます。でも、そうですね。私が協力するだけの価値を、示してみてくださいよ。そうでなければ、殺します」
ユフィアは見下すような目を向けてくる。ここで失敗すれば、本当に殺されるのだろう。何がある。床を見ながら、全力で頭を回す。ユフィアが答えを確認できて、それでいて有用と判断できる情報。そうだよな。俺なんて、ただの凡人なのだから。
そうだ。なら、原作知識だ。それしかない。通じなかったら死ぬ。それだけの話だ。もともと命がチップだったんだから、大差ないよな。
「俺はミリアの魔法も、スコラの魔法も、他の多くの人の切り札も、何もかも知っている。まずはユフィアの魔法だが、遠くを見る魔法だろ? 他の情報も、知りたいと思わないか?」
そう言った時、ユフィアは目を見開いた。まあ、驚いたのだろう。ただ、すぐに表情を笑顔に変えた。優しそうな、いつもの顔に。
さて、どっちだ。ユフィアの顔からは、まだ分からない。おそらく、俺の目は揺れているだろうな。生きたいという願いを、完全に制御できていないらしい。だが、頼む。
「ふむ、良いですね。ひとまずは、あなたと協力しましょう。いま殺してしまえば、もったいない。それは確実でしょうから」
その言葉を聞いて、つい力が抜けた。ため息だって出た。少し軽率だと思うが、安心してしまったからな。まずは、第一関門を突破した。そう考え、できる限りの笑顔を向ける。
「これから、よろしくな。ユフィアが味方になってくれて、心強いよ。俺は凡人だからな」
「いえ、頼りにしていますよ。よろしくお願いします」
そう言って、ユフィアは去っていく。これからも、俺には苦難が待っているだろう。そんなことを考えながら、扉から出ていくユフィアに目を向ける。
その横顔は、どこかあざ笑っているように見えた。