「リリアナ、紹介するわね」
艶やかな苺のように愛らしい唇を、セレーナお姉様は幸せそうに緩ませる。あの日も、お姉様はそう言って頬を染めていたと、七歳になったばかりの私が記憶の引き出しから顔を覗かせた。
「こちら、ルイ・ジュール侯爵令息様」
「私、彼と結婚するの」
あの日と違うことといえば、お姉様からの紹介が「友人」ではなく「婚約者」としてルイ様を表現したことだろうか。
「それは、おめでとうございます! お姉様、ルイ様、必ずお二人で幸せになってくださいね!」
十年間も胸に抱いてきた初恋を、今、この瞬間も含めて一度たりとも表情にも出さず、一生涯において隠し切ると決めた私を、誰か褒めてはくれないだろうか。
ルイ様から「天使の落とし物かな」と戴いた真っ白な鳥の羽根が、吹き抜ける爽やかな風に飛ばされて、青く青く突き抜ける空の彼方へと消えていった。私の気持ちも、そんな風に軽く吹き飛んでいったら、どんなに楽で、苦しくないだろう。
◆
「……なんて顔、していらっしゃるんですか」
「え?」
リリアナはドレッサーの鏡越しに、寝る前の自分の髪をブラシで梳いてくれている付き人のシモンを見た。しかし「なんて顔をしているのか」と訊いてきたシモンとリリアナの視線は交わることはなく、リリアナは鏡に映る自分へと視線を移す。彼の言う通り、確かにひどい顔をしていた。目はどんよりとしていて、眉も口角も面白いくらい垂れ下がっている。面白いとは思っても、今のリリアナには笑う元気はないけれど。
「そんなに好きだったのなら、想いを告げても良かったのでは」
「は……!?」
金色の、少々釣り目がちなシモンと鏡を通して目が合う。誰にも言ったことのない、気付かれることが決してないように細心の注意を払ってきた想いを、なぜ彼が知っているのかとリリアナからは、チューターが聞いたら悲鳴を上げそうなくらい可愛らしさも上品さの欠片もない声が出た。
「なんで、知っているのかしら……?」
「何年、あなたのお傍にいると思っているのですか。夜な夜な寝言で、『ルイ様』なぞと呟いていれば……」
「あー! 待って待って、それ以上言わないで!」
寝言!? そんなの嘘でしょう!? とリリアナは顔の前で両手をブンブンと振る。シモンは、「ふっ」と静かに吹き出すと肩を揺らした。笑い顔が見られないよう、丁寧に俯いて肩あたりに顔を埋める形で。一頻り笑い終えると、「失礼」と言って、元の表情筋が働いていない顔を上げる。
「シモン、あなた、騙したわね!?」
「さて、なんのことでしょうか」
「寝言なんて、本当は言っていなかったんでしょう」
「さぁ、それはどうでしょうね」
「主人をからかうなんて……ああ、もういいわ」
言い争う元気もない、とリリアナは途端に威勢を失って、溜息と共に、椅子の背もたれに深く背中を預ける。「早く済ませてちょうだい」と髪を梳く手を進めるようにシモンに言いつける。
「……想いなんて、告げられるはずがないでしょう。私がなぜ十年間も隠してきたと思っているの」
下手に言葉を紡げば、涙が溢れてしまいそうだ。
「ルイ様に想いを寄せていた以上に、私はセレーナお姉様のことを愛しているのよ」
麗しく、可憐で、愛くるしいお姉様。たった一人の、お姉様。誰よりも優しく、愛と慈しみに溢れた彼女は、リリアナの憧れだった。だからこそ、彼女が「学園の友人」だとルイを紹介してくれたとき、彼女が彼を愛していることを悟った。そしてまた、ルイがセレーナを愛していることにも。
何度も何度も自分を憎んだ。どうして、ルイに恋なんてしてしまったのかと。照れたように笑う彼に、鼓動を弾ませる自分が許せなかった。それなのに止められなかった。焦がれずにはいられなかった。だから、絶対に気付かれるわけにはいかなかった。セレーナの幸せを誰よりも願っている自分が、邪魔なんてしたくなかった。ルイが自分を選ぶことはないと分かっていても、セレーナが心を痛めることを知っていたから。
「二人が婚約してくれて、私はとても嬉しいのよ。これで良かったと思っているわ。これで、ルイ様をきっぱりと諦めることができるから」
この話はこれでお終いね、とリリアナはようやく微笑む。
席を立ち、リリアナは天蓋のついたベッドへ飛び込むように寝転んだ。
「ナイトキャップは……」
「いいわよ、たまにはつけなくても。今日はくたびれたの。このままもう休むわ。シモンも下がっていいわよ」
「……はい。何かあれば、すぐに呼んでください」
重い扉が閉まる音がする。リリアナは枕にギュッと自分の顔を押し付けた。泣いている顔を誰かに見られることが、一番嫌いなことだった。